漫才コンビ極楽とんぼの山本圭一(38)が、未成年者への淫行・飲酒で任意事情聴取を受けた。吉本興業は専属契約を解除し、彼が所属していた萩本欽一の野球チームが解散を発表するなど、波紋が広がっている。
彼はかつて東京は桜美林大学の学園祭で、公衆の面前で下半身を露出したとして猥褻物陳列罪に問われている。ちょうどわたしが高2で、熊谷高校(男子校)の生徒会誌を編集していた頃のことだ。折しも、同校の新入生歓迎会などで一部生徒が「脱ぐ」ことを断罪する記事を執筆している最中だったため、これ幸いとネタにさせてもらった。そのためよく記憶している。
事ここに及ぶともう救いようがない。山本についてはあえて発言すべき内容もない。
しかしmixiなどを通じていろいろな人の日記を見ていると、やはり気になることが見つかった。まあ、あって当然といえば当然なのだが。はい、セカンドレイプですね。
レイプなどの性犯罪について、もちろん加害者(大抵男)が悪いが、そういうことが想定される所にのこのこ出て行く被害者(大抵女)の方にも責任がある(他の言い分には、誘うような言動をした、露出過度な服装など)、というのがセカンドレイプの論法。先に起きた京都大学アメフト部の集団レイプ事件の際にも吹き荒れていたが。
この件でもレイプされた少女は被害届を出している。そもそも強姦罪は加害者が集団でない限り親告罪扱いのため、被害届が出なくては事件にもならないのである。被害届を出した当の本人が、責任を問われるようでどうするというのだ。言うまでもなく、こうした世間の風潮が数知れぬ泣き寝入りを生んでいるのである。
我が母は江戸時代農村を専門とする女性史家(「歴史やってる女」じゃないよ、「女の歴史やってる人」だよ、念の為)であるが、そのためわたしも江戸時代のレイプ事件などをいくらか知っている(こういうの、意外と記録に残ってるもんなんだよ)。性規範が現在と異なるゆえ、もちろんすさまじいセカンドレイプが被害女性には浴びせられる。1819年のある一件では、被害女性が「出戻り」で、しかもその家は当主を亡くして老衰の父と未独立の甥と姪しかいない欠損家族という二重三重に弱い状況にあり、村役人に訴え出てもまったく相手にされないばかりか罵倒される、というところからスタートする。この被害女性、武蔵国横見郡久保田村(現埼玉県比企郡吉見町)の「たよ」さんは非常に強い人で、単身江戸に乗り込んで越訴し、最終的には犯行グループに謝罪させ経済的弁償を勝ち取るところまで行くのだが、無論かなりのレアケースである。
さて、21世紀にもなって、未だにこれと大して変わらないセカンドレイプが後を絶たない。どのような背景があるにせよ、レイプや性的嫌がらせ行為のその部分に関しては、加害者が100%悪であるとどうして言い切れないのだろうか。かつて田嶋陽子(この人はあまり好きじゃないけど笑)が述べていたことだが、なぜ
夜道の女性の一人歩きはやめましょう
という張り紙ばかりあるのに
夜道で女性を襲うのはやめましょう
とは言われないのか。
ムラムラっと来たら、たがを外してある程度のことをイタしても仕方ない、酔わされたのだからという甘え、非常に不愉快極まりない。
彼はかつて東京は桜美林大学の学園祭で、公衆の面前で下半身を露出したとして猥褻物陳列罪に問われている。ちょうどわたしが高2で、熊谷高校(男子校)の生徒会誌を編集していた頃のことだ。折しも、同校の新入生歓迎会などで一部生徒が「脱ぐ」ことを断罪する記事を執筆している最中だったため、これ幸いとネタにさせてもらった。そのためよく記憶している。
事ここに及ぶともう救いようがない。山本についてはあえて発言すべき内容もない。
しかしmixiなどを通じていろいろな人の日記を見ていると、やはり気になることが見つかった。まあ、あって当然といえば当然なのだが。はい、セカンドレイプですね。
レイプなどの性犯罪について、もちろん加害者(大抵男)が悪いが、そういうことが想定される所にのこのこ出て行く被害者(大抵女)の方にも責任がある(他の言い分には、誘うような言動をした、露出過度な服装など)、というのがセカンドレイプの論法。先に起きた京都大学アメフト部の集団レイプ事件の際にも吹き荒れていたが。
この件でもレイプされた少女は被害届を出している。そもそも強姦罪は加害者が集団でない限り親告罪扱いのため、被害届が出なくては事件にもならないのである。被害届を出した当の本人が、責任を問われるようでどうするというのだ。言うまでもなく、こうした世間の風潮が数知れぬ泣き寝入りを生んでいるのである。
我が母は江戸時代農村を専門とする女性史家(「歴史やってる女」じゃないよ、「女の歴史やってる人」だよ、念の為)であるが、そのためわたしも江戸時代のレイプ事件などをいくらか知っている(こういうの、意外と記録に残ってるもんなんだよ)。性規範が現在と異なるゆえ、もちろんすさまじいセカンドレイプが被害女性には浴びせられる。1819年のある一件では、被害女性が「出戻り」で、しかもその家は当主を亡くして老衰の父と未独立の甥と姪しかいない欠損家族という二重三重に弱い状況にあり、村役人に訴え出てもまったく相手にされないばかりか罵倒される、というところからスタートする。この被害女性、武蔵国横見郡久保田村(現埼玉県比企郡吉見町)の「たよ」さんは非常に強い人で、単身江戸に乗り込んで越訴し、最終的には犯行グループに謝罪させ経済的弁償を勝ち取るところまで行くのだが、無論かなりのレアケースである。
さて、21世紀にもなって、未だにこれと大して変わらないセカンドレイプが後を絶たない。どのような背景があるにせよ、レイプや性的嫌がらせ行為のその部分に関しては、加害者が100%悪であるとどうして言い切れないのだろうか。かつて田嶋陽子(この人はあまり好きじゃないけど笑)が述べていたことだが、なぜ
夜道の女性の一人歩きはやめましょう
という張り紙ばかりあるのに
夜道で女性を襲うのはやめましょう
とは言われないのか。
ムラムラっと来たら、たがを外してある程度のことをイタしても仕方ない、酔わされたのだからという甘え、非常に不愉快極まりない。
ってことなんだろうね。
俺も、被害者が責められる世界はよくないと思う。でも、変えられるのは相手じゃなくて自分なわけで・・・
悪・・これは100%加害者だけど、被害者が被害者にならないためにできたこともあるはずなんだ。
だから、そういう話をしているのだと思う。
『誰が悪い』ではなくて、『被害にあわないですむように』って。
被害にあってからじゃ、なにも取り戻せないのだから。
ごめんなさい
これは返しようがないですね。最近「~ですが何か?」というのが流行ってるみたいですが、あまり気に入りません。
とかいいつつ自分でも使っちゃうけど。
>鉛
その対象のずれてるところを含めて、近日中に反批判を書くからね。「ジェンダーフリー」に対する誤解と繋がるところもあるので。良いところを突いてくれました。
あまり難しい言葉使わないでね。
まぁ書面ならば読み下しに時間かけられるからいいけど・・。
ありがたいことです。