添乗備忘録改め暮らしの記録

添乗先の国々や出会った方々の記録、そして仕事の備忘録
〜からの田舎暮らしの日々の記録

スイス周遊

2009年06月21日 | ヨーロッパ
スペインのアップも中途半端なまま(^^;)、スイスに行ってまいります。
ベストシーズンにはまだ早いですが、スイス3大名峰(マッターホルン・ユングフラウ・モンブラン)を紹介致します。
次の更新は7月5日頃を予定しています。

人気ブログランキングへ

アルハンブラ宮殿・ヘネラリフェ

2009年06月20日 | ヨーロッパ
ヘネラリフェは、王が宮廷の雑務から解放されくつろぎの時を過ごす為の別邸とでもいう場所です。
王宮から徒歩15分ほどの場所になります。
現在は、四季折々の花々が咲き乱れる庭園という印象ですが、当時は、庭園というよりは王室の農園・果樹園という側面が大きかったようです。
写真は、ヘネラリフェの中でもよくガイドブックなどに載っているアセキアの中庭。
アセキアとは用水路という意味です。
水に餓えたアラブの民ならではの、優れた灌漑の技術をもって、高台にあるこの場所にに十分な水を引くことに成功しています。

人気ブログランキングへ

アルハンブラ宮殿・王宮

2009年06月19日 | ヨーロッパ
グラナダの町を見下ろす丘の上に建つ、世界遺産アルハンブラ宮殿。
アルハンブラの語源はアラビア語の「カラット・アル・ハムラ」
「赤い城」という意味です。

アルハンブラ宮殿は、スペイン最後のイスラム王朝、ナスル朝の歴代の王の居城でしたが、現在は主に以下の4つの部分に分けることができます。
①王宮・・王の居住区
②ヘネラリフェ・・夏場の離宮
③カルロス5世宮殿・・キリスト教徒の手に渡った後に造られた宮殿
④アルカサバ・・軍事要塞

上の写真は、王宮部分でもコマレス宮と呼ばれるアルハンブラの中でも重要な場所です。
コマレス宮には、メスアール宮、ライオン宮という2つの宮殿が隣接しており、現存する宮殿はこの3つのみです。
かつては7つの宮殿がありましたが、歴代の王が自分の力を誇示する為に、前王の造った部分を破壊するなど増改築が繰り返されました。
木組みの天井、大理石のファザード、モザイクタイルの装飾、石膏装飾の幾何学模様、どれをとってもイスラム建築最高峰を誇る素晴らしいものです。

人気ブログランキングへ

ガウディの最後

2009年06月18日 | ヨーロッパ
ガウディは、生涯独身で晩年は教会内に住み込み、その全てを教会建設に捧げました。
建設資金が尽きれば、自らが寄付を募り家々を歩き廻ったそうです。

そして1926年、ガウディは市電に轢かれて亡くなります。
あまりのみすぼらしい身なりの為に浮浪者と間違われ、病院に運ぶ為のタクシーに4度も乗車拒否にあったそうです。
以下、外尾さんの「ガウディの伝言」より、ガウディの葬儀の様子を紹介します。

(ガウディの葬儀の様子を伝える新聞記事を見ると)
どこにこれほどの人がいたのかと思われる程の大群衆が、礼服を身に着けて集まっています。
ミサが行われたカテドラルを出発した葬儀の先頭が、サグラダ・ファミリアに到着した時、後尾はまだカテドラルを出ていなかったと伝えられています。

アントニ・ガウディ・コルネット 享年74


人気ブログランキングへ

グエル公園

2009年06月18日 | ヨーロッパ
これは、グエル公園内のガウディが一時期暮らしていた家です。
グエル公園は、もともとはガウディのパトロンである大富豪、エウセビオ・グエルの依頼した集合住宅として作られましたが、売れたのは3棟のみ。
そのうち2棟は依頼者のグエルとガウディの家です。
(ガウディ自身は大変質素な人物で、この家は一緒に住む父と姪の為に購入しました。)
売れなかったおかげで現在は公園となっています。
また、家は博物館として一般開放されています。

この公園は、ガウディが一番エネルギッシュに活動していた時代の作品になりますので、ガウディの世界を存分に味わえる場所ですが、下の写真にもガウディらしさが出ています。
ガウディはこの通路の建設にあたり、元々生えていた木を切るようなまねはしませんでした。
ガウディの人となりを感じることのできるオススメの場所です(^^)

