hazar  言の葉の林を抜けて、有明の道  風の音

細々と書きためたまま放置していた散文を、少しずつ書き上げ、楽しみにしてくれていた母に届けたい

永 遠

2024年01月02日 | 絵画と詩歌について

ティム・ロゥリー Tim Lowly(1958-)大地の上のテンマ Temma on Earth 1999  (笹井 宏之
板に アクリル Acrylic on Wood 248.92 × 365.76 cm フライ美術館 Fly Museum     (1982-2009)
                                『えーえんとくちから』2010)
繊細で 全て異なる 白から黒へ 黒から白への 諧調
真っ白は どこにもなく 全ての内に あり
真っ黒は どこにもなく 全ての裡に ある
その 同じ諧調に 包れ テンマは 居る
色は 全ての中に 兆し 未だ 眠っている

ティムの娘 テンマは 1985年 生れ
14歳の 彼女は倒れている わけでは ない
そっと そこに置かれた

誰にも聴こえなくなった 大地の鼓動と 大気の振動
海の満ち引きを 血潮に聴いている
封じ込められている と 同時に 開け放たれている
命が流れ出て 時空に解き放たれ
過去や未來が 夢のように入って來て また出てゆく
輪舞するように 手を取り 手を放し その時を
全うする

ティムの テンマの繪は Anasallo の 2nd Album Canopy Glow
(2008)の ジャケット に なった
折り畳まれた 紙を開くと 歌詞の記された裏に
全図が 広がる 本物の大きさには 及ばないが

花を折つて ふり返て 曰く あれは白雲
藤野 古白(1871-1895)1890~92 頃)

ひきよせて 寄り添ふごとく 刺ししかば
声も立てなく くづおれて伏す

宮 柊ニ(1912-1986)『山西省』1949)

石田 徹也 Tetsuya Ishida(1973-2005)体液 Fluids c. 2004 頃
アクリル、油彩・カンヴァス Acrylic and Oil on Canvas 45.5 × 53.0 cm

誰も居ない 鏡の向う
もう永いこと 開かれていない
蛇口から 夜ごと 滴り落ちる
音 滲む 波紋
点いていない 灯りに瞬く 翳
夜更け 蛇口は 仄光る項となって
転がり落ち
陶器の縁に 移り住んだ
薄蒼白い 凝視の
絡まり合った 未來が
二重螺旋の
海溝の潭から
結晶化した フナムシの祖先を 回収し
頭蓋の内に溜まった 水明に 解き放つ
太古の海より とめどなく 溢れる涙は
どよめく羽を 夢見る肢先の 鰓より
大気中に撓み 垂れる二本の触角を 伝い
眠れる あなたへと 還ってゆく
踏切の 鳴る音 どこか遠くで
歪んだ車輪が 回ろうとして 震え
点滅は オーロラの搖らめきに
暗く 昏く 霧消してゆく

できるだけ ふるい まぶたを あけてみる
そこには 海が ある はず なんだ

笹井 宏之『えーえんとくちから』)

一本の蠟 燃やしつつ
妻も吾も 暗き泉を聴くごとく ゐる

宮 柊ニ 『小紺珠』1948)

       
笹井 宏之『八月のフルート奏者』2013)

蝶々の まなこ くらみぬ 散る桜
藤野 古白 1890~92 頃)

さよならの こだまが 消えてしまうころ
あなたのなかを 落ちる 海鳥

笹井 宏之『えーえんとくちから』)

稲青き 水田見ゆ と ささやきが
潮(うしほ)となりて 後尾へ伝ふ

宮 柊ニ 『山西省』

水底に 骸骨も あり 角田川
藤野 古白 1889-9-20 頃)

正岡 子規の従弟 藤野 古白 は 短銃自殺
宮 柊ニ は 第二次世界大戦を兵士として
大陸に戦い 帰還 七〇代で亡くなる 晩年
満身創痍で 萬病と闘った

笹井 宏之 は 身体表現性障害で 早逝
石田 徹也 は 踏切事故で 急逝

石田 徹也 Tetsuya Ishida 無題 Untitled c. 2000 頃
アクリル・カンヴァス Acrylic on Canvas 194.0 × 162.0 cm

何かが 思い出せぬ 飛蝗のとぶ中で
坪井 祭星

(語るべき友も なくて)
橋踏みに ひとり行くなり 秋の暮

藤野 古白

救出 という題の 繪の 背景は
霧に霞んだ 病棟か 室内のようで
丸くなろうとして 果たせず
こと切れたような 犬もいる
あなたを 助けに來てくれた人は
あの世からで その手に 未だ届かない
燃え盛る 音もなく 冷たく
その内側から 出て往かねば ならない
全ての人を 救うため
自分自身を救いたい と願いながら
それでも 開かれた窓の こちら側で
立ち竦んだまま
助からなかった 人の心を
その苦しみの 深みへ どこまでも
探し 連れ帰ろうと する
過去の くすんで 折れ曲がり
鎖された片隅で 独り慄く 幼心に
伸ばしても 伸ばしても 届かない手を
嚙み千切り 吐き出して
そこに 繪筆が 握られているのを 見る
未だ 描こうとして 震えている


石田 徹也 Tetsuya Ishida 再生 Reincarnation 2004
アクリル、油彩・カンヴァス Acrylic and Oil on Canvas 45.5 × 53.0 cm

鳳凰は 炎の中から その灰の中から
飛び立つ というが
繪は あなたの命を無限に切り刻み
聖餅のように 突きつけ
観る人の目に 呑み下させる


フリーダ・カーロ Frida Khalo ドロシー・ヘイルの自殺 the suicide of
Dorothy Hale 1938 油彩・メゾナイト Oil on Masonite 60.4 × 48.6 cm

鳥のように 雲が
落下する 女性を 覆っている それは
カンヴァスを 飛び出し 額縁に 広がってゆく
大地に逬る 血も
若くして バスの事故で 画家
腹部に 深い傷を負い 生涯
苦しんだ
彼女が愛した 21歳上の 名だたる画家の夫は
彼女が流産
手術を繰り返す間
彼女の妹と 関係を結ぶ

フリーダ・カーロ Frida Khalo 愛は 宇宙を 地球と 私自身であるメキシコを ディエゴと 犬の
ショロトゥル氏を 抱き締める Love embrace universe, the Earth, Mexico myself, Diego and
senor xolotl, 油彩・メゾナイト Oil on Masonite 70 × 60.5 cm 1949 個人蔵 Private Collection

あなたが 祖国となり 全てを抱き締め
宇宙の中の 一滴として 愛を漲らせ
とめどなく溢れさせ続ける なら

レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci(1452-1519)ベツレヘムの星(オオアマナ)と
その他の草花 A Star of Bethlehem and other plants 紙に 赤チョーク(サンギーヌ)ペン・インク
Red Cholk, Pen and Ink 19.8 × 16.0 cm(sheet of paper)
c.1506-12頃 Royal Collection Trust


レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci(1452-1519)大洪水 Deluge
紙に 黒チョーク
Black Cholk 16.1 × 20.7 cm(sheet of paper) c.1517-18頃 Royal Collection Trust

きっと辿り着ける



レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci(1452-1519) Salla delle Asse(板の間)1498

渦巻く 葉も 逆巻く 洪水も 板から 幹を伸ばし 樹冠を繁らせる 森林も 抜け


Martin Ramilez マルティン・ラミレス(1895-1963)作品
(羽のような 森に覆われた 山のトンネルから 出てきた列車)

メキシコ 生れ の ラミレスは
若くして 3人の子と身籠った妻のため
単身 合衆国に移住 5年間 鉄道で働いたが
全く英語ができず 間もなく職を失い
ホームレスとなり 施設に収容され
統合失調症から緊張症と診断されて
30年以上に亙り 病院に収監され
近隣の大学教授に絵画の才を認められ
作品が保存されるようになったが
病院を出ることも 故郷に帰ることも
病が癒えることもなく 亡くなった

夢の中 どこか 背後の 上のほうに 居る
視野に 入り切らない 程 大きな 大きな
天使の 解け 縺れた翼の みっしり生えた
羽毛の 間から 蚯蚓腫れの 蛹のように
盛り上がる トンネルを抜け ミルク色の
地肌に ジッパーのように 浮ぶ 線路から
滑らかに 湧き出す 列車に 乗り


アレックス・コルヴィル Alex Corville(1920-2013)日の出 Sunrise
紙に カラー・セリグラフ colour serigraph on paper 30.5 × 60.3 cm

夕闇のような 日の出に
背を向けながら 舟を漕いで 力一杯
画面の こちら側に 居る あなたを 乗せて


ヘールトヘン・トット・シント・ヤンス Geertgen tot Sint Jans(c.1464-c.1495)
荒野の洗礼者聖ヨハネ John the Baptist in the Wilderness 1490 オーク板に 油彩
Oil on Oak 41.5 × 27.9 cm ベルリン国立絵画館 Gemäldegalerie Berlin

空の青と 大地の赤が 夜明け前と 日暮れ後の
全き闇の中で あなたの鼓動と 微笑みに照らされ
微かな色を帯びて 目覚める時
その色を纏う あなたが 素足を僅かに重ね
渦巻く命が 降り注ぐのを 追い駈け昇る
二重螺旋に 想いを馳せている

テンマの 靴に覆われた 足 袖口から覗く 握り締められた ままの 手
テンマは 歩いている ずっと 見えない だけ
テンマは 探している ずっと あまりに 早く
テンマから 翔び去って行った ものを 時空を超えて

天から 地に堕ちた 魂 と
地下を脱し 地上に隠れる 魄 が
互いに惹かれ 結ばれて
肉体に宿った のが 人間 だという
だが 衝撃を受けると ただちに飛翔し
天上に帰ろうとする 魂 を 追い
黒々とした 峯と化した 魄 は なすすべも なく
降下しつつ 振り仰いだ 中天に
嬉しげに 遠ざかってゆく 魂 を見出す
(原田 憲雄 訳注 李 賀 歌詩論 1 蘇小小の歌 平凡社 東洋文庫 645)

  
葛飾 北斎 Katsushika Hokusai(1760-1849) 横山 大観 Yokoyama  Taikan(1868-1958)或る日の 富士越龍図 部分 Detail of Dragon Flying     太平洋 A Day in the Pacific Ocean 紙本 彩色          over Mt. Fuji 紙本 墨画 Chinese Ink on Paper  Colour on Paper 1952 135.0 × 68.5 cm 東京国立近代
 170.0 × 88.5 cm 個人蔵 Private Collection
  美術館 The National Museum of Modern Art, Tokyo


ビルケランド電流(白鳥座 ループ) (interstellar)Birkeland Current(the Cygnus Loop)

巨大な送電線 はっきりと撮影された宇宙のフィラメント
これは 白鳥座 ループの 超新星 残余を クローズアップしたもの
秒速 約 170 kmで 画像 上方向に 動いている 巨大な 衝撃 前線 の 一部分
宇宙には このような フィラメント 構造 が 多く 存在し
その内部には ビルケランド 電流 と 呼ばれる 電流が走っている
大規模構造 銀河系 太陽系 太陽フレア オーロラ など
宇宙の あらゆるスケールで 確認されている

ノルウェーの 偉大な科学者 ビルケランド
1917年 日本滞在中 東京の上野精養軒ホテルで
睡眠薬の量を誤って 摂取し 死去した
自殺した とも言われ 寺田 寅彦
この事件を 随筆『B教授の死』に書いた

ため息は 風 と なり なみだは 水 と なり
無事を祈る 心は プラズマの 流れ と なり
爽やかな 風に 包まれ 清らかな 水を くぐり
温かな 光の もとへ 巴 成し ともに


ビューティフル 公式予告編 Biutiful Official Trailer 1:47-1:48
監督 アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ Directed by Alejandro González Iñárritu


