10 高島屋均一市の跡
「高級百貨店として知られる高島屋ですが、かつて千林商店街内に10銭・20銭均一の店を開いていました。
現在で言えば百均(100円均一)のお店の走りといえます。」
場所がよくわからなくて。この辺でいいのかなあ
11 強頸絶間(こわくびたえま)の碑
「5世紀頃のことです。かつて淀川は暴れ川で、しばしば難波の地は水難にあいました。
そこで仁徳天皇が治水工事を開始しますが、なかなか進展しません。そこで難所であった2箇所に河の神に
生贄をささげることを決め、神のお告げによって河内国の茨田連衫子(まむたのむらじころものこ)と
武蔵国の強頸絶間(こわくびたえま)の2人が選ばれました。茨田連衫子は機転を利かせて、川にひょうたんを投げ込み、」
「本当の神ならば、ひょうたんを沈めてみよ」と叫び、すると、ひょうたんは沈まなかったので生贄を免れましたが、
強頚は泣く泣く生贄として淀川に沈められました。」
この碑がまた見つからなくて探し回って、これ↓か?なんていちおう写真にも撮っといたけど、
碑は個人宅内にあるため見学できないんだって。(注:これ↓じゃないよ(^^ゞ)
12 日本茶・茶道具専門店 加藤銘茶本舗
「お茶と茶道具一筋60余年の老舗で、静岡の茶問屋出身の祖父・加藤久吉氏が、戦前に開業しました。
以来、ルーツである静岡の「深蒸し煎茶」と「自家製ほうじ茶」を中心に販売しています。
現在は3代目店主・加藤進さんが日本茶インストラクター、茶審査技術八段の技術を生かして、
独自のブレンドを施した日本茶を提供しています。」
う~ん、ここでは買ったことないかも。熱いお茶が恋しい季節になったら、
ほうじ茶を買いに行こうかな。覚えてたらね~(^^ゞ
13 ダイエー1号店跡
「日本で最初のスーパーマーケットと言われるダイエーは、当初は「主婦の店ダイエー(ダイエー薬局)」として
昭和32年に京阪千林駅前でオープンしました。その後、当地に移転。昭和49年に閉店しました。
ダイエー薬局と某薬局の価格争いの名残からか「千林の薬局は安い」と、今でも話題になっていて、
遠くからまとめ買いに訪れる人も大勢います。」
ここかな? 確かに安いものは安い。
主人の弟夫婦は若い頃、紙オムツとかまとめ買いしに来てた。 ゴールは野崎ガード
14 野崎ガード(野崎街道)
「野崎とは野崎観音のことで、正式には「福聚山 慈眼寺」(大東市)といいます。
天平勝宝年間(749~757)に行基が十一面観音を刻んで安置したのが始まりと伝えられ、
平安時代には江口の君が、難病治癒のために参詣したという伝承もあります。・・・・・・
かつては野崎観音の西側一帯は大池(深野池)があり、大坂からは屋形船が行き来しました。
大和川付替以降は寝屋川および支流の谷田川を行き来するようになり、天満橋・八軒家船着場から
上がっていくルートと、陸路を歩く参拝者とが、罵り合って競い勝てば一年の幸を得られたといいます。
この野崎参りの様子は、人形浄瑠璃や落語の作品を通じても知られていますが、野崎街道は、その陸路です。」
梅雨の時期で天気予報の降水確率が高かったので、この日はアーケードのある商店街にした。
しかも自宅から歩いて行けるコースだし、馴染みの場所なので気が楽だった。
商店街は賑やかだけど、一歩路地を入ったら静かな住宅地。
荘園への川の跡が楽しかったなあ。紺色の文字で書かれた「」内の文章は、「大阪あそ歩」からの抜粋です。
Mameshiba 7300歩 5km
ダイエーの1号店ってトポスのとこと思ってたわ。
私、加藤茶店って言ってた…(笑)
「梅こぶ茶」ってよくあるでしょ。ここは「梅茶」もあって、娘たちが幼稚園の時よく買ってたました
>ダイエーの1号店ってトポスのとこと思ってたわ。
そう思ってた人が多いのでは。
しっかし、トポスやサティがなくなって不便になりましたよね~。
個人店では買いにくいちょっとしたもんを買うのに便利だったのに。
パチンコ屋さんになるなんてね~。がっかり。
でも空き店舗のままなのも不気味だったし
>「梅茶」もあって、娘たちが幼稚園の時よく買ってたました
へぇ~、梅茶ですか。桜茶みたいな感じで梅が入ってるのかなあ。
こぶ茶は美味しいけど塩分が高そうなので飲まないんですが、梅茶なら大丈夫かな(^^ゞ