雑感記録所

内容の制約を一切せず、その時書き留めたいことを記録していた。

CDs of life

2007-05-31 00:07:56 | おんがく
 CDをプレーヤーに入れると、何かのきっかけで別のCDを聴きたくなって入れ替えるまで入れっぱなしにしておく癖があるので、いきおいある期間は同じCDを聞き続けることになる。そうすると、ある時期の記憶と強く結びついたCDというのが、どうしてもいくらか出て来る。
 今日はちょっとそれを振り返ってみたい。


2001年3月~5月:ジョージ=ハリソン「All Things Must Pass」
2003年2月中旬:エリック=サティ「3つのジムノペディ/サティ・ピアノ作品集」Pf. パスカル=ロジェ
2004年3月~4月:はっぴいえんど「風街ろまん」
2004年5月:はっぴいえんど「HAPPY END」
2005年2月中旬~下旬:モーリス=ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ~ラヴェル・ピアノ作品集」Pf. モニク=アース
2005年4月~5月:ウルフルズ「ベストだぜ!」
2006年3月:大瀧詠一「大瀧詠一」
2006年8月中旬:細野晴臣「はらいそ」
2006年8月下旬~9月:細野晴臣「トロピカル三部作」
2006年9月:ザ・フリッパーズ・ギター「Camera Talk」
2006年12月~2007年1月:キリンジ「DODECAGON」


 簡単に思い付くだけでもざっとこんなもんである。
 もちろんこの期間にこのCDしか聴かないというわけではない。もはや古めかしい印象しか与えないのではないか懸念されるが、5CDチェンジャーという機能が話を複雑にしている。ここに挙げたのは、まあだいたいその期間において主に聴いていたものと理解されたい。それにむしろ、期間が先にあってそこからCDに帰結しているわけではなくて、後々になってからそのCDを聴くと、ある時期が思い起こされて仕方ないことに気付き、それっていつだっけ、と考え直して時期を割り出しているのである。

 うち半分くらいのCDが、何らかの形で女性の思い出にリンクしていることに気付いて、ちょっとドッキリ(笑)。

手遅れ考

2007-05-28 02:35:55 | かんがえ
 言葉の意味をよく理解していないということは、その言葉で表される経験の意味をもよく理解しないままに終わるということである 渡辺実

 言明する、という言葉があるように、言語化することは意思を明確化すること(「意思が明確でない」という【こと】を明確にする場合を含む)。もやもやでしかない気持ちに、定まった型を与えること。
 それは取り返しの付かない不可逆の行為であり、一度言語と結びついた感情が、もはや再び完全なる「もやもや」に戻ることはない。「~だなあ」と心に思った瞬間が、すべての分かれ目である(より正確に言えば、「『~だなあ』と思ったということを意識した瞬間」)。
 そうである以上、こういった場所にある内容を書こうか否か迷っているという時点で既に手遅れなのだが、やはり「思った」ことを「(言語)音にする/文字にする」という処理はさらにもう一歩進んだステージであるという直感は誰しもに共有されるものだろう。特に文字にするという処理は、こちらの意志とは無関係に、こちらの手から離れて残り続ける我が身の分身を作るようなもの。それだけに、手遅れであることを承知しつつもここに文字化することはためらわれる。本当に、何かの間違いによっても取り返しが付かなくなることを、自ら積極的に選ぶということだから。

 文字にしないままに過ぎ去ってくれれば、何よりなのだが。
 淡い希望を抱かずにはいられない。

5月26日~27日

2007-05-27 23:27:15 | かつどうのきろく
※投稿日時調整あり。執筆・投稿は30日0時台。


5月26日(土)

 東京大学五月祭1日目。13時過ぎから安田講堂にて、フィロムジカ交響楽団の演奏会があった。全く告知しなかったが、麻疹のことを考慮してのことである。大体首都圏でこれだけの大学が休校に追い込まれている中で学園祭を強行するって何かおかしい気がする。直前になって実行委員会から、当日は麻疹予防接種を受けたことがあるor麻疹に罹ったことがあることを証明する書類を携行しろ、さもなくば退場処分という指示が下るなど、無理が通れば道理引っ込む状態であった。わたしのような自宅生ならまだしも、遠方の実家から母子手帳のコピーを取り寄せなければならなかったような人はどうしたんだろうか。
 実際の所、東大生の団員の中には、予防接種も罹患の経験もなく欠席せざるを得なかった人がいた。また他大、特に早稲田大学の数名の団員は、休校措置をとっている学校からのサークル活動自粛の呼びかけを守り欠席した。
 正門や赤門の前では、実行委員が「麻疹対策」の書面を撒き、予防接種or罹患未経験者の入構自粛呼びかけに声を枯らす。塀に沿って並んでいる大勢の人がいたのは、入構制限が行われていたのだという。やはり、何かおかしい。