ルネ・マグリット René Magritte 会話の術
L'Art de la Conversation 1963
油彩・カンヴァス Huile sur toile 46.4 × 38 cm 個人蔵 Collection privée

行き着く先が どこで あろうと
独りでも もはや 魂魄を 失っていても
かつて ともに あったことを 想い出し
まことを尽くし 最善を尽くし 力の限り
全ての 生きとし生けるもの の
亡くなられたもの の
生まれて來なかったもの の
これから生れるもの の 全てのもの の
幸せを願い 諦めない あなたに ついて行く


ユダの木

2021年12月18日 | 散文詩

             Arvo Pärt - My Heart's in the Highlands
ポール・ゴーギャン  Paul Gauguin(1848-1903) ゲッセマネの園で祈るキリスト
Christ in the Garden of Olives(1889)油彩 Oil 73 x 92cm Norton Museum of Art


いつからか
内なるハリガネムシに突き動かされ
水へ飛び込まねばとふらつく
カマドウマを見るように
シモンペトロがユダを見ている


搖らめく光
溢れ温かく爽やかな
この世に轉び出る前の
樂園


邑からの帰り道いつも途中まで
ついて來る男の独り言めいた
囁きを
耳の奧でもう一度聴いている
ユダは後頭部から一方の目へ
昏く明るく巻き上がりながら
透り貫けてゆく痺れるような空漠に
身を潜らせ続け


己が接吻する相手がナザレの
イエスとして連行される
なら
他の誰かにすればよい


何をしてもしなくても
次次神神の怒りを買い
窶(やつ)れ果てた若者は最期の
日日潭(ふち)の縁に凭(もた)れ水底から
搖らめき昇り來る己が面影
を待ち侘びたと云う

小さな黄に搖れる影
囁き亙る仄かな馨
月に小暗き
翳差し
憧れに根差した汞(みずがね)

樹が恨みの實
を滴らす

同じ顔が蒼白く歪み浮腫んで
冷え冷えと石畳の床に反射する
灯明りに血溜りが搖れ
蕩けゆく唇に觸れた細く長き悲鳴が
頽れゆく三半規管にいつまでも木霊する

汞の仄かに煌き滑る樹膚に映る顔
が鎖した瞼の底から浮び上がって來る
ように主の頬に映る己に接吻する

のは目覚めれば跡形もなく憶えておらぬ
夢の中今宵夢の外で
十二人の内の誰かにせねばならぬ
先刻より胡散臭げに睨め付け
己だけが主を理解し守つている積りの
独り善がりの石頭にすれば
主は哀れまれ
奇蹟を起こされる
かも知れぬ
己がためには起こされぬ
ゆえ人がため起こされる
よう御膳立てすれば
皆平伏する奇蹟を起こされ
主の天下となる
やも知れぬ

                Sting - Desert Roseフィンセント・ファン・ゴッホ   Vincent van Gogh(1853-1890)
ひまわり Sunflower London National Gallery


シモンペトロの眸の後ろでは未だ時折
かつてと似た怒りの炎が搖らめき
重なり合って漣のように
皴の寄った水面に散り敷き
指を浸すように伝い降りて來る葉影に
吸い上げられて主の眼差しの傍らで
不意に退いてゆく

何故眞實は主の下に集うのか
集うのみにて何故主を守らぬか
何故主は愚かさを正し悪を退けぬか
愚かさは何故主を慕うあまり悪と化し
傷つけ打ちのめさんとするか

何故主は埋もれた夢や忘れられた眞實
眠れる願いや涸れた望みを引き出し
薄日差す凍える心に置いたまま
それが力を振り絞り咲かんとするを
信じ微笑み見守り励ますか
咲けぬものが打ち萎れ斃れ伏す時
その掌の中で甦り咲き誇れる幻を
猶も信じ勞り愛でるのか

主の袖を鷲掴み
シモンペトロはもどかしく
千切れ落ちる言の葉を接ぐ
吾と衣を取り換え吾が坐る巖に
坐られてくだされ今すぐ
今宵曇った眼に主が吾に
吾が主に映るよう


疑い虞るればそれは形を得
牽き出されよう闇の奧から
奔流となり灌ぎ込む
闇を見つめる眼差しの奧から
反射し殖え視野を覆い
膨れ上がり払い除けんとすれば
血塗れになるその血はすべて
吾が血
その目は澄んで微笑んでいる
ように見え
底知れぬ哀しみに満ちている


シモンペトロの埃塗れの脂ぎった頭巾を被り
シモンペトロの擦り切れ経たった草履を履き
シモンペトロの坐るごつごつした岩の傍らで
主は待っていた

赦し救うため
遙か昔や遠い未來の
見たことも聞いたことも會うことも
なき連綿と続く数限りなき人人を見晴かす
その目が闇の中近づくユダの目と耳と咽を貫き
明明と燃やす

木木を隔てる空隙だけが燃え
汞の鏡張りの木が炎に包まれ姿を顕す
誰にも見られず
己さえそこに在ると知らなかった
鏡張りの木が
光速で広がり進む主の眼差しの縁より浮び上がる
絶対零度の全てを止める焱に燃え

縺れ躓き倒れかかると
ユダは抱き止められた
虞るるな
相応しきときところ
全き眞の形で願いは叶う
命の限り担い支え命盡きても支え続けん


主の清らな頭巾を被り
主の小さな草履を履き
主が
独り 張り裂ける胸を励ましながら歩んだ園の
誰にも聴こえぬ神の言の葉が戦ぐ木の間で
主の馨に慄き開き切ったシモンペトロの瞳孔に
ユダが頽れ主に支えられるのがぼんやり映った
霧に鎖された鍵穴から己の内を看るように
シモンペトロは赤黒く暗転する霧に額から突込む
節くれ立った手で引き攣り泳ぐように目の奧の霧を掻き毟り
払い除け主の御手からユダを削ぎ落さんと

轉がる巖のように走り
背後から從者の劍を抜き放ち
驚く從者の耳をシモンペトロは削ぎ落した
その耳が聴いたかも知れぬ
主の赦しを追い散らし飛び立たせようと
相応しき地へこの世にはなき空の彼方へ

                       KONGOS - Traveling onエル・グレコ  El Greco(1541-1614)ゲッセマネの園で祈るキリスト
The Agony in the Garden
 油彩画  Oil Toledo Museum of Art


目を鎖し立ち盡し
主の言われしまま三度
シモンペトロは主を知らぬと呟く
鷄が時をつくる前蒼き静寂の裡
吾は知らず吾は居らぬ居らぬ吾の
裡に御座す主を知らずいまここに
居るは主を裡に護る名無き抜け殻
主の命の炎だけを映し宿し
その温もりに涕し融け消ゆる

一足ごとに踏むと沈む
霜柱で出來た人が融けながら
二人に別れ夢の中のようにふらつき
互いに遠ざかるシモンとペトロの
透き通った影が棚引きながら
煙のように裂けて落された耳の形に蟠(わだかま)り
葉擦れと羽搏きの入り交じる
幽き音が木霊しつつ零れ出てゆく
全き空を明明と照らし出す閃く命の火


耀ける向日葵の日輪の黄金色

六価クロム
鼻から脳を灼き盡され
焼け野原に削ぎ落された耳だけが赦しを聴き
命の火は吸い出され灌がれて
燃え続けいつしか褪せゆく花びら一ひら一ひらの裡

                         Black - Wonderful Life
首を吊るユダ(ロマネスク時代)サン・ラザール大聖堂(オートン  フランス)
Judas hangs himself La cathédrale Saint-Lazare, Autun


眩く耀く谷を埋め盡くす向日葵
何處より來たりしか
背を向け歩み去り続けた己に
額から減り込んで想わず目を開くと
見たこともなき向日葵の花が
全天を覆う光の重く沈んで來る漲る焱を振り仰ぎ
六価クロム
が音もなく果てしなく降り注ぎ
五感を抉りその澪で暗黒の哀しみの滴を沈ませる
何處までも落ち込む滴は光速の孔となり
命を無の彼方へと進め退ける

昏き紫の闇が大気を吸い上げ灰の匂いが漂う
昏いので見えぬ黄の花がどす黒く立ち枯れている
全てが独りの息を吸うことも吐くことも出來なくなった
項垂れた姿からフィボナッチの螺旋を巻き
死の谿を埋め尽くす灼熱のようでも極寒のようでもある
内から灼け焦げ干からびた虞と憎しみ

渇き涸れ枯れ果ててなお
花開かんと永劫の深き潭より首を擡(もた)げる
ユダの木

刺客たちがもうやって來る
敵からか味方からか
過去からか未來からか
怒りからか後悔からか
外からか内からか
两方から四方八方から
鏡張りの中心から空漠の果てから
全ての死角から

いつからか
遙か昔からそこに在る
絞め殺しの木
中心に聳え立っていた
大樹の幹の形の空洞を
いつまでも撫で摩り
吾身と抱き締め
つま先立ち浮き上がり裏返り
どこまでも
似て非なる姿を接ぎ矧ぎ仁王立ち


虞るるなと主は云われた
遙か昔
星星が舞ひ神が人に近くあらせられし時
人の心に果てしなき虞れと
神を真似ればいつしか神となり
人を虞れさせんとする憧れが芽生えた

神の力を以て世界を変え命を弄び
愚かな人人のためと称し
力を奮い人を制し支配せんとすれば
持ち堪えられず頽れ毀れ滅ぶ

主を神と人との子と信じ
神の心を想い人の力を盡し
持てるものを分ち互いに尊び助け
生きる

なら最期の時に顕れる内なる扉の
鍵となり死に瀕した手の中に
ユダは顕れその胸には燃え尽き
破れた心臓の形の鍵穴が開くかも知れぬ
自ら鍵差し回される度抉られながら闇となり
閾となり人として盡くされた全き命が
赦され変容するのを支える

いつかすべての命は変容し
鍵は鍵穴に差し回されたまま
人は生れ人は死に
失われし己を探して
足下に引き摺り踏み拉くのを已め
傷だらけの己を清め弔い
背中合せの己の半身と再び向い合い
一つに重なり眠る日が來るかも知れぬ

                                       Levon Minassian - Bab'azizSalvador Dalí Les atavismes du crépuscule (Phénomène obsessif) サルバドール・ダリ
D'après "L'Angélus" de Millet ca. 1933
Oil on wood 13.8×17.9cm Kunstmuseum Bern
ミレー《晩鐘》の悲劇的神話 (パラノイア的=批判的解釈)
1933頃 板・油彩 ベルン美術館


それは闘牛みたいな繪
殺された牛が二頭刺さったままの槍から
血を滴らせながら斃れた闘牛士の
小さな遺骸を悼んでいる
のではなくミレーの「晩鐘」
項垂れた男女二人は埋葬したばかりの
死んだ赤ん坊を悼んでいる
とダリは想い描いた

ミレーの繪をX線で見ると二人の間の地面に
赤子の亡骸のように見えるものが描かれていて
上から土を掛ける如く地面が描かれ
塗り潰されているとダリは云う

男の頭から荷車に積んだ壜と袋が
血の流れる鍵になり虚空に棚引く
女の背に荷車の舵棒のように
その鍵の彷徨へる先端が刺さり
首を垂れ女は男の胸に空いた                              
鍵孔へ失われた子を戻さんとして叶はぬ


ASMR - Rainy Sound & Solfeggio 528Hz Csalogány(Luscinia megarhyncos)
HAYASHI-NO-KO - ハリエンジュ


