何しろ突然寝るところもなくなってしまったものだから数日間だったが妻の実家に転がり込んだのだが、そこを引き払う時に言われたのだ。
その場面がどういう状況だったのかうろ覚えなのだが、雨が降っていて、傘を差しながら車に乗り込もうとした時に、わざわざ傘をさして道路まで出てきて言葉をかけてくれたのである。
普段は激励はおろか、例えばボクに接する時は嬉しそうにニコニコしているだけの静かなお義母さんだっただけに、思いがけない行動に遭ってボクはびっくりしてしまった。
嫁ぎ先が丸焼けになってしまった娘の身を案じる気持ちもあったのだと思うが、それよりもむしろ「あなたがくじけてしまってはダメよ。しっかりなさいね」と、いたわりのこもった優しい気持ちから発した言葉として受け止めたから余計に身に染みたのである。
多分「ハイッ」とだけ答えたんだろうと思うが、それは驚いてしまって言葉が出てこなかったからでもある。それくらいボクにとって衝撃的で忘れられない一言として耳の奥に未だに残っているのだ。
それから5、6年経った頃だと思うのだが、老人ホームに移ったお義母さんが俳句を始めたと聞いて季語集を買ってプレゼントした。
数日たってお義母さんからお礼のハガキが届いたのだ。
そのハガキを見てまた驚かされることになる。
ワープロで打ったような事務的で味気ないものではなくて肉筆のハガキである。
まずびっくりしたのがハガキ一杯にぎっしり並んだ文字の流れるような美しさ。そして使われている漢字の豊富さだった。
それだけでも十分な教養を見て取るのに十分なのだが、書かれた文章を読み進むうちにさらに驚かされることになる。
文章がとても優雅で気品に満ちているのだ。
お礼状と言うのはこういう風に書くものか。言葉遣いひとつとっても、高等教育を受けたことが歴然とする内容で、しかも家庭を含めた生育環境が偲ばれる品の良い文章だったのだ。
文は人なり――という。まさに人柄を彷彿させる文章と言ってよく、戦前の日本の女子高等教育というのはこういう女性を育てたのかと、そこでも感心させられたものだった。
教養というものは付け焼刃で間に合うようなものではなく、身についていてこそ香り立ってくるものなのだ。
ああ、こういう文章を書く人に歳時記を送ったのだ、とボクは嬉しくなった。
あのハガキはどこにしまったのだろう。
93歳の誕生日に大雪が降り積もり、その解ける雪と一緒に昨日昼過ぎ、永久の旅に出てしまった。
長女の妻や弟の長男が枕元で見守っている最中に、すぅ~っと呼吸を止めたのである。
まったく静かで穏やかな旅立ちだった。
2018年1月22日の大雪
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heihoroku
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