 演奏会の方は、かつて春合宿の折に触れたがわたしは中プロのショスタコヴィッチ交響曲9番のみで、しかも今回は第1楽章のみの抜粋演奏だったため、出番は5分かそこらであった。そうとあってもブラックスーツで家を出、事後その格好のままで打ち上げに参加するような真似はできないので、それだけのためにブラックスーツ、ステージ用ワイシャツ、ステージ用革靴を携えて、普通のスーツに身を包んで出掛けた。何たるコストパフォーマンスの低さ。演奏それ自体は、まあ、まあね……。ピツィカートの伴奏の部分で、裏を弾くヴァイオリンが全く聞こえなかったのには驚いた。

 打ち上げでは衣装のコストパフォーマンスのロスを取り返すべく(?)、もの凄く燃費の良い飲み方をした。飲んだ酒はビール、薄いカシスオレンジ、薄いカルピスサワーをそれぞれ中ジョッキに1杯ずつのみで、それだけで信じられないほどテンションを上げた。どのくらい上げたかというと、ジョバンニ・モッツィリーニ両氏と、ショス9第1楽章・第5楽章をまるまる口演してしまうくらいである(説明になってないかも知れないが、わかる人だけわかって下さい)。新入生には完璧に引かれた気がするが、次回こそは是非まともな人を装おう。



5月27日(日)

 溜まっていた大学やバイトの課題を集中的に片付ける。
 24日未明の自転車事故(参照)後、一瞬の躊躇もなく「買い換えたら?」と言い放った母を抑え、修理が可能か訊くために茂木輪店へ再びかつぎ転がして行く。すると、こちらも何の躊躇もなく直るとのこと。
 配達など他の仕事もあるとのことで、約3時間後受け取りに行くと、我が愛車は何事もなかったように元通り。しかも、頼みもしないのに前かごを交換してくれ、前々から気になっていた各所の小さな不調もすべて直っていた。さらには、折れたホークの部品代以外無料。この店はいつもこうなのだが、パンクの修理などに赴くと、「ウチで売ったもんだから」と必ずタダなのである。部品交換時の最低の実費以外、請求されたことがない。こっちが心配になるほど、まったく商売っ気のない店なのである。
 嗚呼、茂木輪店万歳。将来こういう職人気質の店が無くなったら、やはり安物の使い捨てをするしかない世の中になってしまうんだろうか……。

タイミング~♪

2007-05-24 01:30:02 | かつどうのきろく
途中までミクシィ日記(24日0時台)の転載(転載部にも加筆あり)。また、投稿日時調整あり。記録所オリジナル部分の執筆は28日23時台、投稿は29日23時台。

【ここより転載】
 タイトルにサビを引用した同名の楽曲は、確か97年で良かったかな?
 ともかく、ひたすら間が悪い時ってのは間違いなくある訳で。

 今日は2限駒場に行こうと思っていたのに寝坊、断念する。
 愚図々々していたら本郷の3限にも間に合わない時刻となり、4限からで良いやと妥協し、何を思ったか熊谷駅前献血ルームへGO. おばちゃんの「1時間ちょっと」という発言に基づき、初めて成分献血(血液から血小板・血漿を分離採取し、赤血球を体内に戻す方法。出血多量で一度に大量の血小板が必要な時などの輸血に使われ(全血より少ない体積で効率よく血小板を補給できる)、回復に最も時間がかかる赤血球を失わないため献血者の身体への負担が小さい)をする。「抜いて・戻して」を3サイクル。赤血球が戻ってくる時は、一旦身体から出て少し冷めたのが戻って来るためちょっぴりひんやりする。
 「ちょっと」というファジーな言葉について突っ込んで確認をしておかなかった結果、4限に間に合うための高崎線にすんでの所で乗り損なうことに。今まで数回の献血機会は全て「抜く一方」の全血献血なので、いずれ「戻し」ありの成分献血を体験してみたいとは思っていたのだが、何も今日でなくても良かったようだ。仕方ないので新幹線を使うことにし、待合室で待つ。
 これで4限が休講とかだったら最悪だなぁと思って手帳を確認。すると今夜が、国語国文合同新歓コンパであったことに気付く。この時点では「あれーすっかり忘れてた」という感想のみ。
 新幹線発車時刻6分前になり、重要な事実を思い出す。今日は4限で帰宅という前提で、21時に閉鎖する臨時の駐輪場にチャリをおいていたのだった。しかしまずもって21時までの帰熊は不可能のはず、このままでは撤去されてしまう。
 泣く子と撤去には勝てない。仕方なく改札を出て、24時間の駐輪場に移動し終わった頃には、当然新幹線は行ってしまっていた。次の便では間に合わない。さすがに間に合いもしない新幹線に投資は出来ず、やって来た高崎線に乗り込む。結局上野に着いたのは4限開始後30分余りが経ってからだった。
 授業に出るでもなく、しかしコンパまでの時間を潰さなければならない。今日から健康診断が始まったことを思い出し、保健センターへ行く。本日の受付は15分前に終わったところだった。
【転載ここまで】

