うきは拾遺集

    野鳥の声に目覚め、筑後川を眺めて暮らす。
   都鄙の風聞、日日の想念、楽興の喜び&九州ひと図鑑。

小春日和を写す

2016年11月29日 | 随想


 旧暦では11月のはじまりです。1日正午。晴天、大気の気温12・5度。風もなく穏やか。青い空と筑後川の青。黄金色を深めている対岸(朝倉市杷木町)のイチョウとのコントラストの美しさにカメラを誘われました。川に面した専用小部屋の窓からの景色もほぼ同じ構図ですが、川面とイチョウと空を同じ構図に収めるために川べりに降りて撮りました。名所でもなんでもない田舎の風景がかえっていとおしさをそそります。霜月に入って正確には小春日和と言えないのかもしれませんが、「小春日和の秀景」と自賛したい一写です。


「・・・かな」のまん延にうんざり~溶解する日本語

2016年11月26日 | 随想
 万葉集の研究家として知られ、日本語に関する著作も多い、元京都市立芸術大学長の中西進氏の『美しい日本語の風景』という一般向けの本があります。その中で中西氏は、ことばは変化するものであり、日本語も歴史の変遷とともに変化していることを指摘したうえで、次のように述べておられます。

 「下品な流行語は使わず、大昔のものに固執せず、一歩遅れたところでことばを使うと、これはみごとなばかりに美しいことばの使い手となる。実は人間の品というものはすべて『一歩遅れ』にあるのだから。一歩遅れはすべての言語に言える」

 閑話休題。ことばの語尾に「・・・かな」のように意味もなくつけ加える語法がまん延して久しい。過日のテレビ報道で耳にした「・・・かな」のこんな〝誤用〟が気になって書かずにいられなくなりました。震災の避難訓練を実施した自治体職員の言葉です。訓練避難の際、多くの住民が車を利用したために起きた渋滞を反省した、「障害者や高齢者は車でしか避難できないことをみんなで考えてほしいかなと思いました」という言葉です。「緊急の時の避難は体の不自由な人のために車の使用は可能な限り避けてほしい」という要請、強いメッセージのはずですが、しかし、わざわざ「かな」を誤用したことによってそのメッセージの力が限りなく減衰して強い要請として伝わってこない。

 当事者としてのこの「かな」は丁寧語のつもりだったのでしょう。摩擦やトラブルを避けたいという現代社会の象徴のような「させていただきます」を多用する異常さがそうですが、慇懃無礼やいやらしさを超えて、肝心の意思を正確に伝えるという言葉の目的さえ用を為しません。


 全く違う事例です。プロ野球・巨人軍の足のスペシャリスト、鈴木尚広氏の東京ドームでの引退セレモニー、お別れの言葉は、一芸に秀でた人にふさわしい素晴らしいスピーチでしたが、翌日のスポーツ新聞で読んだ寄稿文にはスピーチが素晴らしかっただけに失望しました。1400字ほどの記事の中に5か所もの「かな」が登場していたからです。この種の寄稿は担当記者が話を聞いて代筆することがほとんどですから鈴木氏の文章も代筆と想像します。鈴木氏の言葉そのものか、謙虚な鈴木氏を忖度した若い記者の筆遣いなのかわかりませんが、気になりました。


 そもそも「・・・かな」は「か」と「な」という二つの終助詞の連語で用法は
   ①疑問(「うまく書けるかな」など)
   ②確認(「あれはどこにしまったのかな」)
   ③願望(「代わりに行ってくれないかな」)
   ④納得できない(「どうしてあんな口のきき方をするのかな」)
 などとされています(大辞林)。


 上記した事例を含め、「・・・かな」の流行はその定義を逸脱して感覚の赴くままに使われていることの証と言えるでしょう。ことば遣いは人格そのものであり、ひとりの人間としての装いと同じだと認識します。自問して美しくありたいと思います。

音盤図鑑6 みんなのうたベスト

2016年11月16日 | 楽興
        

 音盤ジャケットのイラストをご覧になって、昭和50年代に子供時代を送った方々、つまり現在の年齢にして30歳から40歳代にかけての皆さんとその親の世代は懐かしくあの時代を思い返されると思います。

 NHKテレビの「みんなのうた」は、歌とアニメーションで構成された楽しい「母と子の番組」でした。番組にはオリジナルのうたが提供され、オヤジもときには子どもたちと一緒にテレビを前に楽しんだものでした。歌詞の内容を物語化したアニメーションの演出がユニークで大人の観賞にも十分に耐えられました。

 記載されたデータによりますと、1979年(昭和54年)の発売になっています。親の世代に当たるわたしとしては、二人の男の子の思い出として残しておきたかったのだと思いますが、同じくらい自分の心の記念にしておきたかったのだろうと思います。

2枚組のアルバムには、全28曲が収められています。わたしの記憶にあるのはそのうちの4分の1ほどですが、「ビューティフルネーム」「赤鬼と青鬼のタンゴ」「ポンタ物語」「山口さんちのツトム君」「北風小僧の寒太郎」などがとりわけ印象に残っています。

ジャケット・イラストを見てみましょう。上段左が「赤鬼と青鬼のタンゴ」、同右が「虫歯のこどもの誕生日」のアニーション・カットであることは確認できましたが、下段の二つは曲目リストと照合しても確かな記憶としては像を結びませんでした。ご記憶の方がおられましたらご教示願いたいと思います。

うきはオリーブ、がんばれ!!

