先日、映画の編集をなさっている方から、ビデオテープが送られてきました。子供が2人何かアラビア語で話しているので、その内容を教えてほしいという依頼でした。そこで包装を解いてビデオを見てみましたが、ひとことも聞き取れない!方言がきつ過ぎるのかとも思いましたが、そもそもアラビア語に聞こえないのです。何度聞いてもさっぱりわかりません。
あきらめて、シリア出身のアラビア語ネイティブの先生にビデオを見ていただいたところ、あっさり一言、
「これ、クルド語じゃないの?」
クルド人はトルコやイラクのほか、シリアにもいますから、先生もクルド語を耳にされる機会がおありだったのかもしれません。
(クルド人は、「クルド人」とひとくくりにできない部分もありますが、その問題については本日は深入りしないことにいたします。あしからず。)
あきらめて、シリア出身のアラビア語ネイティブの先生にビデオを見ていただいたところ、あっさり一言、
「これ、クルド語じゃないの?」
クルド人はトルコやイラクのほか、シリアにもいますから、先生もクルド語を耳にされる機会がおありだったのかもしれません。
(クルド人は、「クルド人」とひとくくりにできない部分もありますが、その問題については本日は深入りしないことにいたします。あしからず。)
悲しいストーリーですが、いい映画でした。イラク・クルディスタンのこの10数年の悲劇が濃縮されて、子どもたちの生活に、笑顔に、影を落としているのが、何とも辛いです。
あとイラク北部、クルド人自治区の人たちもアラビア語を理解するのですが『GOOD』という意味で『クワイエス』と言ったら大笑いされたことがあります。聞き慣れない言葉だったんですかねえ。
監督にもお目にかかりました。
クルドの悲劇といいますが、主人公の女の子はフェイリのクルド人ですよね。オスマントルコ時代に、兵役を逃れるため、イラク国籍を取ったり、無国籍でイラク国内に暮らし続けたクルド人が、イラン・イラク戦争で、「イラン人はイランへ帰れ」とか、「イランの協力者」とみなされ迫害されました。
イラン・イラク戦争の頃、北部の戦場でロバを酷使するとロバが崖から身投げをして自殺するという話を一度からならず聞いたことがあります。ロバがサボタージュすると、ロバに背負わせていた荷物を兵士が担がされ、「俺も崖から飛び降りたくなった。」と言っていました。
クルドの山は追い詰められた人を呼ぶのかもしれませんね。
ボクも何人かイラクのクルド人の友人がいるのですが、久しぶりに会うとよく「イザイヤック」とか「クッル・クワイエス」とかエジプト方言でからかわれたり、笑われたりしています。日本人+エジプト方言のマッチングが彼らには面白いんでしょうね。まあ、クルド人に限っての話じゃないかもしれませんが。
そんなクルド人の1人が、イラクでの戦争直前にしみじみ言ってました。「クルド人に友達はいない。山のほかには」って。そういうことわざがあるとか。
見に行けるかな…。
イタリアの配給会社がそういうサポートをしたという話を知り、感動しました。
!ما أكرمها
岩波ホールでの公開終了まであとわずか。何とか見に行きたいものです。