城東の甍

宗岳寺からのお知らせです。ときどき更新します。

日本一の石段

2010年02月25日 | 今日の出来事
今日は熊本市の南にある下益城郡美里町(旧中央町)で仕事があったので、そのあと少しだけ足を延ばして、以前から行ってみたかった、「日本一の石段」を上ってきました。
隣の八代市泉村の釈迦院というお寺に参拝するときの表参道なんですが、旧中央町が町おこしのために日本一のものを造ろうと二十数年前に3333段の石段を計画したそうです。

いざ上ってみると、最初のうちはきつかったですが、途中からは次第に慣れてきて、多少息が荒くなったりもしますが、なんとか自分のペースで上ることができました。時間の関係もあるので、今日は半分だけにしようかとか、2000段までにしておこうかと途中いろいろと考えましたが、下山してくる人たちとすれ違って挨拶を交わしていくうちに、負けてなるものかと奮い立ち、なんとか初挑戦ながら3333段クリアできました。頂上の眺めはよかったですよ。標高差が600メートルほどだそうで、よくここまで登ってこられたと自分で思います。

登ってしまえば降りるのは楽。石段の途中にあるお地蔵さんにお参りもしながら、上ってくる若者に激励の声をかけつつ、余裕で下山。かかった時間は、上りが1時間、下りが30分で、計1時間半ほどでした。
一部平坦な石畳の箇所もありましたが、石段がきれいに整備されていて運動にはもってこいでした。百段ごとに「いま何段目か」という表示があって、目標が立てやすいのもいいですね。
途中何度も、見ず知らずの人とすれ違ったり追い抜いたり抜かれたりしましたが、みな「同行同修」の仲間という意識が働くのか、気軽にあいさつが出来ます。この石段の上り下りの場は、みながホトケになりうる、素晴らしい場所だと思います。
これから定期的に来て、上り下りの運動をし、釈迦院にもお参りして、心身の修行をしたいなと思います。次はここまで自転車で来て上るという荒行にも挑戦してみようかな。

相撲部員が人命救助!

2010年02月21日 | 相撲のこと
今日はうれしいニュースがありました。
昨日京都市の市営住宅で火災があり、4歳の男児が室内に取り残されていたのを、たまたま訪れていた高校生2人が救助したというニュースです。
そのうちの一人、杉本君は相撲部で、去年の国体で活躍した中心メンバーだったとのことです。わたしは彼のことはよく知りませんが、かつて京都に住んでいたとき、わたしもアマチュア相撲選手の端くれで、鳥羽高校の相撲部の先生をはじめ、当時の選手や関係者のみなさんにはお世話になったものです。その我が“ふるさと”のアマ相撲界の後輩がこのような天晴れな勇気ある行動で表彰されるというのは嬉しいものです。相撲で鍛えた身体とハートがなせる業です。
彼は大相撲に3月に入門するとのことですが、これはぜひ応援しなきゃいけません。ちかごろ不祥事が多い大相撲界ですが、こういった若者が入門してくれて頼もしいです。

男児救助「相撲の鍛錬のおかげ」2高校生に感謝状(西日本新聞の記事)

涅槃会

2010年02月15日 | その他法要
2月15日はお釈迦さまがクシナガラの沙羅双樹のもとで生涯を閉じられた日で、「涅槃会」といいます。今日は本尊さまの前に数々の供物をお供えし、法要を厳かに行いました。お釈迦さまが臨終に際してお弟子さま方に説かれた遺言のお経をお読みし、詠讃歌をおとなえしました。お釈迦様の御遺徳をたたえるとともに、仏教にめぐり合えたことに喜びと感謝の心を示し、これからも戒めを守り、自分自身と仏法をよりどころにし、生きていこうという誓いを建てる法要です。どんなに他の予定があろうと、この日は涅槃会をきちんとお勤めするようにしています。

昨日の14日の「お逮夜」には、たまたま梅花講の稽古日でしたので、檀信徒の講員さんたちと「大聖釈迦如来涅槃御和讃」をご一緒におとなえし、ご焼香までしていただきました。皆さんも梅花の稽古だけでなく、実際にお釈迦様へのご供養ができ、たいへん満足されていました。

小学校の校舎に入りました

2010年02月09日 | 今日の出来事
うちの長女がこの4月から小学校に入ります。その保護者説明会が行われたので行ってきました。保育園や町内の行事でグラウンドには何度も入っていますが、校舎の中に入ったのは初めてです。黒板や机、椅子がしつらえてある教室や、子供たちの絵や書道作品が展示されている廊下を見て、なつかしい気持ちになりました。ちなみに、出席していた大半はお母さんたちで、パパ軍団はきわめて少数でした(笑)。
驚いたのはこんど入学する予定の児童が、うちの子を含めて30人にも満たないということ。当然1クラス編成です(ということは、このまま転入などにより爆発的に増えることがない限り、6年生までクラス替えは無しということです)。うちの者が通学していた30年前は3クラスだったので、3分の1に減っています。ドーナツ化現象で、市の中心部から郊外へどんどん人口移動が進んでいるというわけですね。
たいへんなのはPTA。保護者の数が少ないから、一家庭につき一役何かするってことにしないとうまく機能しません。でも、大事な役目ですので、四月からは仕事の合間を縫ってPTA活動にも勤しむようにします。

一方、わたしが約30年前に卒業した故郷の小学校はといいますと、児童の数が増えて教室の数が追いつかないらしく、次年度(今年4月以降)に2校に分離することになってるらしいです。さすが人口増加率全国屈指の滋賀県! 既存の学校のほかに1校建つのではなくて、今の学校の北西方向に1校、南東方向に1校それぞれ新たに建てられています(校名は南東側の学校が引き継ぎます)。で、いまの校舎は公民館として再利用されるそうです。自分の学んだ校舎が学校として使われなくなるのは寂しいですが、これも時代の流れですから仕方ないですね。

この一週間

2010年02月06日 | 今日の出来事
梅花流の講習でこの一週間、東京に行っておりました。
日曜の晩は都内で、高校の同級生の友人と5年ぶりに会って飲み会を行いました。他業種の友人と語り合うと、その活躍ぶりに刺激を受けます。高校に通っていたころから見れば倍ほどの年齢になりましたが、「百尺竿頭、さらに一歩を進むべし」の意気を忘れることなく、さらに修行していきたいです。
最終の金曜の午後には、都内にある、妻の大学時代の恩師のお宅にうかがってきました。いまもその大学の先生であると同時に、お寺の住職をされています。わたしたちの結婚披露宴で主賓として遠路はるばる来ていただいたこともあったし、その後も何度か九州でお会いしたことがありますが、わたしが訪問するのは初めて。あいにく先生はご不在でしたが、奥様ともろもろのお話しをさせていただきました。先生もこの春に定年で教授をやめられるとのことですが、これからも宗門のために、多くの学生さんたちのために、ご指導いただきたいと思います。

さて、この一週間の間に「小沢幹事長不起訴」とか「朝青龍引退」とか、さまざまなニュースがありましたが、朝青龍に関しては「ついにこの日が来たか」という感じです。クビになる前に自分からやめたのはよかったです。というか、おそらく協会幹部から引退を迫られたというのが真実らしいですが、間違いなく、良い意味でも悪い意味でも相撲史に残る横綱になりましたね。