雨の音を聞いてると、心が落ち着く。
自然の音ってやっぱり良い。
耳の奥がシーンとなって、その音だけに集中してしまう。
雨の日で時間がある時は、決まって、ちょっとしっとりした音楽を聞きながら、本を読む。
冷たいアイスティーで、喉を潤して。
本を読んで、合間に考え事。
いつもあなたの事ばかり。
薔薇の蕾が一つずつ咲くように、毎日、毎日、あなたへの思いが膨らんで行く。
何も聞かなくても
何も言わなくても
こんなに一緒にいられるのは
やっぱりあなたの優しさに包まれているから。
みんな色んな人と出逢って、少しずつ変わって行くけれど、私が私らしく居られて、
こんなに静かに
こんなに温かく
少しずつ変わって、咲いていられるのは、
やっぱりあなたにしか出来ない事。
しとしとと降る雨に、微笑んでいる、あなたの横顔を浮かべる、私。
8月5日に秋田の竿灯まつりへ行ってきました。
人がたくさんで、なかなか良い写真が撮れませんでしたが、
実際に見たことの無い方もいらっしゃると思いますので、
掲載しました。
雰囲気だけでも伝わるといいな
皆様も秋田を訪れる機会がありましたら、竿灯、一度見て下さいね
暑い昼下がりの午後に
アイスティーに浮かんだ氷を眺めて
溶けるような甘い時間を重ねたりする
友達以上、恋人未満なんて
そんな曖昧な言葉で片付けるのとも
ちょっと違う気がして。
また今夜も私を
月がそっと見ているんだろうな。
汗をかいたグラスを手に取ると
角の無くなった氷がカランと音を立てて
また心と一緒に溶けていく
手を伸ばして届く距離に
あなたがいればいいと
いつも思う
逢えない時間が愛を育てるなら
きっともう抱えきれないほどに
この腕からあふれてしまっている
想いの嵩を量れるものがあったら
きっとあなたが想うより
私の方が想ってる・・・かな。
ちょっと気分転換に、お外の空気に触れました。
夜中って、やっぱり少しドキドキする。
空気はヒンヤリ冷たくて、ちょっと目が覚めた。
ガラスの世界は音も、ぬくもりも、触れる事も出来ない。
でも
あなたの幸せだけを願って。
どこで何をしていても
少し淋しくても
同じ月の下でいられる幸せを
感じていたい。
乾いた唇と冷たい指先
見えないあなたを
そっとこの手で包み込む
親友によく言われる事ですが、
『 清く、正しく、美しく 』
この標語みたいな3ヶ条が私にしっくりくる言葉なんだって。
この3ヶ条、私が通っていた小学校の校訓だったんです。
この言葉が、まるで私みたいだって言われたのは、大人になってから。
ずっとそう思っていたらしいけど、初めて聞いた時は、ちょっと驚きました。
いい子にしている訳でも、なんでもないけれど、ちょっと軽い言葉で表すと
すれば、世間で言う、「遊んでる」って事とか、イケナイ事はした事が無くて。
鳥かごに入っていれば、ずっとそこで楽しく歌ったり、ご主人様と遊んだりして、
きっとかごから出されても、肩に乗って飛んでいったりしないような私。
今もそれは、もちろん変わりはないけれど、辛い事があったり、自分に非が
無くても、我慢して、それで良かった。
でも、それよりもっと純粋に今は、もっと違う私がいたの。
今は、ちょっとわがまま言っても、本当に素直な自分でいたい。
飛んで行ってみたい。
1日だけでも羽があったら、
飛んでいけるのに。
そんな風に素直に思える自分が、
ちょっと愛おしかったりする、この頃。
先日、学生時代からの友人の結婚式に招待された。
とても綺麗だった。
旦那様には初めて伺ったけれど、彼女が選びそうな、誠実で寡黙な人だった。
彼女はとても家庭的で、家事全般を手際よくこなす。
運動神経も抜群に良くて、パソコンなんかも、軽々と使いこなせる器用な女性。
私は運動が全くと言っていい程だめで、体育の時間は、彼女の素早い動きに見とれていた。
そんな私なので、走るのはおろか、自転車をこぐのものろのろで、自分のペースを乱したりすると転倒したりする。
ピカピカの自転車で初めて登校した日、学校帰りにカラオケに行く事になって、10人近くの列になって、カラオケまで自転車をこいだ。
