鳥の背中

ライブのよていと
ちいさなお話と
ひとりごと

孤高の緑

2009-08-30 | できごとひとりごと
長野県の南、清内路村(最近阿智村と合併)の山道をずんずん登っていったところに
大きな大きなミズナラの木が、生きています。
“おおまき”と呼ばれているそうです。
ずっと、逢いたくて逢いたくて、一度逢いにいったことがあります。
雪がちらつくような季節で、静かに眠っているようでしたが、
その木肌に触れた瞬間から、とてつもなく惹かれました。

その時、今度は緑の葉が生い茂っているころに、また逢いに来させて下さい―と、
(勝手に)約束してきたのです。

夏も終わりに近づく今日、夕暮れ迫る時間に、逢いに行ってきました。

西の山の端に近づいた太陽が“これからは森の時間。早く帰ったほうがいい”と告げるのですが
私はしびれて動けなくなっていました。
畏怖。もの凄い存在感、逢うことの出来ない神さまにあってしまったような気持ち。
前来たときよりも、強い気を感じる。
心拍数が上がる。緊張しながら近づく。

触れる―。
触れた瞬間、それまでの恐怖がすとーんと落ちていって
柔らかい、大きな風に包まれているような、大きな生き物に抱きとめられているような気持ちになりました。
―と、手の甲ほどもある蜘蛛が、幹の上から、横から、次々に現れました。
感動。彼らはきっとこの巨木の護。
廻りに色んな生き物の気配があって、このミズナラの木も大きな呼吸をしていて
なんて豊かなんだろう。


そのミズナラとしばらく話をしているうちに、
生きてくってことは、誰かが望んでくれるんじゃない、自分で望むもんだ、と気づきました。
帰り道は、心の奥でちらちらとゆらめいていた、不安や恐怖が、すっきり落ちていて
甘くておいしい湧き水を飲みながら帰りました(形容出来ない位美味かった)。
あたらしいいのちを貰ったみたいに、身体中にびぃぃんと響いています。

包み紙の向こう

2009-08-23 | できごとひとりごと
おめでとう という気持ちを贈ったあとの
帰り道は 空気がきらきら光る

おめでとう という気持ちをもらったあとの
帰り道は 足音が くすぐったく響く


包みをほどいて おめでとうが とびだしたとき
君は どんな顔を してくれるかな

包みをほどいて ありがとう と声をあげるとき
私はどんなふうに わらっているのかな

きっと 受け取っているのは 包み紙の向こう


あぁ 人間でよかった