 自棄になって総合図書館書庫に入庫。しばし無目的にぶらぶらした後、ふと目に付いた江戸時代の「中山道絵巻」的なものの複写本を手に取る。熊谷・深谷の巻。だいたい行田駅のちょいこちら側から始まり、久下・熊久・佐谷田を経て熊谷宿、石原・新島・玉井・高柳・新堀……と続いていく。よくドライヴする道の交差点が出てきたり、バス停に名前だけ残っている橋があったりと、興味は尽きない。残念ながら箱田村に関する記述はほとんど無かった。
 この日の出来事の中でプラスの評価を下せるのはここだけかな。

 18時過ぎになり、新歓会場の第二食堂へ。名札を付けるとのことで、やめときゃ良いのに常備の筆ペンで名前を書き、痛い子になる。例によって例のごとく自己紹介に失敗。今年度に入って何度目の自己紹介だかわからないが、完全に自己紹介恐怖症になりつつある。
 二次会まで自己紹介の失敗を引きずり、若干空気読まない感じになってしまう。それでもどうにか後半は、Soさんの某I先生ネタなどもあり和やかになった。安斎先生の旧姓がミヤモトであることを知ったのも収穫だった。
 前日が終電帰りなので、今日は早めにと思っていたがとうとう23時を回り、終電一本前となる。店を出るタイミングが同じだったためH嬢と池袋までご一緒し、ほとんど初めて話をする。

 赤羽から終電一本前に乗り(車中でミクシィ日記に、健康診断を受けられなかったくだりまで投稿)、0時半過ぎに帰熊。最大の凶事はこの後すぐである。お見逃し無く。

 4限を犠牲にして、駅2階の駐輪場に移動しておいたチャリである。いつものように乗車したまま、跨線橋のスロープを降りていた時であった。
 前輪ブレーキのワイヤーが切れた
 スロープを降りる際、慎重にブレーキをかけながらソロソロ降りるようなわたしではない。ここ数年は、ノーブレーキで半分方降りてから強いブレーキをかけ、両輪を半ばロックさせるような形でぎりぎり減速し、どうにか出口を回りきるというスタイルを取っていた(何がスタイルだよ、バカ奴)。その「強いブレーキ」をかけた一瞬後、ブレーキレバーからサクッと抵抗が消えた。咄嗟にレバーが折れたかと思い、そうではなくてワイヤーが切れているということを認識してから正面の壁に衝突するまで、3秒とかからなかったろう。無制動の前輪と、完全にロックして滑るだけの後輪では、何の回避行動も取れなかった。
 道ばたに移動して被害を確認する。まず前輪が全く回らず、ハンドルが約10度左方から右に動かない。よく見ると、本来ハンドル軸の延長上に真っ直ぐ延びているはずのホークが痛々しく後方に歪んで前輪カヴァーが本体フレームより後ろに入って引っかかり、タイヤがカヴァーに密着して回転しないようになっていた。前かごは見る影もない。前照灯は外れてはいるが、断線はしていないようだ。
 不幸中の幸いにしてわたし自身に怪我はないし、チャリも後ろ半分は無傷だ。問題は、回らない前輪を抱えたチャリをいかにして家まで運ぶか、である。まさか道ばたに置いていくわけにも行かない。いずれ取りに来るなら、今運んでしまった方が良い。
 仕方ないので、かごを後ろ手に抱え前輪を持ち上げて、後輪を転がす形で運ぶことにした。コツをつかむと意外に素直に転がるものだったが、キツいことには変わりはない。肉体的負担はもちろん、周囲からの視線はなかなか正直でこれも堪えた。不幸中の幸いその2は、いつものスーツではなくてTシャツにチノパンという軽装であったことである。これでもしスーツだったらと思うだに身の毛がよだつ。

 そんなこんなで5月23日から24日未明にかけては、まったくの厄日であった。最後の最後にやって来た衝突事故となるともうすでにタイミングがどうという範疇を超えており、わたしの気力を削ぐのに十分すぎた。

5月20日~21日

2007-05-22 02:42:36 | かんがえ
 熊谷駅で5か月振りに会ったS嬢は就活中。事務職志望とのことであるが、事務なら何でも良いわけではなくて、メーカーすなわち製造業のに限るのだという。曰く(と言っても以下はS嬢の言説を伝達するものではなくて、わたしの主観のかなり入ったまとめであるが)、戦後の経済を支えたのはメーカーであり、社会の産業構造がどう推移しようがメーカーがそれを支える根幹である。而してその一翼を担うことが本意であると。
 企業名や細かな職種ではなく、こうした業種を大きく括った志望というのを初めて聞いて、目が開かれた気がした。S嬢はしばしばこういう面白い視点を、思いがけなく呈示してくれる。甘い香りの白毫銀針(中国七茶のうち白茶の一)を傾けながら、楽しいひとときだった。


