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平方録

思うところがありまして…

急に思い立って、それまで身に付けていた短パンと半袖のTシャツを脱ぎ捨て、夏は滅多に履かないGパンとこれまた長袖のシャツで肌を隠し、麦わら帽子をかぶって庭に出た。
ついでに印せば、肌が露出している顔や首筋には虫よけスプレーをかけ、腰からぶら下げる蚊取り線香入れには火を点けた蚊取り線香をくゆらせての‶完全武装〟である。

庭の一部に草ぼうぼうになっている場所があって、それ以外のところは山の神がちょくちょく庭に下りて草むしりしているのできれいになっている。
その草ぼうぼうの一角はバラが多く植わっているのでボクの担当なのである。
見苦しい光景は毎日毎日、目の端に映ってはいたのだが、その気になることはなく黙殺し続けてきた。
それが急に思い立った動機は一体何なのか。
その辺はボクにもよくわからない。というか、明確な動機があったわけではなく、何となく「よしっ!」と不意に決心がついたというだけのことなのだ。
強いて挙げれば、梅雨明けが間近に迫っていることと関係があるかもしれない。
動機なき殺人…なんてのが文学のテーマになるかどうか、そんなもの最近は流行らなそうだが‶動機なき決心〟ってところか。

実は草取りは「好き」なのだ。
地べたにはいつくばって一心不乱にしつこい草を根こそぎ引っこ抜く…
根気のいる作業だが、その時点での「ひたすら感」というのか「没入感」というものが好きである。
何も考えずただひたすら草を引っこ抜いていればいい。
禅にも通じるところがあって、足を組んでひたすら坐禅をすることはつまりこういうことなんだなと、草をむしっていてしばしば思う。
昔、どこぞの坊さんが敵国に攻め込まれ、寺に火を付けられて「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と叫びながら焼死したそうだが、同じことだろうと思う。

地面にはいつくばって背中を大空に向け、一心不乱に草をむしっていると、やがて雲が途切れてきて雲間からギンギラギンの真夏の太陽が降り注いできた。
その背中のジリジリ焼き付けてくる暑さに思わず空を見上げると、そこには真っ青な空と真っ白な太陽が強烈な光を送って来ていた。
まさにこの瞬間、てっきり梅雨が明けたのだと思った。
去年は梅雨明けが遅れて関東の梅雨明けは8月1日だった。
大好きな夏なのに損した気分だったが、20日までに開けてくれれば例年と変わらない。
ヨシヨシと思ったのだが、気象庁の辺りではボクが背中に感じた強烈な真夏の太陽はなく、この青空も見えなかったらしい。

ともかく、一足早い真夏の太陽を背中に浴びて2時間半。
汗でぐっしょり濡れたGパンや長袖シャツを脱ぐのに一苦労したが、庭の雑草はきれいに姿を消した ♪
これもひとえにただひたすら地面に這いつくばり続けたお陰である。
シャワーを浴びた後、これまでなら冷えたビールをグゥィ~ッとやるところだが、これも思うところあって、冷えた麦茶にしておいた。
さまざま思うところに素直に身を委ねた1日だった。
こういうのが案外いいのかもしれない。


(見出し写真は近所の池と森の公園のガマの穂)
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