長野県の南、清内路村(最近阿智村と合併)の山道をずんずん登っていったところに
大きな大きなミズナラの木が、生きています。
“おおまき”と呼ばれているそうです。
ずっと、逢いたくて逢いたくて、一度逢いにいったことがあります。
雪がちらつくような季節で、静かに眠っているようでしたが、
その木肌に触れた瞬間から、とてつもなく惹かれました。
その時、今度は緑の葉が生い茂っているころに、また逢いに来させて下さい―と、
(勝手に)約束してきたのです。
夏も終わりに近づく今日、夕暮れ迫る時間に、逢いに行ってきました。
西の山の端に近づいた太陽が“これからは森の時間。早く帰ったほうがいい”と告げるのですが
私はしびれて動けなくなっていました。
畏怖。もの凄い存在感、逢うことの出来ない神さまにあってしまったような気持ち。
前来たときよりも、強い気を感じる。
心拍数が上がる。緊張しながら近づく。
触れる―。
触れた瞬間、それまでの恐怖がすとーんと落ちていって
柔らかい、大きな風に包まれているような、大きな生き物に抱きとめられているような気持ちになりました。
―と、手の甲ほどもある蜘蛛が、幹の上から、横から、次々に現れました。
感動。彼らはきっとこの巨木の護。
廻りに色んな生き物の気配があって、このミズナラの木も大きな呼吸をしていて
なんて豊かなんだろう。
そのミズナラとしばらく話をしているうちに、
生きてくってことは、誰かが望んでくれるんじゃない、自分で望むもんだ、と気づきました。
帰り道は、心の奥でちらちらとゆらめいていた、不安や恐怖が、すっきり落ちていて
甘くておいしい湧き水を飲みながら帰りました(形容出来ない位美味かった)。
あたらしいいのちを貰ったみたいに、身体中にびぃぃんと響いています。
大きな大きなミズナラの木が、生きています。
“おおまき”と呼ばれているそうです。
ずっと、逢いたくて逢いたくて、一度逢いにいったことがあります。
雪がちらつくような季節で、静かに眠っているようでしたが、
その木肌に触れた瞬間から、とてつもなく惹かれました。
その時、今度は緑の葉が生い茂っているころに、また逢いに来させて下さい―と、
(勝手に)約束してきたのです。
夏も終わりに近づく今日、夕暮れ迫る時間に、逢いに行ってきました。
西の山の端に近づいた太陽が“これからは森の時間。早く帰ったほうがいい”と告げるのですが
私はしびれて動けなくなっていました。
畏怖。もの凄い存在感、逢うことの出来ない神さまにあってしまったような気持ち。
前来たときよりも、強い気を感じる。
心拍数が上がる。緊張しながら近づく。
触れる―。
触れた瞬間、それまでの恐怖がすとーんと落ちていって
柔らかい、大きな風に包まれているような、大きな生き物に抱きとめられているような気持ちになりました。
―と、手の甲ほどもある蜘蛛が、幹の上から、横から、次々に現れました。
感動。彼らはきっとこの巨木の護。
廻りに色んな生き物の気配があって、このミズナラの木も大きな呼吸をしていて
なんて豊かなんだろう。
そのミズナラとしばらく話をしているうちに、
生きてくってことは、誰かが望んでくれるんじゃない、自分で望むもんだ、と気づきました。
帰り道は、心の奥でちらちらとゆらめいていた、不安や恐怖が、すっきり落ちていて
甘くておいしい湧き水を飲みながら帰りました(形容出来ない位美味かった)。
あたらしいいのちを貰ったみたいに、身体中にびぃぃんと響いています。