先週末、軍艦島を訪れたのが
8月6日。
広島被爆の日でした。
そして、きょう
8.9 長崎被爆の日です。
私がはじめて軍艦島の存在を知ったのは、
長崎の大学在学していた当時、
ゼミの先生が朝鮮人被爆者の調査をされていて、
その話のなかで、端島(通称 軍艦島)でも
多くの強制連行・強制労働による朝鮮人も働いていたこと知ったのが、
はじめてだったように記憶しています。
当時、「世界の友へ」というドキュメンタリー映画も
観たように記憶しています。
その後、端島で働き被爆した徐正雨(ソ・ジョンウ)さんの
お話も聞かせていただく機会もありました。
今回の軍艦島ツアーでは、
2日目の7日は、浦上地区をめぐる平和の旅でした。
平和公園では、
きょうの式典の準備が
大がかりで行われていました。
原爆公園の隅にしっそりと
隠れるように建立された
長崎朝鮮人被爆者慰霊碑。
私が必ず訪れる場所です。
そして、爆心地を示す漆黒の御影石のポール。
下から上空を見上げると
曇り空に、鈍色の太陽が
不気味な光を放っていました。
被爆から66年を迎える今年、
地上では、隠されていた太陽が
その隠れ家を暴かれたかのように、
見えない放射線を放出し続けています。
訪れた日に、原爆公園では、
労組の集会も行われていました。
その旗やゼッケンにも
「ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ」の
文字が目立っていました。
8月6日。
広島被爆の日でした。
そして、きょう
8.9 長崎被爆の日です。
私がはじめて軍艦島の存在を知ったのは、
長崎の大学在学していた当時、
ゼミの先生が朝鮮人被爆者の調査をされていて、
その話のなかで、端島(通称 軍艦島)でも
多くの強制連行・強制労働による朝鮮人も働いていたこと知ったのが、
はじめてだったように記憶しています。
当時、「世界の友へ」というドキュメンタリー映画も
観たように記憶しています。
その後、端島で働き被爆した徐正雨(ソ・ジョンウ)さんの
お話も聞かせていただく機会もありました。
今回の軍艦島ツアーでは、
2日目の7日は、浦上地区をめぐる平和の旅でした。
平和公園では、
きょうの式典の準備が
大がかりで行われていました。
原爆公園の隅にしっそりと
隠れるように建立された
長崎朝鮮人被爆者慰霊碑。
私が必ず訪れる場所です。
そして、爆心地を示す漆黒の御影石のポール。
下から上空を見上げると
曇り空に、鈍色の太陽が
不気味な光を放っていました。
被爆から66年を迎える今年、
地上では、隠されていた太陽が
その隠れ家を暴かれたかのように、
見えない放射線を放出し続けています。
訪れた日に、原爆公園では、
労組の集会も行われていました。
その旗やゼッケンにも
「ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ」の
文字が目立っていました。