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回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

久しぶりの青空

2022年01月16日 22時19分02秒 | 日記

大雪の後に拡がった青空。冷たい空気を吸い込むと頭が冴えてくるような気がする。

知人が来週、いよいよ胆管がんの手術をするということになった。これまでは外科手術は難しいと言われ、放射線や化学療法を受けてきたがやっと手術ができるようになったというのは良いニュースなのだろう。

がんという病気は実に厄介な病気だ。まるでルーレットかクジ引きのようで、自分ではどうすることもできない。

今はコロナのせいでお見舞いにも行けない。

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試験

2022年01月15日 17時50分47秒 | 日記

今日の話題のひとつは「大学入学共通テスト」。耳にしたくないような事件も起きてしまったが、受験生にとっては一生を左右するかもしれない大事な試験だ。人生これからも幾つも試験をくぐらなければならないだろうがそれでもこの試験は一生の中での重要な試験であることは間違いない。受験生はこのテストに加えて、志望大学の個別試験もあるのだからこれからの二ヶ月ほど緊張の期間を過ごすことになる。身近に受験生がいないので現在の制度の細かなことは判らないが出来るだけ公平・正確に学力を測ろうというものなのだろう。

自分が大学を受験した頃は、こういう共通テストのようなものはなく、志望大学での一発試験だった。大体は予想通りの結果だったがたまには番狂わせのようなものも起きていた。普段の成績なら合格間違いないと思われていた級友が不合格になったり、逆に、どう考えても無理だと思われていた級友が合格したり。そのころは、国立大学では旧帝国大学を中心とする一期校、それ以外の二期校という今考えれば差別的(あるいは階級的!)な受験制度があり、一期校の競争率はおおむね5倍程度。ということは5人に一人が合格、ということになって狭き門、と言われていた。そんな試験で大きな番狂わせがあったりすると・・・一発勝負というものは、ある意味実に残酷である。

テレビで受験会場の様子を見ていると当時の大学入試の試験場の風景とはそれほど変わっていないように思えた。今でもその時の受験室の様子は鮮明に覚えている。数列前に座っていた、制服姿の女子受験生の横顔も。ふだんあがり症の自分にしては不思議なことだが、その時には緊張した、という記憶はない。高校でのいつもの試験と変わりなかったような、あるいは合否は自分ではどうにもならないと悟ったような境地だったのかもしれない。

雪の中に残っているナナカマドの実。

 

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郵便(続き)、チャット

2022年01月14日 15時50分08秒 | 日記

昨日の話の続きで。やはり今日も配達されない。来週月曜日はアメリカ公民権運動の指導者、マーチン・ルーサー・キング牧師の誕生日を祝うMartin Luther King, Jr. Day(本当の誕生日は1月15日だが、それに近い1月第三月曜日をそれにあてる)で休日なので、アメリカの郵送先に照会してみることにした。

ホームページを見ると、電話か、メールでの照会してほしい、となっている。こういう照会は長い話になりそうなので、電話ではなくメールでやることにした。指定のボタンを押すと小さな欄が現れてそこにメッセージを書き込むことになっている。こちらからは送達されたという郵便物が未着なので調査してほしい、と書き込むと、3文字かラ5文字で、という回答。無理に短くして再度質問したところ、全く的外れな回答が来た。

どうもAIか何か、機械が反応しているらしい。そこでこちらの質問を改めて書き込むと、今度は「自分の能力では回答できない。担当者につなぐのでこのまましばらく待って欲しい」という返事。約15分ほど待たされて今度は名前を名乗る担当者からの挨拶の短い文章。こちらの質問を再度書き込むと「調査します」という。

更に10分ほど待っていると「あと7日程度で到着する予定」という返事がきた。どういう調査をしたのか判らないが、こちらとしては到着さえすればよい訳なので「ただ待っていればいいのか?」と念を押すと「その通り」と。今まで20年以上付き合いのある先なのでこうなったら相手を信じるしかない。アメリカでの経験から、どうして初めの話と違うのか、などと難詰しても野暮というものだ。察するに準備はしたが発送の段階で何かトラブルでもあったのだろう。こういう時は(不信感を持つより)相手を信用している、ということを示すことの方が大切だ。

今回経験したチャット、という、短文でのやり取りにはまだ馴染めない。自分で書いた文章が、発信を押すと瞬時に吹き出しのように画面に現れる。そのうち相手方の吹き出しの所に点線が現れたかと思うと返事が表示される。要するに声の代わりに短文による会話なのだが、手紙やEメールに慣れ親しんだ自分にはどこか急かされているようで落ち着かない。最後に、このやり取りをプリントするためのタブが現れるのでそれがせめてもの救いだ。日本語でもチャットには馴染めないのにそれが英語となるとなおの事神経質になってしまう。しかし、既にこういった手段が普通になってきているのだろう。遅ればせながらそれに慣れるしかなさそうだ。