日差しが翳り花の影に一瞬
俯いた顔が廻って消える

永遠が一瞬に繰り返される
春の間亡き人を憶い甦らせる冬が來て
落ちゆく葉の下で鎖された水鏡の縁へ
顔を出す古き虞れと哀しみの聲なき木霊

くっきりと晴れやかに心から望めば
羊歯の葉がゆっくりと解けて蜥蜴になり
轉がる鍵穴になり鍵となって歩み入り
命から命を開く
虞れいきり立つ心が恕されて涕に融け
羽搏き昏き大地を覆い曉に和し歌うまで
待っている


ASMR - Binaural Sound
      Lhasa de Sela - Con Toda Palabra
HAYASHI-NO-KO シダ

    
M.C.エッシャー Escher House of Stairs リトグラフ Lithograph Novembre 1951年11月      


月明り 銀色に木が搖れる
木霊が息をのむように闇に吸い込まれ
痕が搖蕩(たゆた)う

オリーヴの園の闇に彷徨(さまよ)う視線の
仄かな明るさが満ち退く
御身を吾身に吾身を御身に
自らを吹き消し見失ったすべてを越え
曉へ回帰する闇の閾から滑り落ち
水孔から滴り
ユダとシモンペトロの涕が
凍って銀河を果てしなく遠ざかる
失われし永劫の道を帰るため

ユダの木が暗黒の道を点点と照らす
内側に人けなき空漠を抱えた鏡張りの幹が
燃えながら六価クロムの雨を涕する内から
燃えながら神の言の葉を聴かんと闇に沈んだ
の耳の花を咲かせているユダの木

Potseluy Judah Merab Abramishvili მერაბ აბრამიშვილი(1957-2006)
 ユダの接吻 メラブ・アブラミシュヴィリ16 March 1957 – 22 June 2006)


流離(さすら)ふ橋 (承 前)

2019年10月03日 | 散文詩

 【描かれた 仲國(實國)】

下村 観山(1873-1930)にも 菱田 春草(1874-1911)にも
大正~昭和初期の 作例に 嵯峨野を彷徨(さまよ)ふ「仲國」が 見受けられる
春草の横額は 大正末には「業平(なりひら)」の画題に 変わってしまうのだが
 
小さなモノクロ写真で見る限り 春草の横繪(よこゑ)は
黒ずんでしまった 銀の望月に照らされた 薄(すすき)の原を
馬上の膝まで 埋もれながら 掻き分け 進む
 
それに対し 観山の竪軸(たてじく)では 乗り込んだ 流れの途上
途切れ途切れに聴こえて來る 箏(こと)の音に耳を澄ます
仲國(實國)の乗る 馬の足下は 小さな白い花が
群れ咲く如(ごと)く 早瀬の波が逆巻く
細部は判然とせぬ ものの
春草の仲國(實國)が 先ゆく徒歩(かち)の 供の者を
連れているのに対し 観山の仲國(實國)は 独り騎乗する

春草 観山の どちらも 仲秋の
満月に照らされた 白馬のようだが
 
別に ほぼ黒地に 白の斑(まだら)の
淺瀬に立つ 馬の繪(ゑ)を見た 憶(おぼ)えも ある
 
 
 【朱華(はねづ) 黄丹(おうに) 水淺葱(みづあさぎ)】
 

夢の中で 誰かが薄暗い茶室に独り坐っている
殆(ほとん)ど見えぬ 床の間に幽(かす)かに
黄昏(たそかれ)のように 軸が掛かっている
 
三対一くらいだろうか 
竪長(たてなが)の 大画面全体が
朱華(はねづ)か 黄丹(おうに)の やや薄まったような
高貴で温かな 淡い橙色の光に浸されており それが
 
広やかな 何もない
上半分より やや少ない ところでも
入り組んだ 葦(ヨシ)の繁る
下から三分の二くらいの うねりくねる
繁り立ち なびく葉の間でも
同じように 滑(なめ)らか なのは
すべてが 水面(みなも)だからだ
 
画面の四方(よも) 端から端まで
その水面(みなも)全体が 眠る柔肌のような
馨(かを)り立つ 温かな光に照らされている
 
左上に佇む 人を乗せた馬の
蹄(ひづめ)から脛(すね)までが
淡橙色の光の中に沈み込んで
陽に照り映え 温かく染まった 水の広がりが知れる
水紋や 漣(さざなみ)が まったく ない
時の絶えたような 広やかな湿地
 
朱華(はねづ)は 郁李(にわうめ)の花びらの色味に由来する
薄い紅色の 唐棣(にわうめ)と同じとする説や
黄色とする説などがあり 色名 朱華(はねづ)についても
中国の蓮の花の名が伝わったとも 郁李(にわうめ)の古名とも
 
褪(あ)せやすかった ことでも知られ 移ろふ心に かけた歌が知られる
 
 
想はじと 言ひてし ものを はねづ色の
うつろひ やすき 我(あ)が 心かも (大伴 坂上郎女 万葉集)
 
想うまいと(口に出して)言ったのに はねづ の(花の)色の ように
変わりやすい わたしの心よ
 
 
もう 想うまい と 聲(こゑ)にまで出して
自他ともに 宣言した のに 氣づくと また 想っている
というのは 変わりやすい どころか
変わろう としても 変わる ことが 出來ず
一途(いちず)に 想いつづける 自らを 嗤(わら)ふか
 
朱華(はねづ)色のように ふいに真直ぐに差し初め
あるいは 没し去ろうとする 陽の光を浴びて
淡く 初々しく 仄(ほの)かに耀(かかや)くように
染まった ように見えても
元來の色 染める前の 素地の色に
直ぐに 戻ってしまう という ことか
 
それなら 朱華(はねづ)色は 想うまい と言った ことや
自分が そう出來る と考えたこと そのもの であって
若さや 幸運や 美しさが そうである如(ごと)く
光のように 偶(たま)さかに降り注がれて 浴び耀(かかや)いても
傾き曇(くも)り黄昏(たそかれ)て 翳(かげ)り消えてしまい
殘らぬのだろうか
 
それは自分のもの ではなくて 仮のもの 借りもの なのか
 
馬上の人は ごく薄い 淺葱(あさぎ)色
(ほう)を纏(まと)っている ように見え
その色は 水淺葱(みづあさぎ)に近い のだが
これは 江戸時代には 囚人の纏(まと)う色だった
その色が 朱華(はねづ)色の光を浴び
斑(まだら)になって 双方の色が 相対する色の中に 見える
 
朱華(はねづ)色は 黄丹(おうに)色の淡い色だが 平安時代には
親王の纏(まと)う色で 禁色(きんじき)の一つだった
一方 薄められていない 黄丹(おうに)色のほうは 昇る朝日の色として
皇太子の袍(ほう)の色と定められ 今も禁色(きんじき)である
 
禁色(きんじき)の 昇る朝日の色が
囚(とら)われ人(びと)の色の中に浮び上る
互いに鬩(せめ)ぎあい 逃れては 身を翻(ひるがへ)し 追い求め
巴(ともゑ)なす 魂魄(こんぱく)の如(ごと)く
 
 
【未草(ヒツジグサ)の 花の間と葉の底に】
 
 
左右下より 画面全体を紆余(うよ)曲折しながら
淺瀬を満たす水に 迷路の籬(まがき)のように並ぶ
褐色に枯れた蘆(ヨシ)の葉が 靡(なび)き
茎の周りの 水面(みなも)に数多(あまた)
未草(ヒツジグサ)の白い花が散らばり 星々のように瞬(またた)く

その数 七十九 右上に 八 左から右へ 十七 十四 二十 二十
すべて 筆の穂先で 莟(つぼ)んだ状態を 描く
小さな卵型が深く切れ込んだ 浮き葉は もっと ある 三倍ほどか
蘆(ヨシ)と同じく 褐色に枯れている ようにも見える
 
が それもまた この差し初(そ)め あるいは 消えゆく
淡い黄丹(おうに)または 朱華(はねず)色の
陽光を浴びたから かもしれぬ
 
有明月 殘る かはたれ あるいは
日没直後の 望月 昇り來る 黄昏(たそかれ)

七十九は素数だが 和歌や俳句の 三十一 十七も 素数であり
歌や句を譜に 五七五の繰り返される 筝曲(そうきょく)の ように
蘆(ヨシ)の間の水面に ちらちらと小さく耀(かかや)く
光の破片が 上がり下がり並ぶ
 

陸 卿子(明末 1600年頃 女性) 短歌 行(後半)

悲歡未盡年命盡     悲しみと歓びとは 未(い)まだ尽きざるに 年命は尽き
罷却悲歡両寂寞     悲しみと歓びと 罷(や)み却(は)てて 両(とも)に寂寞
唯餘夜月流清暉     唯だ余(のこ)るは 夜の月の清き暉(ひか)りを流し
花間葉底空扉扉     花の間と葉の底に 空しく 扉扉(ひひ)

扉扉は ちらちらと 小さく かがやく 光の破片

(吉川 幸次郎『続 人間詩話』 その百 陸 卿子 朱 妙端 一九六一年四月 岩波新書 278 b)
 
 
その一つ一つが扉なのか どうしたら開くのか
 

褐色に枯れた 蘆(ヨシ)の叢(くさむら)の途切れた
左上の静かな水面に 斑(まだら)の馬に乗った 仲國(實國)が
後ろ姿で佇(たたず)み 遠く かすかな余韻に 耳を傾けている
 
これまでの紆余曲折の道を表すように
水辺の 蘆(ヨシ)の叢(くさむら)は くねり靡(なび)き進み

そこに 点々と躱(かく)れ浮ぶ 未草(ヒツジグサ)の
小さな白い花々が 偶(たま)さかに
小督(こごう)の奏でる 箏曲(そうきょく)の
仄(ほの)光る音符のように 消え殘る
 
蘆(ヨシ)の棚引(たなび)く譜に つぎつぎ灯(とぼ)る
未草(ヒツジグサ)の音色

身を捩(よじ)り逃れつつ 導く
かすかな音色を辿(たど)り 揺蕩(たゆた)ふ
目の前に ひらけた水を渡った 向う岸

躱(かく)れても 躱(かく)れても 薫(かを)り立つ
奏者の 嫋(たお)やかで 確かな気配

黒地に白の斑(まだら)の馬の 額や背の白は
仲國(實國)が 探索の旅の手掛かりとして集めて來た
箏(こと)の音色の よう でも あり

水に浸(ひた)った 蹄(ひづめ)の上に戰(そよ)ぐ 白い毛は
躱(かく)れながらも 導いて來た
箏(こと)の音色の かすかに瞬(またた)く 純白の煌(きらめ)きを
辿(たど)り染まりつつ 歩んで來たから だろうか

凍(い)てつく 冬の日の出の 左右に顕(あらは)れる 幻日
春の宵 殷殷(いんいん)と響きつつ 谿(たに)を渡り遠ざかる 鐘の音
胡蝶の夢を見つつ 眠る荘子の頭上に浮ぶ 透き通った 幾つもの顔

目に見えぬ 箏(こと)の 水面(みなも)に 棚引(たなび)き
とけ落ち 消え蘇(よみがへ)る 音色

    Claudio Arrau - Debussy, La cathédrale engloutie(沈める寺)
 
 【宮内卿(くないきょう)】
 
李 賀 と同じく 若くして 急な病に斃(たお)れた 女性歌人
宮内卿(くないきょう)(十二世紀末-十三世紀初頭)は 後鳥羽院に見出され
歌合に活躍するも 俊成 九十賀に 院から贈られる 祝の法衣に
建礼門院が 紫糸で 刺繍する 二歌の一に選ばれながら
贈られる 俊成自身が歌っているかのような 内容に作ってしまったものを
辛くも 二文字を替えられ 院からの祝の歌となるよう直された
経緯も あり 程なく「あまり歌を深く案じて 病になりて
ひとたび死にかけ 父から諌(いさ)められても やめず ついに早世した」
と伝えられる 享年 二十歳前後
 