 同じ日に、先月上野駅で擦れ違ったのを別にすれば1年以上会っていなかったI嬢と出くわす。こういったところに書いてしまって良いかわからないが、彼女は「気を抜いていた」。……この程度の書きぶりならまあセーフだろう。


 2月以来週に一度のウェイト・トレーニングも中断しているわけで、最近明らかに顔が丸みを増した。ベルトの穴こそ変わっておらず、体重も劇的に増えてはいないが、これはおそらく筋肉が衰えて脂肪が増えているためであって、放置しておけば遠からずまずいことになりそうである。中学3年の時の二の舞になりかねない。


 事あるごとに、結婚というライフスタイルへの違和感を表明してきた。これは制度的な不備への不満という側面もあり、且つ、時たま耳にする「永久就職」なる言葉が端的に示すような、一生を一人の人間に拘束されるという前提への懐疑という側面もある。
 今前者のことは措くとして、やはり後者の面。ただ普通に生活しているだけでもこの世は衝突ばかりだというのに、いざ結婚という最終兵器(?)を持ち出した途端、そのわずかばかりの書面と判子のために生涯妥協しなければならないという前提は、不自然である気がする。結婚することを「ゴールイン」と称することがあるが、とても信用ならない(というか明らかに事実誤認だと思う)。
 ただその一方で、では、次から次へとスイッチを切り替えて相手を乗り換えられるほど個人が強いのかと考えると、なかなかそうでもないとも思える。自分自身が次々に交際相手を乗り換えたとか、逆に一人の人と長期間に渡って交際したとかの経験がないので全く想像の域を出ないことであるが、どこまでも過去を引きずる、引きずらずにはおれない人がいるであろうことは確かだろうし、毫も否定的に見られるべきものではない。また最近、【交際相手があからさまに(相手の)元の交際相手を未だに恋慕している時、努力して元の相手を忘れさせるというプロセスを踏むくらいだったらいっそ別れた方が良い】と、もし自分がそのような状況に置かれたらこう考えるだろうと痛感する事件があって、口でいくら言ってもその内実が非常に弱いということが自らに露呈してしまって、以前のように威勢良く「浮気不問!「恋愛」をタテにした1対1のせせこましい関係の強化粉砕!!」と叫べなくなっている現状がある。
 一人の人と深い関係になるくらいなら、大勢の人間と浅くとも繋がっている方が自分にとって喜ばしいのではないかと、長年考えてきた。無意識にせよそのような行動規範があったから、物心付いた頃から親友と呼べるほどの友達を作らず、その代わり様々な「友達の輪」に入り込んで、風向きによってその間をすり抜けながら居心地の良い場所を転々とする、というスタイルをとって来たのだと思う。残念ながらこのスタイルにもそろそろ限界が来ているようだ。年を取るほどに、帰属する集団を固め、対外的な(ということは定義的にとある集団に属すということである)旗幟を鮮明にしなければならないという周囲からの要求が高まってくるように感じる。つまらないことである。
 現在であれば、友達の多くは暇でさえあれば相手をしてくれるから良いが、同級生のほとんどがあと1年足らずで就職を迎えるとなるともうそろそろそんな悠長なことも言っていられない時期となる。堪えられる自信もない。

 予想通りまとまりがつかなくなったが遅いので擱筆。

先勝

2007-05-19 23:31:43 | かつどうのきろく
※投稿日時調整あり。執筆は20日23時台。
※また、19日が六曜で言うところの「先勝」であるのかどうかは知りません。あくまでもイメージです。19日が先勝であると信じて行動した結果生じたあらゆる不利益に対して、当記録所の筆者は責任を負いません。あらかじめご了承下さい。
※と言いつつ良心が痛むので調べました。19日は「赤口」とのこと。すなわち「終日凶、正午のみ吉」という日なので、まあわたしの身に降りかかったことを考えるに強ち間違いではないでしょう。ただ、午前中はまあ良い調子だったんだけどなあ……。



 遂に再び繰り返すことも無い2007年5月19日。
 午前4時20分、わたしに聞こえる範囲でこの日最初の烏が鳴いた。

 KAA KAA KAA

 午前4時40分、わたしに聞こえる範囲でこの日最初の山鳩が鳴いた。

 DEDEP POUPO-OT DEDEP POUPO-OT DEDEP POUPO


 おはよう、烏。
 おはよう、山鳩。
 おはよう、横雲。
 おはよう、道路。

 電話局のアンテナのてっぺんで夜通し忠実なる勤めを果たし続ける赤色灯が、ひとまず今夜の義務は果たされたとほっと息を吐きつつ朝の中に溶けて消えて行こうとして。
 目に入るあらかたの事物に朝の挨拶を送ってから、わたしは眠りに就いた……。




