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敦賀茶町台場物語 その8

2021年04月06日 | 小説

敦賀茶町台場物語 その8

 

又吉が茶町台場の築造現場に着くと、すでに人足たち列をなして並んでいた。今日の担当の肝煎の前で、自分の名前を帳面に記録してもらうためだ。

この台場普請には、本職の別なく、一日銀二匁五分が支給される。普通の大工の賃金が二匁二分だから、少しだけ上乗せになる。なれない人夫仕事は体にこたえるが、他の職人たちもみんな、その賃金が目当てでやって来ている。だが又吉は腕の良い大工だから、普段ならこの賃金以上を稼ぐ。大工の中でも稼ぎが良い方だ。こんな人足仕事は早くお役御免になりたいものだと思っていた。

台場普請の仕事は単調な力仕事だ。好きな本業を取り上げられての作業には、もう一つ気が乗り切らず、わだかまりが燻ぶったままの、嫌な気分の毎日だった。それは又吉だけではなかった。朝の仕事はじめから、早く時が過ぎて陽が傾き、帰りによる酒屋の隅の立ち飲み処で、仕事仲間たちと一杯やるのが待ち遠しい。

茶町台場の築造にかり出される前には、奉行所からのお触れを町の肝煎が聞かせに廻ってきて、台場の築造はお国のためだと言っていたが、どうも複雑な事情があるようで、酒屋に職人仲間が集まった折など、いつもその話で盛り上がる。

「外国の軍艦が襲ってくるというのは、あれはほんまかな?」と誰かが口火を切る。みんなが思っている不安だった。

「そのために茶町に台場を造っておるんや。今に敦賀にも黒船が来るで」

 黒船という流行の言葉には、表現できない時代の不安や覚束なさだけではなく、逆説的心理による漠然とした希望のようなものまでが含まれていた。この閉塞した、変わらぬことが美徳である時代を、そろそろ何かが打ち砕くのではないかという不安と期待である。

「そんなもん来たら、どうするんや?」

 黒船は敵だ。しかし、黒船を恐れるお上は、我ら町民の味方だろうか? いや、そこまで考えると訳が分からなくなる。

「逃げるしかないやろな。戦はお侍の仕事やさかい」

 戦うのはお上であり、刀を差して威張っている者たちの役目のはずだ。

「そやけど、茶町の固め場にしても、詰めるのは町人やないか。固め場言うても、武器も何もないし。台場が出来たら、そこの受け持ちにされるのはわしらに間違いないで。町人と、村の百姓が引っ張り出されるんや。わしらに守らせるつもりなんや」

 どうせそんなことになるだろうとは、誰もが思っていた。その流れには逆らえない。問題は、その流れなのだが。

「わしらに湊を守らせるなんて、武士も落ちたもんやな」

 小さな声で誰かが言った。こんなことは大きな声では言えない。奉行所のお役人がこんな酒屋に来ることはないが、手下のそのまた手下などがこっそりと聞き耳を立てていないとも限らない。

「敦賀は城下町と違うからや。城下町なら兵隊もおるやろに」

敦賀は大きな湊があり、商いも盛んにおこなわれているが城下町ではない。

敦賀は小浜に城を持つ小浜藩の領地である。敦賀は古くから越前の国の中心地であったが、小浜は若狭の国であり、違う国が一つにされたことの違和感からか、国を思う気持ちに蓋をされているような、軽く鬱屈した気分が底のほうに流れていた。

「奉行所からのお触れがあったやろ。あれは、わしらに命を捨てて戦えと言うとるで」