うすく こき 野辺の みどりの 若草に
跡まで みゆる 雪の むら消え

軒 しろき 月の光に
山かげの 闇をしたひて ゆく螢かな

色かへぬ 竹の葉 しろく
月さえて つもらぬ雪を はらふ秋風
 
 
いまは もう 失はれ
いまは まだ そこに なき
朧(おぼろ)な名殘(なごり)
そこはかとなき気配を
見てしまはぬよう 視線を逸らし
そろそろ と静かに 心を開け放ち
聴き取らふとする
移ろひ 消えゆき
翻(ひるがへ)り 宿る 刹那(せつな)
 
俊成に贈られた法服に 縫い取られる際 直された歌は 次の通り
 
ながらへて けさ「ぞ」うれしき 老の波
やちよをかけて 君に仕へ「む」
ながらへて けさ「や」うれしき 老の波
やちよをかけて 君に仕へ「よ」

 
異なる 歌が載っている ように見える
 
 
行く末の 齢(よはひ)は心 君が経む
千歳(ちとせ)を松の 蔭に隠れて
 
 
心は 千歳 待つ 蔭に 隠れて
 
 
建礼門院は 高倉天皇の后(きさき)
高倉天皇は 小督(こごう)を愛し
高倉天皇の子 後鳥羽院は
宮内卿(くないきょう)の才を愛で
 
小督(こごう)は 音樂を愛し
宮内卿(くないきょう)は 詩歌を愛し
二人の歌う音色は 青空に透ける
月白(げっぱく)に浸され
咲いては 水底へ身を沈める
未草(ヒツジグサ)に似るか
 
 
 【魂と 魄と】
 
李 賀 に「長歌 續(また) 短歌」という歌が あり
その解説に 原田 憲雄 大師は言はれる
 
 
この詩は 昼の世界と 夜の世界との 二つの部分より なるが
夜の世界は 昼の世界に対応しつつ さらに幽奇である
 
夜の月を 昼の秦王に ひきあてて 説いてきたが
月は 実は 秦王の おもかげを存しつつ すでに秦王を超え
詩人の肉体を抜け出して 飛翔する魂であり
詩人は 実は 魂に去られながら 地を離れえぬ魄の
魂を慕いて鬼哭する姿に ほかならぬ
 
中国の人は 人間は 魂と 魄とが 合して
肉体に宿ったものだ と信じていた
 
魂は もと天上のもので 罪を獲(え)て
一時 地上に堕落したものである
 
魄は もと地下のもので たまたま脱出して
地上に その安住の居を 求めるものである
 
幽閉の黄泉を遁(のが)れた魄は
天上から來た魂の うるわしく気高い姿に
恋着結合し 肉体を愛の巣として 地上に宿る
 
魂も また 魄の可憐に心ひかれて
人間の世界を その住居とするが
もともと天上のものゆえ
何らかの衝撃を受けると ただちに飛翔して
天上に帰ろうとする
 
魄は 魂と結び その浮揚の力によって
辛うじて地上にとどまり 光明を楽しんでいるが
足は なお 黄泉の鎖が断ち切れていない ため
つねに地下に向って 牽(ひ)かれている
 
魂に去られては 再び闇黒(あんこく)の泉下に堕落せねばならぬ
そこで しっかり魂を捉へて離さず それでも己の手をすり抜けて
魂が上昇しようとすると 黒々とした峰と化して その後を追ひ
それも かなわずに 魂が月となって飛び去った後は
人間世界と黄泉(よみ)との境を 徘徊低迷するのである
 
人は そのような構造をもつ存在であるから
現実に不如意ならば これを棄てて 夢想の天上に遊ぼうとする
この詩の前半において 夏日のもとに飢渇しつつ彷徨した詩人が
夜の世界に歩み入ったのは 不如意の現実を去って
夢想の天上に遊ぶことを 歌ったものである
 
現実を去ることは すなわち死であり 魂魄の離散である
魂にとっては その離散は 地上の不如意からの脱出であり
天上の浄福への還帰であろうが 魄にとっては 地上の苦悩よりも
さらに恐ろしい 孤独 地獄への召喚に ほかならぬ
離離たる夜の峰の 不毛の石群を降下しつつ ふと振り仰いだ
中天に 嬉しげに遠ざかってゆく魂を見出したときの
魄のかなしさ うらめしさは いかばかりであったろう
 
「長歌 續 短歌」よりは たぶん後に作られた「感諷 五首 三」は
「漆炬 新人を迎え 幽壙 螢 擾擾」と結ぶ
漆炬は 魂に去られた魄を待つ 黄泉の迎え火であり
擾擾たる螢は 地獄からの脱出を果たさず ひとり さびしく 引き立てられて
泉下に帰る 魄に対して はなたれた 幽鬼たちの 声なき哄笑であろう
 
そうして この哄笑は また「蘇小小(そしょうしょう)歌」の 西陵の下に
雨吹く風となって 陰暗の世界に 冷冷たる鬼火を はなちつつ
永遠に吹きつづけるのである
(李 賀 歌詩編 1 蘇小小の歌 原田 憲雄 訳注 平凡社 東洋文庫 645)
聴こえぬだろうか
想ひ出せぬ 失はれて久しき調べが
柔らかなる指と 清らな唇が
音のせぬ 薄闇の膜一枚 隔てた 深遠の向ふで

この歌を奏でる花は 枯れ蘆(ヨシ)の下に躱(かく)れ咲き
人知れず寄る辺なき 侘(わ)び暮しの身
摘み取りて持ち帰り 密かに献上すれば
玉の階(きざはし)の籠の鳥 天の川に帰れるわけもなく
己自身が これを聴くのも最後と

この後(のち)ずっと また聴きたい と希(こひねが)ひ
その音色が消えた後の 静けさを聴き
閉ぢて沈む花の上に 鎖(とざ)されゆく水紋を
果てしなく空しく広がる 心に見るだろう

そう想ひながら 水面(みなも)に踏み込んだまま
佇(たたず)んで居たのは 誰だったのか
誰を探して 魄が 魂を 探すように
自らの翳(かげ)が 躱(かく)れ沈む 花と重なる

背後で高く昇りゆく 薄い満月が
空の闇の深みに 天の川を躱(かく)している
蘆(ヨシ)の茂みに劃(かく)されながら
仄(ほの)かに耀(かかや)き渡る水面(みなも)に
翳(かげ)は連なり咲いている

日暮れとともに閉ぢ 葉蔭に沈んだのに
それとも 夢見ているのだろうか
風に靡(なび)く形に月光を浴び
遠く廻(めぐ)る月を譜に記し
水底(みなそこ)に睡(ねむ)る 花の夢から
月白(げっぱく)に耀(かかや)く音色を 浮び上らせ

その音(ね)は あたりに立ち籠(こ)むる
月の光の背後に響(とよ)み
水底(みなそこ)に睡(ねむ)る 花の奥に明るむ
夢の音色を一つずつ 觸(ふ)れ渉(わた)りながら
逃(のが)れ躱(かく)れむとする
淡き片翼が水面(みなも)を翳(かす)め

映らぬ翳(かげ)を仄(ほの)白き響(とよ)みに浸し
両翼の幻となって 煌(きらめ)き消ゆる のか


夢から醒(さ)め 茶室を訪ねると
それらしき軸が 掛けられていた形跡は なかった
茶室へ通ずる池を渡る橋も 朽ちて久しい
杜鵑(ほととぎす)の聲(こゑ)が響くことも なかった
だが ずっと羽音は していた

胸郭の奥 いつからか そこに久しく捕へられて
肋骨にぶつかる 羽搏(はばた)き
繪(ゑ)の裡(うち)から漂ひ出(い)づる
月白(げっぱく)の調べの殘響が
消えゆくところ 橋は掛かる

いつか その橋を見つけ この羽搏(はばた)くものは また
飛び去ってゆくだろう
 
 
暗がりに 仄(ほの)蒼(あを)く光る
ずぶ濡れの 凍るように冷たい 手を取ると
叩きつけ 吹き荒(すさ)ぶ 雨の涙の中 轟音が途絶へた
 
黄昏(たそかれ)よりも 一滴(ひとしづく)の涙ほどに
温かき色が 初めて観る 翳(かげ)の顔(かんばせ)の
奥の 月かげの眸(ひとみ)から 初めて溢(あふ)るる
泉のように 伝はって來た
 
たをやかな馨(かを)り
見ると その手の中で 萎(しを)れ黒ずんだ
蘭草(フジバカマ)の花が 生き返り
仄(ほの)瞬(またた)く眼差(まなざ)しを咲かせていた
 
ふいに音もなく 大きな息を吐くような 風が巻き起こり
背後から数多(あまた)の蝶が ふはり ふはり 押し寄せた
一面に広がり続く 花に
 
誰も いない
永(なが)の雨が已(や)んで 蘆(ヨシ)の葉から水面(みなも)に滴る音
仄(ほの)かに甘い馨(かを)りが漂ふ
涕(なみだ)と微笑みを含んだ 伏せた眼差しのように
 
蘭草(フジバカマ)の花に 淺葱斑(アサギマダラ)が寄り添ふ
夢を
水底の未草(ヒツジグサ)の花が
見ている
水面(みなも)に散り敷く 月の光の翳(かげ)で
それとも
 
李 賀が 宮内卿の 濡れそぼった手を取り
黄昏烟(けぶ)る 年古(としふ)りた木の翳(かげ)から
歩み出すと そこは
一面に広がる 薄く濃き緑の野に 遅い春の淡雪が
消えゆく ところで
その手は ひし と 李 賀の指を握りしめ
視野の隅で 唇が燃えるように戦慄(わなな)き
 
永く緩やかに 白い息を吐くと
辺りは 月明りの宵に鎖(とざ)されゆき
白い手が置かれた壁から
視線は離れ
細く瞬き 燃える糸を曳いて
遠い山裾の森へ向ひ
草すれすれに かすかに速度を上げる

あなたは 何を見るか
月の光に 花は葉となり 葉は花となる
光は雪に 風は雨に
紅葉は消え 黒々と鎮(しづも)り
竹の葉が一枚 風に白白と搖(ゆ)れ
節の間で薄闇に眠る 冬の記憶を照らし
冷たい匂いを放つ
 
雨降りやまぬ 山かげの森の
蘭草(フジバカマ)の眸(ひとみ)から
旅立った螢が 月光の雪 舞う中
水底(みなそこ)で眠る 未草(ヒツジグサ)に夢を灯(とぼ)す
それは 箏(こと)の調べを明滅し
蘆(あし)を搖(ゆ)らし 笛の音を目醒(めざ)めさせ
水辺に眠る 旅人の馬の耳を欹(そばだ)てさせる
あなたは 何処に いるだろう
 
 
李 賀 感諷 五首 三 結句
 
漆(うるし)の炬(かがり火) 新(しき 死)人を迎え
壙(小暗き 深き墓穴)に 螢 擾擾(じょうじょう と 乱れ騒ぐ)


宮内卿

軒 しろき 月の光に
山かげの 闇をしたひて ゆく螢かな
 
 
螢が一つ 古く荒れ果てた墓穴を迷ひ出(い)で
山かげの蘭草(フジバカマ)のもとを目指し 飛んでゆく
昔 昔は 浅葱斑(アサギマダラ)か
 
月は 皓皓(かうかう)と耀き 想い返す 雪霽(はれ)の夜
忽(たちま)ち凍りかけ 螢は
白く鎖(とざ)された水面(みなも)へ 落下
 
遙(はる)か下で 実を孕(はら)み夢見つつ 永(なが)の眠りにつく
未草(ヒツジグサ)に その翳(かげ)が差す と
気泡氷結を伝い 靄(もや)が立ち昇る
 
螢は 夢から醒(さ)めたように ふらりと飛び立つ その後へ
薄い翳(かげ)が 身を起こし すい と 追い抜き 身を躱(かは)し
二つの螢は 絡み合い 二つの欄干を閃(ひらめ)かせ
夜明け前 消えゆく星星の後 扉を次次 開いてゆく
 