 昼前、埼玉日産熊谷サービス工場へ。昨年9月に我が家へやってきたマーチ・ルンバちゃんにリコールが来ていたのである。リコールと言っても、燃料タンクの取り付けがわずかに甘く、ガタついてヒビが入るかもしれない、最悪燃料漏れするかも知れない、というものである。既におよそ53000kmを走っているルンバちゃんに今さらそんな事故が起こるとはちょっと思えなかったのだが、ちゃんと直してもらって来た。
 ここしばらくドライヴをしていなかったので、帰りに少し回る。とある見通しの悪い交差点で、側方から自動車が接近していることを見落としてクラクションを鳴らされる。ヒヤリ・ハット。これがケチの付き始めだったかもしれない。が、この時点では知るよしもなく、梅林堂のケーキを食べ、ひとしきりヴィオラとピアノを弾いて遊ぶ。

 夜には渋谷でヴィオラ会があり、その前に弦を買いに行きたいので、熊谷発15時59分の湘南新宿ライン特別快速に乗るつもりだったのだが、出掛けようとした刹那と言っても良かろう、激しい雷と風を伴った驟雨が降って来て、出るに出られない状況となってしまう。弦を張り替える意図があるので楽器を持っていくということもあって、なるべく雨を避けたいのである。
 どうにか小止みになった所を見計らって出掛けるも、電車には間に合わず。後々乗り換えるのは面倒なので、16時21分まで待って湘南新宿ライン快速に乗車する。

 居眠りからふと目覚めると、何となく見覚えはあるものの違和感のある風景。すわ乗り越したかと慌てるが、回りを見渡すとまだ宮原駅(さいたま市北区)であった。違和感が生じたのは、普段使う2番線(上り本線)ではなくて1番線(上り待避線)に入線していたため、いつもならプラットホームを挟んで向こう側に見えている筈の風景がすぐ目の前にあったからであることがわかった。
 それにしても、現在高崎線上り定期列車が宮原駅で待避をすることはない。何やら厭な予感がしていると、

京浜東北線・赤羽~東十条間に於きまして、架線に物が倒れかかっているとのことで現在高崎線・湘南新宿ラインも運行を取りやめております。この列車も宮原駅に於きましてしばらく運転を見合わせます。

ということで。しかしまあ【架線に障害物】くらいであれば30分くらいで動くだろう、弦は買いに行けないがヴィオラ会の集合には間に合うだろうと高をくくっていたら、

只今高崎線・湘南新宿ラインの列車は運転を見合わせておりますが、埼京線日進駅より振りかえ乗車を行っております。お急ぎのお客様は、日進駅までお歩き頂きまして、日進駅より埼京線をご利用下さい。

と。振り替え乗車を実施する段階までとなると、これはただ事ではない。
 鉄道ファンとしては、別の駅まで歩って振り替え乗車をするということをこの機会に初体験しようかという気持ちになり、思い立って電車を降りる。改札は電源を落とされていて、スルーできてしまう。これも初体験。

 徒歩15分ほど、約1kmの所に位置する日進駅(さいたま市北区)に着いた。道なんか全くわからなかったのだが、みんなしてぞろぞろ歩っていたから迷うことはなかった。普段の日進駅というのがどのくらいの賑やかさなのか知らないが、少なくとも午後5時過ぎという時間帯で上りにしては明らかに異常な混雑ぶりであった。電光掲示板を見ていたら【運転再開見込】という字が見えたのでこれは歩って損をしたかと思ったら、

高崎線は架線に障害物の影響で運転を見合わせています。運転再開は21時00分頃を見込んでいます。

とのこと。これはもう完璧にただ事ではないことがわかり、早目に日進駅に移ってくる判断をした自分を誉める。駅の混雑に比し、やって来た電車は順当に空いていたので意外に大宮駅で坐ることができた。乗客のほとんどは振り替え乗車の人々である。

 結局ヴィオラ会の集合時間にも遅れるが、どうやら自力で店に辿り着く。ほぼいつものノリで楽しむ。新入生に話題を振るだとか新入生の名前を覚えるだとかということを全くしなかったので反省。
 ヴィオラ会は21時前に終わる。しかし、仮に見込み通りに運転再開したとしても高崎線はまだ動き出したばかりで、どうなっているかわかったものではない。ジョバンニの誘いに応じ、玉ちゃんと共にタワーレコードへ行く。小一時間CDを渉猟し、ジョン=ケージのプリペアードピアノ全集、バルトークのピアノ曲集、サティのオーケストラ作品集を買う。

