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丸尾印刷の月末の集金は、あっけなく終わってしまった。近隣で、小口ばかりだった。あとは、蒲田方面の会社が一つ残るだけとなる。
「神尾君なあ、そこが済んだら、うちの当座に直接入金しといてくんないかな。口座はここにあるよ。うちも明日から夏休みだ。機械を動かすほどの仕事もねえしな。盆明けに、あれだ、大口の依頼がくることになってるから、それまで骨休みだな。島ちゃんも帰ってこないし、カミさんも実家の墓参りにいきてえらしいや」
丸尾社長は体をゆすって立ち上がってきた。当座預金の口座番号を書いた紙きれを手渡された。
「おっ、それから、こいつをな。月末だし」
そういって、茶封筒をさしだした。
「今月分の校正料だよ。それに、集金やらなにやらだいぶスケてもらったから、すこしイロをつけたよ」
「たすかります」
と、頭をさげて受けとった。アパートの家賃が払えるかの瀬戸際だ。払えたとしても食費がなくなりそうだったのだ。
「じゃあ、お盆明けに顔をだします」
「おう。紅花舎も閉めちまったらどうだ。困りゃあしないだろう」
丸尾社長は、そのまま奥にひっこんでいった。印刷機も止まって、しんとした社屋のなかにミシミシという足音だけが響いている。社員も来ていないようだ。出しなに柱時計を見ると、午後四時を過ぎていた。紅花舎を夏期休業ににしたとして、お盆明けまでなにをしていればよいのか。ミドリちゃんも休んだままだといっていたが、アパートにも戻っていないのだろうか。帰りしなにそっちに寄ってみようかとも思う。
階段をあがり、紅花舎の事務所にもどると、そこらをすこし整頓したり、なにも入っていない冷蔵庫のコンセントをぬいてしまったり、窓の鍵をかけてまわったり、一応の片づけごとをしてしまう。あとは、休業を告知する張り紙をだせばいい。コピー機からA4の用紙を一枚ぬいて、マジックで「八月十三日まで夏期休業いたします」と下手な文字で書いてみた。これをシャッターにはりつけておけばいい。夏期休業どころか、ずっと休業になるのではないかと皮肉な気持ちになった。秋口には、あの『昭和戯文集成』の仕事が再開されるだろうが、もうひとつの『猫文書』はどうなることか。著者がこの夏を越せなかったら、またしても流れてしまう。ヘンな予感がしているのだった。
思い出して、丸尾印刷からの手数料の封筒をあけてみた。七万円入っていた。最初にもらったときと同額だった。どういう計算かはわからないが、結局十万に届かない仕事だったわけだ。赤塚さんの旦那から預かった十万は、まだ手をつけぬまま持っている。あれを使おうとすれば、探偵もどきの調査もすこしはせねばならない。このつぎ電話がかかってきたら、なにかの情報を持っていないとタダトリになってしまう。
それで、ふと思いついて、電話帳をひっぱりだしてきた。
千代田区の保険会社の支店の電話番号を調べてみようと思ったのだ。先日の交番で覚えた捜索法を試してみようと思いついたのだ。