明け方 未草(ヒツジグサ)は  水底から
月へ帰った 蕾のまま
辺りには 箏(こと)の音色と
林鐘梅に似た馨(かを)りが 立ち籠めていた
 
星星の蔭で 螢が ひっそりと光を放つ
凍っては 融け
二つで 一つ
朱華(はねづ) / 水浅葱(みづあさぎ)
魂と 魄と
柔らかく 温(ぬく)く 薄く 涼しく

間 奏  ー 李 賀 と 李 商隱 ー (原田 憲雄 大師 と 吉川 幸次郎 博士)

2019年08月22日 | 随想
【李 商隱 の詩】

李 賀(791-817)小伝を記した 唐の 李 商隱(813-858)に
隆房卿(1148-1209)の 艶詞(つやことば)と よく似た詩がある

吉川 幸次郎 博士(1904-1980)の「この詩人については
この数編を以て もはや語らぬであろう」とされた 名訳を寫(うつ)す
 
他の いくつかの この詩人の作と ともに「無題」題しらず と題する
 

昨夜星辰昨夜風  昨夜の星辰(せいしん) 昨夜の風
畫樓西畔桂堂東  画楼(がろう)の西畔(せいはん) 桂堂(けいどう)の東
身無綵鳳双飛翼  身には 綵鳳(さいほう)の双(なら)び飛ぶ 翼 無く
心有靈犀一點通  心には 霊犀(れいさい)の一点 通ずる 有り
隔座送鉤春酒暖  座を隔(へだ)てて 送鉤(そうこう)は 春の酒 暖かに
分曹射覆蠟燈紅  曹(そう)を分ちての射覆(せきふ)は 蠟燈(ろうとう)の紅(あか)し
嗟余聽鼓應官去  嗟(なげ)く余(われ)は 鼓(つづみ)を聴きて 官(つかえ)に応じて去る
走馬蘭臺類斷蓬  馬を蘭台(らんだい)に走らせ 断蓬(だんぽう)に類(に)たり

事がらは 屈折した印象の かなたに ある けれども
遠い過去の時間の ことでは ない
 
ゆうべの星月夜のもと
そうして かすかに風の流れる ゆうべ
 
場所は 壁画のある 楼閣(ろうかく)の西がわ
木犀(もくせい)の植込(うえこみ)のある 座敷(ざしき)の東
 
そのとき そこで わたしは
はじめて あなたを見た
(おそらく大臣の邸宅(ていたく)である
 詩人は 座敷(ざしき)の宴席(えんせき)を抜け出し
 そこを 彷徨(さまよ)っていたようだ
 彼(か)の女も また そこに いた)
はじめて あう あなた である
 
なかの よい恋人に たとえられる
綵(あやぎぬ)の はねを もつ 鳳凰(ほうおう)が
翼を さしかわしつつ 飛ぶ
という間柄は もとより そこに なかった
 
しかし 何か 通いあう ものが あった
神秘な犀(さい)の角(つの)には
すっと一本 筋が 突きとおっている というが
そのような 不思議な交流が あった
 
多くの言葉を かわしあった わけでは ない
あるいは ただ ほほえみ だけを
かわした のであった けれども
 
私は宴会の席に戻った あなたも そこに いた
やがて 余興(よきょう)が はじまった
 
はじめは 蔵鉤(ぞうこう)の遊びであった
手のひらに ちいさな鉤(かぎ)の
いくつかを 蔵(かく)しもち
相手に その数を あてさせる
 
人数が偶数ならば むこうと こちらと
「座を隔(へだ)てて」二組になり
奇数ならば 余った一人が 遊軍になり
双方の間を往來する
(と 周 処の『風土記』に見える)
 
あなたは 遊軍になって 私のところへ やって來
かわいい こぶしを つきつけた
数を あてそこねた私は 罰杯の酒を のんだ
あなたの ついでくれる 春の酒は 暖かだった
 
つぎには 盆の下に 覆(おお)いかくされた
ものの名を 射(い)あてる遊び
やはり 曹(くみ)を分けて ふた組になった
顔を近づけた二人のそばに
蠟燭(ろうそく)の ともしびが 紅(あか)かった

しかし 私は けっきょく
一介の 内閣事務官に すぎなかった
蘭台(らんだい) すなわち 内閣の記録局へと
馬を走らせねば ならなかった
風に ふきちぎられた 蓬(よもぎ)の まりが
沙漠の上を まろび ころんでゆく ように
 
たった ゆうべの星に きらめいた ひとみ
それも また 忘却の沙漠へと
ふきとばされねば ならない
 
(吉川 幸次郎『続 人間詩話』 その六十 李 商隱 一九五七年十月 岩波新書 278 b)
 

相見時難別亦難 相見(あいみ)るのときは 難(かた)く 別れも亦(ま)た 難(かた)し
東風無力百花殘 東風(はるかぜ)は力なく 百花 殘(くず)る
春蠶到死絲方盡 春の蚕(かいこ)は 死に到(いた)りて 糸 方(はじ)めて尽(つ)き
蠟炬成灰涙始乾 蠟(ろう)の炬(あかし)は 灰と成りて 涙 始めて乾(かわ)く
曉鏡但愁雲鬢改 曉(あかつき)の鏡に 雲なす鬢(びん)の改まらんことを 但(ひと)えに愁(うれ)え
蓬山此去無多路 蓬山(ほうざん)は 此(ここ)を去ること 多き路(みち)のり無し
青鳥殷勤爲探看 青き鳥よ 殷勤(いんぎん)に 爲(た)めに探り看(み)よ

(かつての恋人を 権力者に うばわれ
 それを なげく歌のように 読める)
女性は 詩人の おいそれと 手の届かぬ場所に いまは いる
あうせ(逢瀬)は たいへん むつかしい
しのんで あった あとの 別れは 一そう たえがたい
 
季節は 晩春である
風さえも無力に けだるい
それは もはや 花を さかせる力を うしなった 風であり
すべての花が おもたく よどんだ空気の中で
むざんに くずれ散ってゆく
そして たちきりがたい 恋心の苦しさを うたう
 
蚕(かいこ)は 死ぬまで糸を はきつづけて死ぬ
「糸」は 同じ「シ」という音の 「思」に通ずる
 
また 蠟炬(ろうきょ) すなわち 蠟燭(ろうそく)というものは
もえて 灰となりつくすまで 涙を垂(た)れつづける
 
われわれの恋の心が おたがいの身を
やきつくす までは と もえさかる ように
 
わたしと へだてられた あなたは
朝の化粧の鏡に むかう とき
あなたの容貌の やつれを
雲なす わげ(=髷 まげ)に みとめる であろう
 
夜 そっと わたしの詩の句を くちずさむ とすれば
月の光の寒さを ひしひしと感ずる であろう
 
蓬山(ほうざん)とは 仙人の山 蓬莱(ほうらい)であり
彼(か)の女の いま いる場所に たとえる
それは 道のりと しては すぐ そこに ある
おなじ 長安(ちょうあん)の町の おなじ 町内に あった かも知れない
 
青鳥(せいちょう)とは 恋の使者となる 鳥である
青い鳥よ 殷勤(いんぎん)に こまかに
気を くばりつつ そこへ飛んで行って
彼(か)の女が どうしているか
わたしのために 探ってきておくれ
 
(吉川 幸次郎『続 人間詩話』 その六十一 李 商隱 一九五七年十一月 岩波新書 278 b)
 

來是空言去絶蹤 來る というは 是(こ)れ空(むな)しき言(ことば)にして 去りてより 蹤(あと)絶ゆ
月斜樓上五更鐘 月は楼(ろう)上に斜めなり 五更(ごこう:午前3~5時(夏) 4~6時(冬)頃)の鐘
夢爲遠別啼難喚 夢に 遠き別れを爲(な)せば 啼(な)くも 喚(こえ)となり難(がた)く
書被催成墨未濃 書は 成すを催(うなが)されて 墨も 未(い)まだ濃からず
蠟照半籠金翡翠 蠟(ろう)の照(ひか)りは 半(なか)ば 金の翡翠(ひすい)に籠(こ)もり
麝薫微度繍芙蓉 麝(じゃ)の薫(かお)りは 微(ほの)かに繍(ぬ)いし 芙蓉(はちす)を度(わた)る
劉郎已恨蓬山遠 劉郎(りゅうろう)は 已(すで)に 蓬山(ほうざん)の遠きを恨(うら)めるに
更隔蓬山一萬重 更に 蓬山(ほうざん)より隔(へだ)たること 一万重(ちょう)

おなじ女人を おもって の作と すれば
あうせ(逢瀬)は 一そう むつかしく なっている
劉郎(りゅうろう)とは いろ おとこ を呼ぶ語であって
(詩人 李 商隱)みずからの こと
 
(吉川 幸次郎『続 人間詩話』 その六十一 李 商隱 一九五七年十一月 岩波新書 278 b)
 

【李 賀 蘇小小(そしょうしょう)の歌】
 
若くして不遇のうちに病に斃(たお)れた 李 賀(791-817)の
原田 憲雄 大師(1919-)による 大研究 珠玉の名解説より 抜粋
 
不幸な恋に死んだ女性 蘇小小(そしょうしょう)の魂魄(こんぱく)が
來る筈(はず)のない恋人を 永遠に待ち続ける 歌
 
 
古代 無名氏の同名作「蘇小小(そしょうしょう)歌」によれば
蘇小小(そしょうしょう)は 南朝の斉(479-501)の頃の
銭塘(浙江)の名妓で 一説では 歌の作者だという その歌

我乘油壁車   あたしは 女車に乘って
郎乘青驄馬   あなたは 青馬に乘って
何處結同心   どこで 契りを結びましょう
西陵松柏下   西陵の あの松の下

李 賀 においても 蘇小小(そしょうしょう)は 初期の「七夕」などでは
名妓の代表に過ぎない 無性格な女人だった
 
ところが この「蘇小小(そしょうしょう)歌」における 蘇小小(そしょうしょう)は
名妓であれば 誰でもよい というような 代称では なく
中国の文学の中では いまだ かつて 取り上げられた ことも ない
女性の肖像であって 李 賀 の発見した人格としか 言いようが ない
 
余りにも 独自であり あまりにも 破天荒であるため
多くの読者は この作品から発する 鬼気を感じは しても
鬼気を生みだす 源の深義を理解する ものが ない
 
 
李 賀  蘇小小歌  蘇小小(そしょうしょう)の歌
 
幽蘭露     幽蘭(ゆうらん)の露(つゆ)
如啼眼     啼(な)く眼のよう
無物結同心   同じ心 結ぶものなく
煙花不堪剪   けむる花 切るに忍びぬ
草如茵     草は しとね
松如蓋     松は 傘
風爲裳     風が もすそ
水爲珮     水が 帯玉
油壁車     おんな車は
久相待     じいっと待つ
冷翠燭     冷い やり翠の
勞光彩     つかれた ともし灯
西陵下     西陵は
風吹雨     雨しぶく風
 
〔幽蘭(ゆうらん)の露〕 この句は 短いけれども
蘇小小(そしょうしょう)の「性格」を描いている
古辞や それまでの詩では 見いだせなかった ものである
 
「幽蘭(ゆうらん)」は 人に知られぬ ところで 咲く フジバカマ
孔子 家語に「芝蘭(しらん:レイシ と フジバカマ)は 深林に生えるが
人が いないから といって 芳香を放たぬ ことは ない」と いい
「困窮によって 節操をかえぬ」とも いう
 