 22時半前に渋谷駅に行ってみると、湘南新宿ラインは全列車運休。高崎線・宇都宮線は遅れを持って運転中。
 この「遅れを持って」という表現を甘く見過ぎた。とりあえず赤羽に出ればどうにか大丈夫だろうと思って来てみると、3・4番線は大変な混雑で、下り列車を待つ乗客は3番線の黄色い線の外側まではみ出して待っている。もはや立錐の余地もなく、3番線側ぎりぎりに立たざるを得ない。構内放送によると、【架線に障害物】どころか【架線切断事故】とのことで、そりゃただ事じゃなかったわけだ。
 待って待って、ようやくやって来た高崎行きにホームのほとんどが吸い込まれ、朝の通勤ラッシュの1.5倍くらいの込みっぷりである。しかも楽器を持っているのでかなり肩身が狭い(物理的には広い空間を占有しているのだが)。今年どこかの本社に配属されたらしい男女2人が、おそらく歓迎飲み会の後なのだろう、話をしていて、男の方が言葉の節々に「~な感じで」を散りばめ、何か描写が終わる度に「何やこれ、てな感じで(もしくは「と思って」)」と再三再四繰り返していて、かなり飽きた。

 桶川駅あたりで、どうにか普段の夕方の下り列車並みの混雑になる。
 取り敢えず順調に走って来たが、吹上駅で前方に列車が詰まり、運転見合わせとなる。10分ばかり止まり、運転再開すると午前0時42分にはふはふ熊谷に着いた。



 何ともひどい日。厄日とはこういう日を言うんだろうか。
 水曜にも人身事故遅延に巻き込まれたし、全くついてないや。

美しき月

2007-05-19 03:26:36 | 分類なし
めでたく美しき五月に
すべての花の咲き乱れ
我が心根の淵よりぞ
恋の湧き出で溢れつるかな

(ハイネ『歌の本』所収「美しき月」より、拙訳)


 この詩にシューマンが曲を付けたものは、歌曲集「詩人の恋」第1曲として知られている。
 良い季節ですね。桜花は好きでも桜の季節は嫌いだが、いまぐらいの季節は一年中で2番目に好きです。


 冷血動物にも冷血動物なりの悩みはあるんじゃないか。恒温動物のそれと比較しても遜色のないヤツが。
 しかし分かってもらえないのは、冷血動物が悪い。
 だって誰があんな、冷たいヤツに悩みなんてあると思う?まさかまさか。
 自ら選んで群れを作らない以上は、最後まで身一つで駆け抜けて行くんだよ、お馬鹿さん。

ゼミ発表に振り回されて

2007-05-15 23:23:41 | かつどうのきろく
 今日の2限は上野千鶴子ゼミにおける我が初回の発表で。
 (なおわざわざフルネームを書くのには、3限の「音声学」の教官が上野善道(うの・ぜんどう)教授であるという至極真っ当な理由がある)
 社会学に関してどうしょもなく素人であるわたしが、海千山千の(笑)社会学の皆さんの中に混じって、こともあろうに発表だなんて、始まる前は相当凹んでいたが、まあそこそこ無難に済ましたであろうか。ぐをー。何が多変量解析だよ何が重回帰分析だよわーばかばかばか(ry

 そんなこんなで久々に午前4時50分就寝・6時40分起床という準徹夜をして、ふらふらになりつつも新幹線の恩恵に浴して8時半過ぎには総合図書館に入って最後の付け焼き刃に励んだ。開館直後、一晩締め切りになっていた総合図書館の中ってのがあんなに暑いとは知らなかった。

 眠いのと気が抜けたので、予想を裏切らず3限5限は睡死。「音声学」の終盤に、受講者全員が順番に「無声のm」の発音練習をしていた時に起きていて良かった。

 空きコマの4限、キャンパスをぶらぶらしていたら上野千鶴子先生に遭遇。しばし立ち話をした後、求めに応じて携帯電話をお貸しする。うん。あの上野千鶴子に携帯を貸した。ふふふ、これぞ「小確幸」(村上春樹の提唱する「小さいけれど確かな幸せ」)ですな。

自助努力を主題とする変奏曲

2007-05-13 02:23:23 | かんがえ
 「天は自ら助くる者を助く」という諺があるが、これは間違いなく

Heaven helps those who help themselves.

の、"Time is money" 式直訳であろう。
 「大阪城を建てたのは誰?」と聞かれて「豊臣秀吉」と答えるような良い子であれば、この諺も、【努力もせずに神頼みしていてはいけない。率先して努力する者だけに、神は憐憫を垂れて下さるのだ】と解釈するであろう。ところが、前記の質問に対して「大工、人足」などと答える普通の子の一員であるわたしは、やはりこう、あくまで主語が「天(Heaven)」であるところに引っかかるのである。これだって最終的には神頼みじゃねん?と。
 関係詞を用いたこのやや回りくどいとも言える箴言と同じことを言いたい時、フランス人はこのように言うのだ。

Aide-toi, et le Ciel t'aidera.
(英語に直訳:Help yourself, and Heaven will help you.)