2016年11月07日 | 随想
 福岡県南部、筑後川流域の平野と耳納連山の山麓・すそ野に展開する環境に農業と林業、とりわけフルーツ栽培が盛んな田園の里です。過日の小春日和の二日間、市立体育館・うきはアリーナを主会場に開催された「2016年うきは祭り」は商工業を含めた関連の企業や団体が約70ブースを出店して、「うきは勧業博覧会」の趣でした。好天に恵まれて例年以上の来訪者で大賑わいでした。数あるブースでわたしが注目したのが、「うきはオリーブ」のコーナーでした。
 
 
この地のオリーブ栽培は耕作放棄地の再生対策が模索される中で自然環境、高齢者の参入が容易、輸入品に頼る現状で国産市場の可能性などを考慮して7年前に市の主導で発想された新しい挑戦です。現在、約60戸の参加を得て8・6平方メートルに3500本を栽培しているそうです。

 この間の努力によって製品のオリーブオイル、オリーブの新漬けを発売して2年目、新たに栽培に取り組んでいる椿の油も今年から売り出しました。うきは産オリーブの特長は、うきは産オリーブ100%の〝純正品〟を主力製品にしているこだわりです。気品あるボトルデザインとラベルが高級感を演出し、ネット販売などを通じて反響も広がっているそうです。

  商品と価格の一部をご紹介します。
 ◆うきは産100%オイル(180グラム)=4800円、
 ◆同(65グラム)=2000円、
 ◆うきは産10%・豪州産90%(250グラム)=3000円、
 ◆うきは産椿油100%(135グラム)=4000円

 栽培グループの一員でこの挑戦を牽引してきた市議の藤田光彦さんは「多少、高価に感じられると思いますが、うきは産の品質に自信あり。一度お試しを!!」と意気軒昂でした。がんばれ、うきは産オリーブ。

 

音盤図鑑5 ミュージカル「南太平洋」

2016年11月03日 | 楽興
 
 1955年(昭和30年)を挟んだほぼ10年間は音響に映像に圧倒的な勢いで革命が起き、商業化されて新しい文化を切り開いた時代です。

 音響における「High Fidelity=高忠実度}は、音楽ファンにとって現在の「ハイレゾ」以上のインパクトを与えながらSPからLPへ、さらにステレオ時代への道となり、映像・映画ではシネマスコープ、トッドAOなど大型画面と立体音響時代の幕開けでした。ブロードウェイ・ミュージカルの映画化は音響と映像の革新によってはじめて実現した夢の世界でした。

 ロジャース&ハマーシュタイン2世の名コンビによる名作「南太平洋」は巨大スクリーンに展開され豪華な音楽映画となって長崎市内の高校生だった私を圧倒しました。路面電車の思案橋で降りて丸山方面に向かう途中の洋画の封切り館がその場所。おにぎりの弁当持参で終日居座って繰り返し観たことを思い出します。

 このレコードは映画のオリジナル・サウンドトラック盤で映画の公開からほどなくして発売されたと記憶します。愛を歌うジャケットの男女。左側の美女、豊満なバストが魅惑的なミッツィ・ゲイナーは歌も素晴らしかった。「魅惑の宵」「ア・ワンダフル・ガイ」「ハッピー・トーク」、そして、黒人女優アニタ・ホールの迫力満点の「バリ・ハイ」・・・お相手のロッサナ・ブラツィの歌は、イタリアのオペラ歌手の吹き替えだったことを後に知りますが、立体音響と名旋律、美しい歌が織りなすラブロマンスに魅了されました。

 音楽監督アルフレッド・ニューマンの貢献も記されるべきでしょう。20世紀フォックス映画のロゴを彩るあの有名なファンファーレは彼の作品です。「南太平洋」の前にシャーリー・マックレーンの「If I LovedYou」が可憐で美しかった「回転木馬」、ブリンナーとデボラ・カーのコンビが絶妙だった「王様と私」など、ミュージカル映画の音楽監督を務め、モンローの「七年目の浮気」のほか、香港を舞台にした「慕情」や「追想(アナスターシャ)」の甘美なメロディも彼の持ち味です。ハリウッド映画に数々の名品を残したこの時代を代表する作曲者でした。サントラ盤の編曲とオーケストラ指揮を務めています。