蘇小小(そしょうしょう)は 遊郭に住む 遊女である
遊女は もと 祭儀に奉仕する巫女に 起源を もつ
これが 専門の巫女と 娼妓とに分離し
巫女は 神宮で 神に仕え 娼妓は 遊郭で 生の歓楽を売った
表面は ずいぶん違った ものに みえようが
家庭から隔離され 恋愛も 結婚も 禁止されている点で 共通する
 
家庭で 生涯を送るべき もの とされた 女性が
一般社会から 隔絶した 遊郭に 住むのは
深林に生えるものに 類(たぐ)えることが できる
 
遊郭に住みながら 恋愛し 結婚し 家庭を営む
願いを持ち続ける と すれば「節操をかえぬ」もの
「深い林の中で 芳香を放つもの」と いうべきで あろう
 
遊郭は 性の歓楽を売る 市場で そこを訪(おとな)う 客は
彼女を 性の歓楽の道具としか見ず
ひとりの女性 ひとりの人間として 対等に付きあわない のが 常である
そのような場所での 蘇小小の ゆかしさは 場違いのもの
野暮な 田舎女のもの と 笑いものに されたかも知れぬ
 
しかし 多くの客の中には そのような ゆかしさに目を つけ
近づく者も いるだろう うぶな青年も いようが
誘いだして ほかへ売り飛ばそうとする 悪たれも いただろう
 
露は 涼しい眼もとの 暗喩(あんゆ)である
そのように 涼しい眼もとを褒めて 男は 逢引(あいびき)を求め
蘇小小(そしょうしょう)は 初めて恋をし ここで 男と逢ったのであろう
 
「君は この花のようだ」と 女に 幽蘭を 贈ったが
男は 結婚する気は なく あるいは 事情が許さず
それきり 女の前に現れない
 
しかし ここは 蘇小小(そしょうしょう)が 恋人と逢った場所であり
幽蘭は その ゆかりの花である
日が暮れても 受け入れてくれる ものも ない人が
佇(たたず)みつくす とき 手にした花が 幽蘭だった
 
「蘭を結ぶ ことには 離別の意が 含まれる かもしれぬ」という
清の 広群 芳譜は「およそ蘭には 一滴の 露の珠(たま)が
花蘂(かしん:しべ)の間に あって これを 蘭膏(らんこう)という……
多く取ると 花を傷(いた)める」と 説く
男は 蘇小小(そしょうしょう)から 取れるだけの 蘭膏(らんこう)を盗んで
消えてしまったのだ
 
〔啼眼(ていがん)の如し〕 「露しっとり」などと 愛想を いって 近づいた
男が去った あとの 蘇小小(そしょうしょう)の 涼しい眼もとが
どのように変わったかを この三字が語る
 
啼(な)くは 声を放って 泣くこと
啼眼(ていがん)は 放つべき声が禁圧されるために
目から涙となって滴(したた)り出た 感じを誘(いざな)い
「如(ごとし)」という 直喩(ちょくゆ)法で せき止められている ため
その効果が 一層 強まっている
 
〔物として同心を結ぶ無く〕 同心は 心を同じように 合わせる ことで
易経(えき きょう)に「二人 心を同じくすれば その利(するど)きこと 金を断(た)ち
同心の言は その臭(かお)り 蘭(らん)の如(ごと)し」という
 
そのような堅(かた)い交わりを願うところから
「結 同心」という言葉が成長し
やがて「男女の契りを結ぶ」「恋を遂げる」という意に定着した
 
契(ちぎ)りも また さまざまな人間世界の条件によって 引き裂かれる
ただ 引き裂かれても 同心を結び得ている のであれば
待って「老い」には 至(いた)り得る のであろう
 
かりに「老い」に至り得ぬ にしても
古辞(こじ:古謡)の「蘇小小(そしょうしょう)歌」のように
「どこかで 契りを結びましょう」というのなら
契りを結ぶ場所が いくつか ある わけであろう
その一つが 地下である にしても
 
けれども ここでは「無物 結 同心」という
同心を結び得る 頼りになる物が ない
まったく無いのだ 地上は もとより 地下にも
 
〔煙花(えんか) 剪(き)るに堪(た)えず〕 煙(けむり)は 烟(けむり)とも 表記し
霧や 靄(もや)や 霞(かすみ)のように ぼんやりした蒸気一般を さし
煙花(えんか)は その靄(もや)に包まれた花
 
古詩では 蓮(はす)の花を採(と)り 香りの よい草を採(と)り
なぜ採(と)るのか といえば 思う人に贈るため であった
 
楚辞に「素麻(そま)の 瑶華(ようか)を折って
離れている人に贈ろうと するが 老いは ずんずん極(きわ)まり
なかなか近づけず いよいよ遠ざかる」
 
「石蘭(せきらん)を着て 杜衡(とこう)を帯とし
芳馨(ほうけい)を折りとって 思うひとに おくろう」という
 
瑶華(ようか)は 宝玉の花 素麻(そま)は 神聖な麻
杜衡(とこう)は (オオ)カンアオイ 芳馨(ほうけい)は 匂いの よい花
 
芳馨(ほうけい)は 媚(こ)びて 相手の心を ひこう とする ための 贈り物
素麻(そま)は もはや帰ってこない であろう 遠くにいる人への 最後の贈り物
瑶華(ようか)も また「最後の」贈り物 いわば 別れを告げる「しるし」
 
「煙花(えんか) 剪(き)るに堪(た)えず」も
離別の しるしの 煙花(えんか)を切り取って
(帰ってきもせぬ)男に差し出すに
忍びない のである ことが 明白になる
 
求愛の花束が 突っ返される ことに よって 離別の花束と なる ように
違った花である 必要は ない けれども
芳馨(ほうけい)と 素麻(そま) 蘭(らん)の花と 瑶華(ようか)とは
求愛の花と 告別の花に 役割を分けている らしい
 
瑶華(ようか)も それが 離別のしるし である としても
遠くの人が 自分を思ってくれる ことは 歌う者には 確信されている
だから 明確 堅固な 宝玉の花「瑶華(ようか)」として 表現された
プラチナの台に 贈り手 贈り先の名を刻み込んだ
ダイヤの婚約指輪の ような もの
 
ところが 蘇小小(そしょうしょう)の 手にする花は 瑶華(ようか)では ない
霧や靄(もや)に つつまれると 幻のように消える
それが 煙花(えんか)であり 煙花(えんか)は 風が去り 雨が止めば
うつつ よりも 鮮やかに現れる それが 幽蘭(ゆうらん)なのである
 
蘇小小(そしょうしょう)の恋は 無物 結 同心で
完成の可能性は 現在にも 未来にも 無い
しかし 過去においては 愛 あるいは 愛に似た ものを 示され
それが 彼女を恋に導いた のであろう
 
愛 あるいは それに似た ものが消えても ゆかりの花は残っている
それが 幽蘭(ゆうらん)であり 煙花(えんか)である
幽蘭(ゆうらん)も 煙花(えんか)も また 同心を結ぶべき ものでは ない
死んでも死にきれずに さまよう 蘇小小(そしょうしょう)の
魂魄(こんぱく)で さえも が そうである ように
 
彼女は「深林」に住むにしても その深林は 遊郭という性の市場で
幽蘭といっても 身体を しごいて 生きる娼妓
無垢 無知な 処女では ない
醒(さ)めた理性は 女を夢中に させて 逃げた男が
彼を待つ 女のもとに 金輪際 帰ってこない ことを知り尽している
 
にもかかわらず 醒(さ)めた理性なんぞの忠告に 耳を傾けかねる 願いが
万に一つも ありえぬ 彼の やってくる時を待ち
彼の來ぬ のが 天命ならば むごい天に さからって
その理不尽な天命を 功(こう)無きものに させようと までに
物狂おしい 彼女の恋心は ふがいない つれない つまらない男 であっても
その ゆかりの花を切って 離別を示す には 忍びぬ のである
 
〔草は 茵(しとね)の如(ごと)く〕 草は 蘇小小(そしょうしょう)の乗る
幻の車の 中に敷く 布団(=クッション)のよう
〔松は 蓋(かさ)の如(ごと)し〕 松の木が 車につける 傘蓋の よう
〔風を 裳(しょう)と為(な)し〕 風が もすそ(裳裾=スカート)
〔水を 珮(はい)と為(な)す〕 河水の音が 帯を結んだ玉の触れあう音
 
〔油壁(辟)車〕 壁面を油漆(うるし)で彩色した 美しい車
元は 貴妃や夫人 日本で なら 女御(にょうご)や 更衣(こうい)に あたる
尊貴な女性 専用の車だった
〔久しく相待つ〕 待つ時間の 永遠といってもよい 久しさを 歌っている
相は 動詞が対象を持つことを示す接頭語
ここでは「互いに」という意味は持たない
〔冷たる 翠燭(すいしょく)〕 燐火(りんか)とも 鬼火(おにび)とも
現実を超えた火が、冷冷としている
〔勞たる 光彩〕 疲れきった光彩が やがて消える
 
〔風 雨を吹く(風雨吹)〕 煙花(えんか)の煙によって
雨の來ることが予想はされるが 勞 光彩 までは 雨は降っていない
 
幽蘭(ゆうらん)の露は 啼眼(ていがん)の如(ごと)く では あるが
啼眼(ていがん)では なく
蘇小小(そしょうしょう)の 心の内部を象徴する けれども
彼女は 泣いては いない
泣くことを堪(こら)えて 待ち尽(つく)すのである
 
雨が降るのは 勞たる光彩が消え
蘇小小(そしょうしょう)の姿が 見えなくなった
闇黒(あんこく)の 西陵(せいりょう)下に である
 
闇黒(あんこく)のうちに 蘇小小(そしょうしょう)のために
啼哭(ていこく)し 涕泣(ていきゅう)するものが あり
その啼哭(ていこく)するものが 風で
涕泣(ていきゅう)するものが 雨なのだ
 
李 賀 の詩では 闇黒(あんこく)の中で 風が吹き 雨が降る
闇黒(あんこく)は 蘇小小(そしょうしょう)の 沈黙 である
怨恨(えんこん)も 悲愁(ひしゅう)も すべて その内部に吸収する
ブラックホールが エネルギーを吸収する ように
 
風と雨とは 一つになって
蘇小小(そしょうしょう)の沈黙の中に 吹き込むのでは ない
すなわち「風雨吹」では ない
はげしく風が吹き はげしく雨が降るのである
雨が吹き 風が降る といっても よい
 
西陵(せいりょう)下の闇黒(あんこく)
蘇小小(そしょうしょう)の沈黙は
忍従でも あきらめでも おそらく ない
それは 永遠の女性の 永遠の たたかい なのだ
この句は 必ず「風吹雨」でなければ ならない
 
 
李 賀 は かつて「楞伽(りょうが) 案前に堆(うずたか)し」と うたった
楞伽(りょうが)とは 仏教経典の『楞伽 経(りょうが きょう)』である
その楞伽(りょうが)に「大悲(だいひ)闡提(せんだい)」の説がある
 
闡提(せんだい)とは「一闡提(いっせんだい)」のこと
梵語の icchantika を 漢字に写した音訳で
意味は「世間的な欲望に ひたって 法を求めない者」
従って 解脱(げだつ)や 涅槃(ねはん)を 得ることの できない者である
 
一闡提(いっせんだい)に 二種ある
一は 一切の善根を焼きつくした もの
二は 一切衆生を憐愍(れんびん:あわれむ)する者
 
この 第二の者が 菩薩(ぼさつ)であり
楞伽 経(りょうが きょう)によれば「菩薩(ぼさつ)は
方便(ほうべん:衆生(しゅじょう)を導く巧みな手段)もて 願と なす
 