 「自らを助けよ、さらば助けられん」といったところか。どうせ同じ意味内容を述べているわけで、いずれにせよ「天」が登場するわけだが、少なくとも命令法により隠された動作主として"tu"(you)が想定されているところで大きく印象を変えているような気がする。結局何をすればよいのかという指針が明確に呈示されているという点で、人に言われてより心に響くのはこっちなのかなと思うのだ。
 「自ら助くる者(those who help themselves)」というのは、総称的で観念的な言い方だ。「天は自ら助くる者を助く」と言われても、「あ、そうですか天はそうなんですか。で、オレはどうしたら良いの?」と思ってしまう。わたし普通の子ですから(笑)。しかし「まずは自分でどうにかしようとしなさい!(aide-toi!)」と言われてしまえば、普通の子でも「はい!」となる。どっちがモティヴェーションになるかといえば、わたしにしてみると自分が動作主になれるこちらである。
 実は英語にもこちらに近い言い回しが無いではない。

Do the likeliest, and God will do the best.

 しかしだ。ここまで来ると、神しゃしゃり出過ぎ!と思わないだろうか。正直「最善を尽くす」までは要らないんですけど。第一、神が「最善を尽くす」ほどの大事業って想像もつかないんですけど。わたしそこまでのものは抱えてません!間に合ってます!結構です!
 というわけで、やっぱりフランス語版が一番しっくり来るな。それだけを言いたいんだ、畢竟(笑)。



 4月から学修意欲がとても高い。ところがではガツガツ勉強しているのかというと、決してそうとは言えない。最近直接会った何人かの人には言ってみたが、ガソリン満タンで整備も上々なのに、なかなかギアが上がって行かないというか。アクセルを踏み込んでも踏み込んでも、回転数ばかり上がって速度が出ない。エンジンに負担はかかる一方だし燃費も悪い、いつか止まってしまうだろうという懼れを抱きながら、何とかしてまずはセカンドに入れる方図は無いものかと右往左往しているような感じだ。
 とにかくも、自分から進んでどしどし物事をこなすようにしなければ。Si je ne m'aide pas, le Ciel ne m'aidera jamais....


参考ウェブサイト
英語ことわざ教訓事典(安藤邦男氏による)

ゼミコンパ

2007-05-09 17:24:31 | かつどうのきろく
 文学部言語文化学科日本語日本文学(国語学)専修課程に所属するわたくしですが。
 文学部行動文化学科社会学専修課程は上野千鶴子教授のゼミ「ジェンダーの社会学」に参加しているわけです。今日(というか、日付的には昨日)はそちらのゼミコンパでした。只今終電上の人でございます。

 さすがにかの上野ゼミ、コンパと言えど常に会話の内容が一定の方向に固まってます(笑)。まあそういう議論をするのが好きだからこそこのゼミに来たわけで、非常に楽しいです。お酒が進むわけです。
 いやはや……。もう酒が嫌いだなんて口が裂けても言えませんね♪

奥多摩ドライヴ

2007-05-04 23:59:59 | かつどうのきろく
※投稿日時調整あり。記事執筆は5日23時58分。

 駒場で同クラだったつかだ・しもじま両氏と、つかだ家のセフィーロを駆ってドライヴへ。東京都民・神奈川県民・埼玉県民が集合するのはなかなか難しく、結局立川駅にて待ち合わせとなった。どうせ朝も早うから行くならということで、自分の趣味をも満足させるべく、大宮から臨時列車「ホリデー快速河口湖3号」に乗車。ホリデー快速とはその名の通り休日のみ運行される臨時列車であり、旧型の特急または急行用車両が用いられることが多い。そして普段直通の旅客列車が運行されていない貨物線を経由して特別な経路を通る。「河口湖号」も、大宮貨物ターミナルから武蔵野貨物線に入り、西浦和駅近辺から武蔵野線に合流、西国分寺駅手前のトンネル内からの短絡線を通って国立駅近くで中央本線に入り、さらに富士急行に直通して河口湖を目指すということになる。今日の車両は183系1000番台6連。「簡易リクライニングシート」という、好みの角度で固定できない(元の位置か、20度ほど倒れるかのどちらかで固定)タイプの座席である。

 立川駅で全員合流し、しもじまの運転で五日市街道を西へ。武蔵五日市駅前を通りすぎ、秋川渓谷を経て檜原村方面に向かう。途中「この先 急カーブ」(強調筆者)なる看板にウケる。自動車もそれなりに出ていたが、ツーリングの自転車が多くよけるのがやや大変である。

 奥多摩周遊道路の方へ曲がって程なくある売店兼喫茶店で運転を代わる。当地には「この先40km喫茶店ありません」の看板あり。

 特に下りに移ってから、フットブレーキをギリギリまで利用しないで専らギアチェンジによるエンジンブレーキばかりに頼る癖のため制限速度をオーヴァーしがちになるのをたしなめられる。先に「制限速度は遵守する」と言ってしまったためだが、痛いところを突かれた。これにより、危険運転者という甚だ不本意なレッテルを貼られてしまう。一時停止義務を守らなかったことはないと事実をまくし立てても、まったく信じてもらえなくなってしまった(注:当該箇所では本当に必ず車輪を固定させていますよ)。