人気ブログランキングへ

サグラダ・ファミリア④

2009年06月17日 | ヨーロッパ
サグラダ・ファミリアの西門にあたるのが「受難の門」になります。
名前の通り、最後の晩餐から磔刑に処される受難の日、そして埋葬までの場面がモチーフになっています。
これは、ガウディの死後に造られた部分で、これを手がけた彫刻家の完全なオリジナルになります。
ガウディ自身が書いたデッサンが存在したにもかかわらず、それを全く無視して造られたそうです。
外尾さんは、著書「ガウディの伝言」の中で、このことに異論を唱えてらっしゃいます。

「受難の門」を作った彫刻家はジョゼップ・マリア・スビラクス。
1927年、バルセロナ生まれ。
1987年~2005年までの18年間、サグラダ・ファミリアの建設に携わりました。
下の写真は、キリストが十字架を背負いゴルゴダの丘に登る場面。
ご覧のように「生誕の門」とは全く異なるスビラクスの近代的な彫刻は、造られた当初は賛否両論あったようですが、地元バルセロナの彫刻家ということもあり、現地では相応の評価を受けているようです。
けれど、日本では彼のことはほとんど知られていません。
(ウィキペディアにも情報が無いのです。)
英語のみですが、詳しく知りたい方は、彼の情報はコチラから。

人気ブログランキングへ

サグラダ・ファミリア③

2009年06月16日 | ヨーロッパ
「人間は何も創造しない。ただ、発見するだけである。
新しい作品のために自然の秩序を求める建築家は、神の創造に寄与する。
故に独創とは、創造の起源に還ることである。」

ガウディの言葉です。
この言葉のように、ガウディのデザインは自然に倣っています。
昆虫や植物、山や波など自然そのものがモチーフになっており曲線を多様しています。
人工的な直線より、より自然に沿っているからということのようです。
上の写真は、まだまだ建設中の教会内部。
柱のモチーフが木であることがお分かりかと思います。
下の写真は、「生誕の門」を支える柱の台座です。
台座部分に「安定」の象徴である亀が置かれています。

海側にあたる方の台座には海亀、山側には陸亀と種類が変えてあります。
亀は口を開けていますが、この柱は雨どいになっていて、雨の日には亀の口から水が流れるようになっています。

人気ブログランキングへ

サグラダ・ファミリア②

2009年06月15日 | ヨーロッパ
サグラダ・ファミリアの東門が「生誕の門」になります。
この門だけが、ガウディの生存中にほぼ完成していました。
大天使ガブリエルの聖母マリアへの受胎告知に始まり、キリストの誕生、そして人々に教えを説く成人したキリストまで、新約聖書の様々な場面が描かれています。
しかし、スペイン内戦によりこの彫刻は大きなダメージを受けました。
教会のみならず、図面もほとんど消失し、当時の司祭は殺されてしまい、教会内にあるガウディの墓も荒らされました。(けれど、遺体は奇跡的に無傷!)
そして、破壊された教会の修復にあたったのが日本人の彫刻家外尾悦郎さんです。
ガウディが設計し壊された部分、下の写真の楽器を手にした天使15体をはじめ、現在は教会内の地下の博物館の奥に工房を持ち作業をされています。
最近はあまりにも有名になられた為、工房の見学はアポイント制になってしまいました。
この写真には映っていませんが、鐘楼の先にはたくさんのカラフルなフルーツが載っています。
これらのフルーツも外尾さんの手がけられた作品です。
フルーツの画像はココで探せます。yahoo画像
また、外尾さんは「ガウディの伝言」(光文社新書)という本を書いてらっしゃいます。

本の中で、よく聞かれる2つの質問について言及されています。
「いつ完成するのですか?」
「設計図が無いのに何故作れるのですか?」
その答えは・・
ご興味のある方は、是非読んでみて下さい(^^)

人気ブログランキングへ

サグラダ・ファミリア①

2009年06月14日 | ヨーロッパ
バルセロナの「アントニ・ガウディの作品群」として登録されている世界遺産の中でも、圧倒的な存在感を放つサグラダ・ファミリア。
この教会の2代目建築家に選ばれたとき、ガウディは31歳。
まだ無名の建築家でした。
それから亡くなるまでの43年間、ガウディはこの教会の建設に生涯を捧げました。
ガイドブック、テレビなどでよく紹介される門は、写真の「生誕の門」。
あまりに大きすぎて、門正面にある公園からしか全体像を写真に収めることが出来ません。
夜はライイアップされます
教会には合計18本の塔が建てられることになっています。
18という数字は、12使徒、4人の福音家、そしてキリストとマリアを足した数字です。
現在完成しているのは「生誕の門」の4本と「受難の門」の4本、計8本。

ガウディは個人的に大好きなので、明日以降も、もう少し紹介させていただく予定です(^^)