もし もろもろの衆生(しゅじょう:一切の生きとし生けるもの)
涅槃(ねはん:煩悩を滅尽して悟り智慧菩提)を完成した境地)に入らずんば
我も 亦(ま)た 涅槃(ねはん)に入らじ と
この故に 菩薩(ぼさつ:覚りを求める衆生)魔訶薩(まかさつ:偉大な衆生)は
涅槃(ねはん)に入らず」
 
つまり 菩薩は 一切の衆生解脱(げだつ)させ 涅槃(ねはん)に入れる のを
自分の任務とするために すでに仏となる資格を持ちながら
すべての衆生解脱(げだつ)せず 涅槃(ねはん)に入らない間は
自分も解脱(げだつ)せず 涅槃(ねはん)に入らず 仏とならずに
世間の 欲望に満ちた人たちと同じ姿で 世間に とどまり続ける
これを「大悲闡提(だいひ せんだい)」と称する のである
 
さて 蘇小小(そしょうしょう)は 「名妓」とはいえ
性の快楽を売るために 恋愛と結婚を禁じられた 娼婦である
彼女は そのような立場に置かれながら
禁じられた恋愛を成就させようとして
肉体の滅びた後にも 永遠に 人間界に さまよう者である
 
恋愛が禁じられることは 女性であることを 禁じられる ことであり
女性が 女性であることを 禁じられる ことは
人間が 人間であることを 禁じられる ことに 他ならない
性の快楽を売るために 恋愛を禁じられる ような
女性が存在する かぎり 人間の解放は ない
 
李 賀 の「蘇小小(そしょうしょう)の歌」は
すべての人間が解放されない かぎり
永遠に 自分一個の解放を拒否して さまよう
「娼婦の立場に おかれた 女性の魂魄(こんぱく)」としての
蘇小小(そしょうしょう)を 歌っている
これは 大悲闡提(だいひ せんだい)の すぐれた文学化 と いって よい
 
李 賀 の読んだ 十巻本の 楞伽 経(りょうが きょう)も
「諸仏品 第一」が終わると 仏を 楞伽(りょうが)城に招いた
主の 羅婆那 夜叉王は 姿を消す
どうやら 大慧(だいえ)菩薩に 変化した らしい
 
楞伽 経(りょうが きょう)の主題は 多岐に わたる から
それは それで 差支えはない のかもしれぬ
 
しかし「大悲闡提(だいひ せんだい)」に限って いえば
夜叉王の消滅した 楞伽 経(りょうが きょう)は
不徹底 と言わざるを得ない
 
法華経の「提婆達多品(だいばだった ほん) 第一二」は
八歳の龍女が成仏するので 女性救済の経典として有名だが
その成仏は 実は「変成男子」
龍女が 女性の肉体を 男性の肉体に変化して 仏に なる
 
女性が 女性の ままで 仏に なる のでは ない
仏には 男性も女性も ない という論理は あろうが
それなら なおさら「変成男子」は
不可解 不徹底だと 言わざるを得ない
 
李 賀 の「蘇小小(そしょうしょう)」は 変化も 変成も せず
蘇小小(そしょうしょう)のまま 幽蘭(ゆうらん)を手に
永遠に さまよい つづける
大悲闡提(だいひ せんだい) の 趣旨から すれば これこそ
楞伽 経(りょうが きょう)十巻本をも
提婆達多品(だいばだった ほん)をも 突破したもの と いえようか
 
 
李 賀 の「蘇小小(そしょうしょう)歌」は 女性の尽きせぬ悲しみを
女性の立場にたって 歌おうとした もので
この詩の成立する 時間は 強いて名づけるなら
「鬼時」とでも 呼ぶべきもの であろう
 
蘇小小が 來ぬ人を待って 佇(た)ちつくした「西陵下」が
何処(どこ)であるかの 議論が 古來 幾たびか重ねられたが
それは たぶん 地理的空間では なく
鬼時と垂直に交叉する「鬼処」なのだ
 
鬼時と いい 鬼処と いう のは 生き残って 影のように さまよう
存在のほうから する言葉であって
「生は一瞬 死は永遠」という立場からすれば
鬼時と鬼処こそ 生き生きとして 手ごたえの ある
実存的時間 現実的空間 であるのかも しれぬ
 
(李 賀 歌詩編 1 蘇小小の歌 原田 憲雄 訳注 平凡社 東洋文庫 645)
 
 
26歳で亡くなった 李 賀 と 45歳まで生きた 李 商隱 は
百歳を迎えられる 原田 憲雄 大師と 亡き 吉川 幸次郎 博士によって
比類なき 邦訳と 解説を得た
 
李 賀 は 諱(いみな)事件という 亡くなった父の名と 進士の進が
音で通ずるとして 試験を受けることを差し止められ
王族出身者に与えられる 閑職を辞し 故郷に帰り
失意のまま 急な病を得て 亡くなる
 
李 商隱 は 進士試験に合格するも 派閥争いに巻き込まれ
庇護を受けた高官が亡くなると 対立する派閥の庇護を得たことから
執拗に非難され 中央を去ると 職を干され また全うできる職を得られず
故郷に戻り 病を得て 亡くなる
 
李 商隱は 李 賀 の人となりを伝える 李 賀 小伝 を書いている
臨終の場面の 不思議な出來事は 李 賀 の 嫁いだ姉から 聞いた とする
 
 
長吉(李 賀)が死にかけているとき
ふと日中に 一人の緋(ひ:やや黄みのある 鮮やかな赤
日本では 平安時代から用いられ『延喜式(えんぎしき)』では
茜(あかね)と紫根(しこん)で 染めた色を「深扱(こ)き緋」とし
紫に次ぐ 官位に用いた)の衣の人が
赤い(みつち=みづち:想像上の動物 蛇に似て長く 角と四足があり
水中にすみ 毒気を吐いて 人を害する という)に乗って 現われた
 
一枚の書き付けを持っていて 太古の篆書(てんしょ:秦代以前の書体)か
霹靂(へきれき:雷)石文のようだ
「長吉を お召しに なっている」と いうのである
長吉には どうしても読めない
すぐ 寝台から 下り おじぎをして いう
「母さんは年よりで そのうえ病気です
 わたしは 行きたくありません」
緋衣の人が笑って言う「天帝さまが 白玉楼を完成され
 すぐにも君を召して 記念の文章を作らせよう と されるのだ
 天上は まあ楽しい ところ 苦しくは ない」
長吉は ひとり泣いた
まわりの人は みな これを見ていた
 
しばらくして 長吉の息が絶えた
居間の窓から ぼうぼうと煙気が たち
車が動きはじめ 吹奏楽の調子の 早まるのが 聴こえる
老夫人が急に 人々の哭(な)くのを 制止した
五斗の黍(きび)が炊(た)きあがる ほどの 時間の のち
長吉は ついに死んだ
 
王氏に嫁いだ姉は 長吉のために
作り事を言うような ひとでは ない
じっさいに見たのが こうだったのである
 
(李 賀 歌詩編 1 蘇小小の歌 原田 憲雄 訳注 平凡社 東洋文庫 645)
 
 
かつての さまざまな勢力争いの 戦利品であり
いまは また 新たな 幼き無心の美貌に
取って代わられ 忘れ去られようとする 女人が
幼さの消え 傷つき疲れた 微笑で
自らを励まそうと 鏡の中を のぞき込む
 
しかたない わたしだって そうだったんだもの
ここに來たとき ただ そこに いるだけで
見知らぬ 年上の女の人を 泣かせたんだわ
知らなかったのよ ごめんなさいね
もう みんな いないわね
こんどは わたしが泣く番 ひとりぼっち で
みんな そうだったのね
 
鏡の奥を 昏(くら)く 風のすじが横切り
見憶えのある 館の露台 あるいは 城壁の屋上が 斜めに浮んで
そこに だれか 若い男のひとが 風に吹かれている
あの詩人さんだろか かなしい眼をして
幼い わたしが いまの わたし みたいになる って 詩を書いた
 
ちがう あの ひと じゃない もっと昔 もっと若くして死んでしまった
死んでも愛する人を待ち続けた 女のひとの詩を書いた 同じ姓(かばね)の
あっ いなくなってしまった どこへ行ったんだろう
雨が降ってる あの女のひとの ところへ行ったのかしら
土砂降りの中 それは みんな あの女のひとが 流さずに堪(こら)えた涙なの
風が 聲(こゑ)なく叫んでいるわ わたしは ひとりぼっち って
 
待たせてしまったね って言ってる
じゃあ あの女のひとは 彼女を嗤(わら)って捨てた ろくでなしを
待ってたんじゃなくて あの優しい詩人さんを待ってたのね
彼女を初めて よみがえらせた でも あんな ひどい雨の中
いつまでも ずっと立ち尽(つく)し 待ちつづける姿で
 
ああ やっと雨が上がる 少し靄(もや)が残っているだけ
そうか ふたりが 煙花なのね 虹色に耀いてみえる
詩人さんのほうが 年下みたいね
でも ほんとうは 逢えないくらい 年が離れているのよ
同い年でも たぶん会えないのは 同じだけど
 
天帝さまの 白玉楼へ 一緒に行こうね って言ってる
桃色の(みつち)の曳(ひ)く 車に乘って
いいなぁ わたしも だれか 連れてって くれないかな
遠慮がち と言えなくもない 咳払いが聴こえた
えっ どこ 鏡の奥には 室内が戻っていた
鏡に 寄せかけられるように置かれていた ランプの
向う側 ずいぶん年取って見える 彼女が知っている詩人が
壁に凭(もた)れていた あら あなたも死んじゃったの
 
鋭いな 大人になったんだね
あら あなたより若いわよ まだ
そうだね でも そのうち追いつくんじゃないかな
 ぼくは もう年を取らないから
やだ そんなに待てないわよ
おや そうなのかい
そりゃ そうよ あの二人を見た?
 あの女のひと と あの女のひとの ことを書いた詩人さん
李 賀 って 言うんだよ ぼくは 李 商隱
知ってるわよ あの女のひとは?
蘇小小(そしょうしょう)
そうでした 良い名まえよね 良い詩
 
ぼくも きみのことを詩に書いたよ
知ってるわよ でも名まえは なかったでしょ
だって きみは 生きてる人だったし いまも 生きてる
でも 他の人には わからないわ
きみと ぼくの秘密さ
あら わたしは あの詩人さんの詩のほうが いいな
李 賀 かい
名まえが ついてたほうが いいな って思ったの
じゃあ そうしようか 何て名まえだっけ
いやな ひと 帰れば
真面目な話 ぼくが きみの名を呼んだら そうして きみが返事をしたら
 そうして それを三度繰り返したら きみは こっちへ來なくちゃ いけない
あら いいじゃない 白玉楼?
言ってくれるね まぁ その離れ みたいな とこかな
 あれも一応 僕が書いたって 知ってる?
あれって?
まぁ いいか ほんとに 呼んでいいんだね
いいわよ あっ ちょっと待ってね
 最初に逢ったときのドレス まだ あるの
ほんとうかい だってまだ ほんの子どもだったろ
うるさいわね 背が伸びただけよ ほら どう
うん つんつるてん だな いまの ほうが よくないか
いやな ひと 絶対 これが いいと思ったのに
なんだって いいさ きみは きみで
 いつも 清らで 耀いてる 心も 姿も
ふうん そうなのかしらね
 わかったわ このままで行く
そう 來なくちゃ じゃあ 呼ぶよ
まちがえないでね 後生だから
緊張するなぁ
やめてよね
 
 
(続く)   

彷徨(さまよ)ふ花

2019年06月30日 | 随想

【小督(こごう)と仲國(なかくに)(実は おそらく實國(さねくに)】

平安末 二人の貴人 年長の 藤原 隆房
年若き 高倉 天皇 に深く愛された
箏(こと)の名手 小督(こごう)