 「都民の森」のいくつかの駐車場はすべて満車で、さっそく予定が狂う。まあ参加者のうち東京都民はつかだただ一人であり、これは天意だったのかもしれない。

 周遊道路随一の展望ポイントで小休止してから、山のふるさと村へ。10年振りに竹馬に乗るが、爪先の長い靴を履いていたこともあり惨憺たる結果に。
 ヴィジターセンター的なところに入る。擬態をする生物の写真が3点あり、うち「カナヘビ」は見つけることはできたがあと2点はまったくわからなかった。
 さらに動物の頭蓋骨を見る。(センターの窓ガラスに激突して死んだ)トンビ、タヌキ、ニホンザル、イノシシ、クマなど。頭蓋骨というのはイメージされる外形よりもだいぶ小さいということがわかった。ここで問題なのは、クマの頭蓋骨がクマのであるということを見抜けなかったことである。熊谷市民失格であろうか。

 さらに下り奥多摩湖畔へ。ドライヴイン的な店に入り、わたしは「きのこそば」、他の2名は「釜飯」を食す。ここで問題なのは、隣のテーブルに座っていた先客。我々に食事が揃ってもまだ品物が来ず、かなり強い口調で苦情を述べていた。店員は「順番通りやってるんですが前後することもあります」「今作っていますから」と慌てていたが、出てきたのはざるそば。我々のより調理に時間がかかるわけないし、「今作っていますから」と言って引っ込んでからちょうどそばが茹で上がるほどのタイミングで出てきたことを鑑みると(以下略)

 つかだに運転を代わり出発。ドラム缶を並べて作った浮橋を渡る、という計画もあったのだが、そこへ行くための道が大混雑で曲がることすらできず、断念する。

 駐車場に車を停めて、小河内ダムの堰堤へ。水は綺麗で、魚が泳いでいるのがよく見える。
 堰堤上にある展望台に上る。入る直前、展望台を宮澤賢治「注文の多い料理店」の「料理店」になぞらえ、食われないよう注意しなければ、といって「注文」の数々を唱えていたら、展望台の入り口に「クツの泥をよく落としてからお入り下さい」と貼ってあって爆笑する。爆笑しながら入ったら、店番のおじいさんが座っていた。気分を害しやしなかったろうか、心配である。

 ふたたびしもじまの運転で小河内ダムを離れ、青梅街道を下る。ここで下るというのは傾斜を下るという意味であって、街道の起点終点という観点から言えば「上る」というべきかもしれない。日原鍾乳洞に行くという話もあったが、この時点ですでに午後4時近くになっており、断念する。

 JR青梅線白丸駅近くにできたばかりの新しい喫茶店に入り、とうふチーズケーキとコーヒーを頂く。店の近くにあった歌碑が変体仮名混じりで書かれていて、ここ最近の学習の成果が出る。純粋に嬉しい。

 青梅街道上り線(このような言い方をすれば、傾斜ではなくて「起点」すなわち東京に向かう方向)はひどい渋滞。脇道がない上に、なぜかこの時期に何カ所も工事をやっていて、至るところで片側通行になっており渋滞に拍車がかかっている。古里駅前から吉野街道に抜けて、少しは流れるも青梅市に入るとやはり渋滞していた。
 圏央道日の出ICあたりで吉野街道を離れ、青梅街道・新青梅街道を東へ。午後7時半ころになって、ガスト東大和店にて夕食。

 協議の結果新宿駅で解散ということになり(というかわたしの我が儘であるが)、わたしの運転で向かう。渋滞もなく、1時間弱で到着した。東口で解散。

 こうしてみると、観光に行ったというよりはクルマを運転しに行ったというべき行程だが、そもそもその目的で行ったという側面も否めないので、まあ良いのだろう。

LSDと変態

2007-05-03 03:36:31 | 分類なし
Lucy in the sky with diamonds
(ザ・ビートルズ(レノン=マッカートニー詞・曲)「Lucy in the Sky with Diamonds」より)

 ビートルズ・クラブによる公式な和訳は

ルーシーは ダイヤをつけて空の上

 原詞が名詞句であることを重視するなら

ダイヤをつけて、空にいるルーシー

 しかしヨーロッパ系言語における名詞句の使用範囲は日本語より遥かに広く、日本語が文でしか表し得ないような内容までも名詞句で表してしまう(関係詞の発達が大きい)。従って、ここでこの詞を文として訳出するのもあながちめちゃくちゃではない。



 今日(というか日付上は昨日)は複数の人に、わたしのとある行為を「変態だ」と断じられました。
 それは……。










 休み時間の教室で、いきなり筆ペンを取り出して「変体」仮名を含むくずし字の練習を始めたから。
 ごめんなさい普段ならこんなクソつまらない話書きゃしないんですが昨日は色々あって気持ちがすさんでいます。くだらないネタを書いたこと切にお詫びします。



 また、タイトルから何か一定の内容を期待された方にもごめんなさい。