人気ブログランキングへ

ドン・キホーテの故郷

2009年06月13日 | ヨーロッパ
スペイン、ラ・マンチャ地方のコンスエグラの風車群です。
ラ・マンチャとはアラビア語で「乾いた大地」を意味し、コンスエグラの街を見下ろす丘の上には、11基の風車と12世紀の城塞があります。
そしてここはセルバンテスの小説、「ドン・キホーテ」の故郷。
「ドン・キホーテ」は、世界で聖書の次に多く読まれているベストセラー本だそうです。

これは、マドリッドのスペイン広場にあるモニュメントです。
セルバンテスの没後300年を記念し建てられました。
中央に座っている人物が文豪セルバンテス。
左側が痩せ馬ロシナンテにまたがるドン・キホーテ。
右側はドン・キホーテの小太りの従者サンチョ・パンサ。

人気ブログランキングへ

セゴビアの水道橋

2009年06月12日 | ヨーロッパ
高さ約28m、全長813m、アーチの数167。
巨大なこの水道橋は、ローマ帝国が1~2世紀にかけて造りました。
セゴビアは紀元前1世紀頃からローマの支配下に入りましたが、ここが川に囲まれた高台にあり城塞を作るのに適した土地であった為にローマ人が目をつけたという訳です。
なんと、この水道橋は100年程前まで実際に使われていました。
これは裏側。
接着剤など一切使っていません。
石を積み上げただけの造りです。

ローマ帝国は、驚くべき技術をもってどこにでも水道を造りましたが、有名なローマのトレヴィの泉も、ウィルゴ水道というローマに引かれた水道の一つの終端になっていた所です。

人気ブログランキングへ

白雪姫のお城

2009年06月11日 | ヨーロッパ
これは、白雪姫のお城のモデルとなったスペインの世界遺産の街、セゴビアのアルカサルです。
アルカサルとはスペイン語で「城」「砦」という意味で、固有名詞ではありませんので、スペインにはいくつもアルカサルが存在します。
ここセゴビアのアルカサルは、王宮であると同時に軍事面での重要な拠点でもありました。
現在は一般開放されており、館内には博物館も併設されています。

こちらがお城の正面入口になりますが、後方の造りに比べ強固で砦っぽい感じです。

ちなみに、シンデレラ城のモデルとなったお城は、日本ではドイツのノイシュヴァンシュタイン城とされるのが一般的ですが、海外ではフランスのユッセ城とも言われます。

人気ブログランキングへ

パエリア

2009年06月10日 | ヨーロッパ
パエリアは元々、米所バレンシア地方の郷土料理ですが、バレンシアに米作りを伝えたのはイスラム教徒です。
今でこそ、魚介類のふんだんに入ったパエリアは大人気ですが、内陸の住民達にとって、冷蔵庫の普及する1960年代までは、羊や兎、干したタラに野菜といったものが主な具材でした。
ところでパエリアが世界的に有名になったのは、イギリスの小説家サマセット・モームが「ドン・フェルナンドの酒場で」という本の中で絶賛したからだそうです。
モームはパエリアをこのように表現しています。

「世界はひどい所だ。
 しかし、慈悲深い神は、人間の哀れな運命を和らげるため
 時たま安らぎをお与えくださる」

評判は芳しくないイギリス料理ですが、モーム自身も「月と6ペンス」の中で、祖国の料理をこのように書き記しています。
「イギリスで美味しい食事をしようと思うなら、朝食を3度とればよい」

人気ブログランキングへ

ロバのタクシー

2009年06月09日 | ヨーロッパ
ミハス名物、ロバのタクシーです。
客待ち中のお兄さんは暇そうでロバは眠そう・・

それにしても、動物を撮るのは難しいです。
動物達の表情をとても生き生きと撮ってらっしゃるen_dy さんの動物園の「ど」!というブログ、お手本です。
個人的な嗜好により、ハシビロコウに飛ぶようになっています(^^;)

人気ブログランキングへ

白い村

2009年06月08日 | ヨーロッパ
ここはスペイン、アンダルシア地方の南部、地中海に面したコスタ・デル・ソル(太陽の海岸)と呼ばれる海岸から山間に入った白い村、ミハスです。
家々の壁は真っ白ですが、強い日差しによる暑さ対策として、この辺りでとれる石灰岩を粉末にしたものを塗っている為です。
これにより、夏の暑い日でも室内の温度は23度前後に保たれるそうです。

こちらは、ガイドブックやパンフレット、テレビのコマーシャル(キャノン)などに登場したサンセバスチャン通り。

人気ブログランキングへ