平方録

大雪とともに

今からちょうど20年前、火事で家が全焼してさすがに意気消沈しているボクのそばにそっと近づいてきて、たった一言「頑張ってね」と優しく声をかけてくれたことが忘れられない。

何しろ突然寝るところもなくなってしまったものだから数日間だったが妻の実家に転がり込んだのだが、そこを引き払う時に言われたのだ。
その場面がどういう状況だったのかうろ覚えなのだが、雨が降っていて、傘を差しながら車に乗り込もうとした時に、わざわざ傘をさして道路まで出てきて言葉をかけてくれたのである。
普段は激励はおろか、例えばボクに接する時は嬉しそうにニコニコしているだけの静かなお義母さんだっただけに、思いがけない行動に遭ってボクはびっくりしてしまった。

嫁ぎ先が丸焼けになってしまった娘の身を案じる気持ちもあったのだと思うが、それよりもむしろ「あなたがくじけてしまってはダメよ。しっかりなさいね」と、いたわりのこもった優しい気持ちから発した言葉として受け止めたから余計に身に染みたのである。
多分「ハイッ」とだけ答えたんだろうと思うが、それは驚いてしまって言葉が出てこなかったからでもある。それくらいボクにとって衝撃的で忘れられない一言として耳の奥に未だに残っているのだ。

それから5、6年経った頃だと思うのだが、老人ホームに移ったお義母さんが俳句を始めたと聞いて季語集を買ってプレゼントした。
数日たってお義母さんからお礼のハガキが届いたのだ。
そのハガキを見てまた驚かされることになる。
ワープロで打ったような事務的で味気ないものではなくて肉筆のハガキである。

まずびっくりしたのがハガキ一杯にぎっしり並んだ文字の流れるような美しさ。そして使われている漢字の豊富さだった。
それだけでも十分な教養を見て取るのに十分なのだが、書かれた文章を読み進むうちにさらに驚かされることになる。
文章がとても優雅で気品に満ちているのだ。
お礼状と言うのはこういう風に書くものか。言葉遣いひとつとっても、高等教育を受けたことが歴然とする内容で、しかも家庭を含めた生育環境が偲ばれる品の良い文章だったのだ。

文は人なり――という。まさに人柄を彷彿させる文章と言ってよく、戦前の日本の女子高等教育というのはこういう女性を育てたのかと、そこでも感心させられたものだった。
教養というものは付け焼刃で間に合うようなものではなく、身についていてこそ香り立ってくるものなのだ。
ああ、こういう文章を書く人に歳時記を送ったのだ、とボクは嬉しくなった。
あのハガキはどこにしまったのだろう。

93歳の誕生日に大雪が降り積もり、その解ける雪と一緒に昨日昼過ぎ、永久の旅に出てしまった。
長女の妻や弟の長男が枕元で見守っている最中に、すぅ~っと呼吸を止めたのである。
まったく静かで穏やかな旅立ちだった。



2018年1月22日の大雪

コメント一覧

heihoroku
Re:ご冥福を
高麗の犬さま

お悔やみ恐縮です。そちらのお母様はなかなか洒脱な方のようですね。とても魅力的です。大切になさってください。
高麗の犬
ご冥福を
心からのご冥福をお祈りしています。
高麗の犬
同感
素晴らしき義母上!
私事ではありますが、先日91歳の母を散歩に連れ出した時のこと。見晴らしのよい高台から下を見下ろしてポツリ。民のかまどは賑わいにけり。
仁徳天皇がでてきちゃった!と二人で大笑い。義母上の素晴らしさには到底およびませぬが。
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