案の定、私は一番後ろになってしまって、一生懸命追い付こうと、慣れない自転車を必死でこいだ。
下り坂に入った辺りで、道に落ちていた石が、前輪の側面にざっくり擦れて、派手に転倒。
恐らく一瞬であろうが、スローモーションのように、空を舞って、吹っ飛んだ。
気付くと、自転車は2~3m後ろに倒れていて、私は車がビュンビュン通っている道路の端へ投げ出されていた。
私の体のスレスレを自動車が駆け抜けて行った。
危なく命を落とすところだったのかもしれない。
アスファルトに全身打ってしまい、痛くて動く事はおろか、声すら出なかった。
皆は気付かず、どんどん行ってしまうように見えた。
そんな中、ふと彼女が振り向いて、
「さくらが転んだっ!」
と叫んで、戻って来た。
血だらけでボロボロの私を半分担ぎながら、近くのガソリンスタンドまで連れていって、助けを求めてくれた。
彼女は、私が自転車で初登校したのを知っていたのか、後ろを気にかけてくれていた。
彼女は私に、
「スピード早かったね。ごめんね。」
と言った。
どんくさい私の事故なのに、彼女だけが、そんな風に言ってくれた。
次の日、朝から病院へ行って、手足は大げさなくらい包帯でぐるぐる巻きになり、午後からの授業を受けた。
先生も、事故を知らない他のクラスメイトもびっくりしていた。
そして、バス通に逆戻りしてしまった。
事故の恐ろしさが少し癒えて来た時、また自転車通に復活した。
自分のペースを絶対に乱さないよう、心に誓ったりした。それ位怖かった。
夏休みに入って、部活のマネージャーをしていた私は、学生も疎らな道を自転車で、ゆっくり行き帰りしていた。
彼女は他の部のマネージャーをしていて、たまたま帰りが一緒になった日があった。
私は知っての通りこぐ速度が遅いので、彼女とは自転車置場でさよならしようと思っていた。
彼女は私より先に校門を後にして、いつもの半分位の速度で自転車をこいでいた。
後ろをたまに振り返って、特に話す訳でも無く、ゆっくりこいでいた。
私は彼女の第一印象を思い出していた。
目鼻立ちがはっきりしていて、話した印象も何処かそっけなく、少し怖い気がした。
私はこの時の自分を恥じた。
全然知らなかった。
彼女の優しさを。彼女の繊細さを。
後になって知った、涙もろい性格だって事も。
式もクライマックスに近づいた最中、両親への手紙で、大粒の真珠の涙が、彼女の頬を伝っていた。
温かな式だった。
結婚式に呼んでくれてありがとう。
おめでとうを心から。

隣の芝は青い。
私は、このことわざに、同感した事がほぼ無い。
どれだけ、気が晴れない日でも、悲しい事があっても、人と比べたり出来ない。
人と比べられるものでもない。
私はお金持ちでも無ければ、容姿端麗、運動神経抜群でも無い。
けれど、自分の暮らしや、持ち物、人間関係においても、こだわりを持って生きている。
家の中に居るだけで、幸せになれる。
なぜなら、自分の好きなや気持ちが、必要な分だけ、揃っているから。
だから人をすごいな、素敵だな、幸せそうだな、と思っても、羨ましいと感じるよりは、その人が幸せで良かったなとか、似合っているなと思う。
そのせいか、いつも幸せそうだねとか、いいな~とか、悩みなんて無いでしょう、など、口にされてしまう事がある。
その一言を聞くと、悲しくなってしまう。
その人その人によって、幸せの形は違って、尺度も違う。
その人にはその人にしか体験出来ない幸福が、後にも先にも数え切れない程ある。
無論、辛い出来事もしかり。
不幸探しなんてしていたら、つまらない。
幸せを幸せな心で返せばいい。
人にきつい一言を言われやすい私は、その人にこの青い芝の話を出来ないでいる。
伝えた方がいいのか、そうしない方が傷つけないのか、答えを出せないでいる。
言葉は、幸福をもたらすだけでなく、鋭い刃にもなる。
私の大事な人達は数は少なかれども、人の幸せを心から喜んでくれる人達ばかり。
自分の心にポリシーとプライドを兼ね備えた、心美人ばかり。
隣の芝も、また違う青さで良かったねって、言い合えたらいいな。