今日10月22日(水)朝から休まず一日中小雨である。
今年は本年は春からお寺の世話役の一年の期間となり配り物等を配布している。
昨日は早朝の小雨の降る前に大至急で13戸の檀家に「同朋新聞」10月号とお寺の寺報を配布した。
「同朋新聞」は真宗大谷派東本願寺が毎月出している。
12ページであるが書かれている内容は難しく一般の人は祖父や祖母の方が若い衆が勤めに出ていられる家であれば若い衆は読んでいないのではないだろうか。
編集者の内容の狙いはこの読む人の学歴をどこに中心を置いているのだろうか。
お寺の宗教感について一般的にいわゆる寓話としていわゆる子供の頃から信州・善光寺の「牛につれられ善光寺」の善光寺に近く住んでいながらお寺をお参りをしていない。
越前・福井の寺の若い嫁の宗教心に嫉妬を焼いてお婆さんが鬼の面をつけて脅した「嫁おどしの肉つきの面」で嫁と一緒にお寺へ行き改心した話である。
何れも2人のお婆さん、年寄りであるが現在のこの「同盟新聞」は読まれているだろ うか。
家の西性寺さんには今月の10月29日(水)は報恩講であるから大勢の人の参拝を願つている。
この報恩講は宗祖親鸞聖人の命日(弘長2(1262)11月28日・90歳)であり、特に聖人750回御遠忌讃迎記念に力を入れている。
本来はこのように11月28日頃になると雪が降り出す荒れ模様の季節であり、参拝者の年寄りを考えて昔から当お寺は1ケ月を早くしている。
梶屋敷・田伏の子供達は「雪が降りやゴマンさん」(御満座のこと)と言つていた事が子供の時に聞いていたものである。
越中・富山は真宗王国、この頃になると荒れる、「荒れは鰤おこし」、この時節でもある。
高田別院と言う、真宗大谷派高田別院である、秋になると高校に通学していた頃に「おたや」と言う法要があつた。
稲の刈り取りの最盛期の頃であるが、3日間であるが多くの人が近郷の農家から参拝に来ていた。
通学の途中にあるお寺であるがその法要を見るとは思わず見た事は級友からも声がかかる事がなかつた。
「おたや」とは何んであつたのかは知らなかった。
稲刈りの多忙の最中に参拝するそれが高田の人達の信仰心が高かつたのである。
この高田の仲町に瞽女(ゴゼ)の住む家がある、早春から西頸城を始めとし中頸城、東頸城えと廻り信州善光寺平、松本平方面までも旅をしていた。
その中でただ「おたや」には必ず帰り参拝していた。 これが高田瞽女の宗教心であり、旅を毎年行う旅人であり、この旅で倒れをしなく健康で回れる事に感謝をしているのである。
盲目は仏の願いである。
米 「絵日記ごぜを訪ねて」斎藤真一著(日本放送出版協会) 高田瞽女 杉本キクイ6人の家族であるという資料がある。
写真の説明
1枚目は 「おこさん袋」と言う主に米の1升と2升を入れていた。
2枚目は 横町・西性寺家の菩提寺である。
3枚目は 親鸞聖人の像、郷津の浜陸上の地に立つ。
4枚目は 瞽女の旅姿である。