二人の正室は 共に 平 清盛 の娘
清盛の逆鱗(げきりん)に觸(ふ)るることを畏(おそ)れ
宮中から逃れ 嵯峨に身を隱(かく)す

小督(こごう)を探し出し 密(ひそ)かに
宮中に連れ戻すよう 勅を賜(たまは)った源 仲國
―― と伝えられるが おそらく そうではなく
藤原 實國で 高倉 天皇の笛の師 ―― は
賜(たまは)った駒を駈(か)り 嵯峨野を経廻(へめぐ)る

日も暮れ いましも仲秋の月が
皓皓(こうこう)と昇り來る頃
水際で ふと見事な「想夫恋」の調べが
かすかに聴こえて來る

渡りかけた瀨を戻り 音のする方へ駒を向けると
果たして 片折戸(かたおりど)の苫屋(とまや)に
小督(こごう)が隱(かく)れ住んでいた

清盛を畏(おそ)れ 宮中に帰ることを憚(はばか)る
小督(こごう)に 帝(みかど)よりの文(ふみ)を渡し
久方振りに聴いた 箏(こと)の調べに
帝(みかど)を慕ふ心が 溢(あふ)れていた と
いうと 小督(こごう)は 折れ 御意に添ひ

戻る旨 認(したた)め 仲國(實國)に託す
役を離れ 二人は 打ち解けて かつて御前で
共に奏樂した如(ごと)く 笛と箏(こと)を手にとり
懐(なつ)かしく 奏で合せた後(のち)
駒に うち乗り 帰る仲國(實國) 見送る小督(こごう)

宮中に戻り 程なく懐妊 皇女を生み 出家
庵(いほり)に独居する 小督(こごう)が病床にあった折
歌人 藤原 定家や その姉君が 見舞ったという

九州には 別の伝承 も ある
知合いの僧を賴(たよ)り 大宰府(だざいふ)
観音寺へと向う 尼君(あまぎみ) 小督(こごう)が
昨夜來の雨に逆巻(さかま)く
川を渉(わた)ろうとして

溺(おぼ)れ 助けられるも 弱り臥(ふ)せったまま
間もなく二十五歳で 白鳥成道寺に没した という

香春岳 を望む 白鳥成道寺 には 七重塔が
高倉天皇陵へと続く 京 清閑寺には 宝篋印塔が
それぞれ 小督の墓と伝えられて在る

渡月橋 北詰の橋は 仲國(實國)が
小督(こごう)の奏でる 箏(こと)の音(ね)を聴いた
駒留橋 または 箏聴橋 と 呼ばれている という

法輪寺 参詣 曼荼羅 176.2×166.6cm 16C    

国宝 虚空蔵菩薩像 絹本着色 132.0×84.4cm 12C 平安時代 東京国立博物館

法輪寺 虚空蔵菩薩 降臨の御本誓に
「智恵を得んと慾し」「福徳を得んと慾し」
「種々の芸道に長じ 技芸に上達せんと慾し」
「玄妙の域に達するような 流暢な音声を出し
 歌舞音曲の奥義を極め 栄達を得んと慾し」
「官位 称号 免許を得るよう慾し」
「内外とも 身分に ふさわしい威徳を得るよう慾し」
など祈願するものは わが名(虚空蔵尊名)を 称念せよ とある という
四番目が氣になる

渡月橋 は 法輪寺橋とも いわれ
渡ると程なく 法輪寺 境内に入る
数え十三 春十三日の頃には 十三夜まいり という
法輪寺 虚空蔵菩薩より 智慧を授かる 行事が ある
虚空蔵菩薩の生れ変りである 羊の像の頭に ふれ
お詣りを濟ませての帰り道 渡月橋を渡りきるまで
振り返ってはならぬ とされ 振り返れば
授かった智慧は すべて戻ってしまう という

伝 金春 禅竹 作 四番目能『小督(こごう)』は
嵯峨野の場面を 表す

笛の名手である 仲國(實國)は
小督(こごう)の奏でる 箏(こと)に応えて笛を吹き
捉えた箏(こと)の音を 巧みに途切らすことなく
手繰(たぐ)り寄せ 嵯峨野の原から
小督(こごう)の隠れ住む苫屋(とまや)へ たどり着いた とも
 
能 小督(こごう) 駒ノ段           
小督(こごう)が 高倉天皇に見初められる以前
彼女の恋人として知られた 藤原 隆房(1148-1209)卿は
小督(こごう)が 帝(みかど)に愛されるようになった後(のち)も
小督(こごう)への想いを 断てなかった という
 

隆房卿 艶詞 絵巻 紙本白描 紙本水墨 25.5×685.0cm 13-14C 鎌倉時代 国立歴史民俗博物館


【隆房卿 艶詞 絵巻】

隆房卿 艶詞(つやことば) 絵巻 は 小督(こごう)への想いを 綿々と綴った
隆房卿 傷心の物語で 第一段には 右端の桜の幹にそって 蘆手(あしで)文字で
「のとかに(長閑[のどか]に)」と記され 小督(こごう)と高倉天皇が
清凉殿にて 月を眺めて過ごす場面が描かれる

第二段(冒頭 老松にからまる藤の蔓(つる)が
「木たかき(木高き)」と記され 憂いに沈む女房たちと
隆房卿の居る 部屋の後に)さらに 別棟に
手紙らしき束を傍(かたへ)に置く 小督(こごう)
と思(おぼ)しき人物が居て その直ぐ外の庭には
柳と梅と梅の幹に「としたち(歳経ち)」と記される

第二段 前半は 初夏 第二段 後半は 早春で
間に 時の経過が示される
 (「歴博」第198号 小倉 慈司『隆房卿艶詞絵巻』に見える葦手 ―王朝絵巻のかな文字絵―

最後は 隆房卿が 車で かつて小督(こごう)が住んでいた
邊(あた)りを 通りかかり いまは すっかり人けなく
荒れ果ててしまっているのを 時の霞がおし包み 終る

詞書(ことばがき)には つぎのような歌で 物語が綴(つづ)られる

 女に つかはしける         女に 送った歌

人知れぬ 憂(う)き身に       人知れず 辛(つら)い我が身には
繁(しげ)き 思ひ草         思い草が生い茂るように 物思いばかりが増えてゆく
想へば君ぞ             どうして こんなことになったのか ご存知であろう
種は蒔(ま)きける          種を蒔(ま)いたのは あなた なのだから

 わかき人々あつまりて       若い人々が集まった折 わたしも彼(か)の女も
 よそなるやうにて         同席していたが 何でもない振りをして
 物がたりなど するほどに       雑談する裡(うち)
 しのびかねたる心中        堪(こら)えきれず 心中の思いが
 色にや出(い)でて見えけん       顔に出てしまったのだろうか
 すずりをひきよせて        彼(か)の女が硯(すずり)を引き寄せ
「ちかのしほがま」と かきて     「千賀(ちか)の塩竈(しほがま)」と書いて
 なげおこせたりし ことの       その紙を投げて寄越(よこ)した ことが思い返され
 おもひ いでられ           心を抑えかね うわの空に なってしまった

思ひかね 心は空に          これでは まるで 遙(はる)か遠くへ追い遣られる
陸奥(みちのく)の          ようなものだ 陸奥(みちのく)の
ちかの塩竈(しほがま)        千賀(ちか⇔近)の塩竈(しほがま)へ
近き甲斐(かひ)なし         本當(ほんたう)に 近くにいる というのに

 なにの舞ひとかやに入りて     何の折の舞楽であったか 舞人の間に入れられ
 はなやかなる ふるまひに       そのように華やかな行事に
 つけても「あはれ 思ふ事なくて    つけても「恋の悩みが なくて
 かかる まじらひをも せば      このような奉公をするのだったら
 いかに まめならまし」        もっと身を入れて 誠心誠意 出來(でき)るものを」
 と おぼえて 又 さしも         と思いながら 見れば 彼(か)の女の態度も
 うらめしく あだなれば        恨めしいほど 不実な様子だったので 目の
 見る事つつましく         遣(や)り場もなく 自分の舞を見られることも 気が引け

ふる袖は             振って舞うはずの袖は
涙に ぬれて 朽ちにしを       涙に濡れ 朽ちてしまったのに
いかに立ち舞ふ 吾が身なるらむ    どうやって 人前で舞うつもりなのか この わたしは

 逢ひ みぬことの          逢えないことが
 後まで 心に かからんことの    いつまでも 堪(たま)らなく残念で
 返す返す あぢきなくて       幾度となく想い返しては 口惜しく

恋ひ死なば            わたしが 恋い死にしたら
浮かれむ魂(たま)よ        せいせいした とばかりに 出てゆくであろう 魂よ
しばし だに             ほんのしばらくの間だけでも
我が思ふ人の           恋しい人の 裳裾(もすそ)の 左右の端を合せた
褄(つま)に 留(とど)まれ       褄(つま)のところに 留(とど)まってくれ

 つくづくと おもひつづくれば    ずっと想い続けて來たが
 この世ひとつに           この世で ただ一途に
 恋し かなし と おもふだに      恋しい 哀しいと想っても
 いかがは くるしかるべき      こんなにも苦しいわけなのだが
 そののちの世に ふかからん     あの世で 罪の深さを悟って
 罪の心憂さに            悔いることになるのかと想うと

あさからぬ            淺くない縁(えにし)の
この世ひとつの なげきかは      この世だけの歎(なげ)きなのだろうか
夢より のちの            夢のように儚(はかな)い この世を去った後に
罪のふかさよ           償(つぐな)うべき 罪の深さを想わずに居れぬ


 Yamma Ensemble - Komitas - Armenian love song           高倉 天皇

   小督(こごう)

隆房卿 艶詞(つやことば)絵巻では 髪に隱(かく)れぬ顔(かんばせ)の
唇に朱を差すほかは 墨の毛描きのみにて
入(い)り組む 宮中の部屋部屋を 棚引(たなび)く霞が
隱(かく)したかと思うと また ふいに披(ひら)く
靜(しづ)かに音の絶えた時と場所が 幾重(いくへ)にも交錯し
離れ隔(へだ)たり 螺旋(らせん)に旋回してゆく

縁にて 月を眺める 帝(みかど)と小督(こごう)
その髪に 桜の花びらが散り紛(まが)ふ

十二世紀の 仏蘭西(フランス)の吟遊詩人 ジャウフレ・リュデル 「彼方からの愛」
ケルト起源で同じ頃 同地に成立した「トリスタンとイゾルデ」に見られるような
恋人たちの間を取持たねばならぬ 使者としての立場にある 實國(仲國)は
小督(こごう)をめぐる男たちの裡(うち)では ひときわ年嵩(としかさ)だが
笛の匠(たくみ)として 心は小督(こごう)に 最も近く在ったのかも知れぬ

小督(こごう)が 心から希(こいねが)う事柄については 誰も知りようもなく
誰も知ろうとしていないようにも見える

小督(こごう)が 心から希(こいねが)ったこと それは音樂では なかったか
誰かに執着されたり 嫉妬されたり 憎まれたりせず
穩やかに 奏樂を匠たちと樂しめる 暮し

小督(こごう)の心に 追いつけず 守ってやることも出來ず
夢の中で 宮中を 嵯峨野を 彷徨(さまよ)ひ
小督(こごう)を探す 隆房卿

探しに行けぬ身を輾転反側 いつしか こと切れ 魂を解き放ち
小督(こごう)を探し 離れまいとする 高倉天皇

小督(こごう)を勞(いたわ)り見守りながら
心の侭(まま)に音樂をさせてやろうとするものは 居らぬようだった

天の川に浮ぶ 星々の影が
蘆(ヨシ)の戰(そよ)ぐ 水面(みなも)の遙(はる)か下
睡(ねむ)る未草(ヒツジグサ)に重なる
風と月光が吹き渡り 水は樂の音に煌(きらめ)く

(続く)