仕方ない、まああと10日ほど待ってみよう。

このところ毎朝、庭に散歩に現れるヒヨドリ。

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郵便

2022年01月13日 17時42分19秒 | 日記

アメリカからの郵便を待っている。先方からは12月23日に発送した、通常12月31日までには到着する予定というEメールがきたのに、もう2週間ほど遅れている。クリスマス明けにコロナの新規感染者が急増したアメリカで、郵便事情はどうなっているのか。あるいは日本国内での遅延なのか。そろそろ着くのではないかと、普通なら正午前に配達される郵便受けを覗く毎日。今月末までに到着すれば実際には特に問題は起きないのだが、本来到着するはずのものが来ないというのはやはり精神衛生上良くない。

通信技術が発達してから、手紙や書類を物理的にやり取りすることは大きく減少した。海外とのやり取りも通信手段としてはインターネット(イントラネット)、Eメールがあるし、書類ならそこに添付ファイルとして送って、必要であれば受け取り手が印刷すればよい。世界中距離は関係なく、時間も費用も掛からない。仕事の上ではこの通信手段の進歩の恩恵は実に大きい。

1980年代ころまでのまだEメールや電子ファイルなどのない時、重要な書類を緊急に海外に送らなければならない時には、いくつかの航空会社との間で特殊通関である俗にいう「機長託送」と呼ばれる方法が使われた。成田から飛び立つ国際線の機長に運んでもらうもの。そしてそれが多分最短の方法だったと思う。目的地に到着してから機長(もちろん忙しい機長が実際に手渡すわけではなかっただろうが)があらかじめ指定された者に手渡すというものだった。

今考えればずいぶんのんびりとした古き良き時代の書類の運搬方法だったが、世界のどこでもだいたい翌日には到着していた。勝手な想像ながら、あの黒くてがっしりしたかばんを抱えた、4本の金モールの入った制服の機長が重要な書類の運搬を引き受けてくれているという安心感があった。

Eメールだってすぐに読まれるとは限らないから、アナログ、あるいはリアル、なこの方法は迅速かつ確実な方法だったと言えるだろう。人はその時代の限られた方法の中から知恵を絞って距離の壁に立ち向かっていた。そしてこの方法、古びたやり方ということでなくどこか人間的な味わいがあるような気がする。

今や古典的ともいえる郵便での物のやり取り、焦らずにのんびりと構えるのが一番だ。そうは言ってもまた明日も郵便箱を覗きに行くことになるだろうが。

19世紀イギリスで郵便の到着を知らせるために使われたラッパ。

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登山

2022年01月12日 17時58分11秒 | 日記

9日の日曜日、何気なくNHK総合TVを見ていたら、「吉田類のにっぽん百低山、大山・神奈川」が再放送されていた。低山、と言っても1252メートルもある、立派な山登り。モデルの菖蒲理乃(アヤメ)とともに俳人吉田類がこの山に登る。山にはうるさい吉田類が途中で休むあたりは、この山が決して簡単ではないことの証拠だろう。山登りを終えて、最後に麓で地酒を一杯、となって、なにやら「酒場放浪記」的な雰囲気が出てきて、やはりこれの方が吉田類には似合っていた、と言っては身も蓋もないか。

登山には縁のない自分だが、大学時代山岳部に在籍していた中学校の担当教師に連れられて一度級友数人と一緒にこの大山と同じくらいの高さの山に登ったことがある。この時は山登りの魅力だけでなくルールというかマナーを詳しく教えてもらった。しかし彼の意図にはそぐわず結局山登りの魅力には開眼しなかった。せいぜい高尾山に上るくらいだったから。

数年前、北海道で一番高い旭岳2261メートルの途中までロープウエイで上がったことがある。終点1600メートルのところでゴンドラを降りて1.7キロほどの散策コースを1時間ほど歩いた。頂上がすぐ前にあるように感じるのだが聞けば素人にはとても太刀打ちできるものではない。かすかな地響きと噴煙でこの辺りがまだ活発な火山地帯であることを知らされた。雪に覆われた壮大な山は実に魅力的。

登山ではなくロープウエイで山に登った、というのでは30年ほど前のマッターホルンの展望台。3883メートルと、高山病に気を付けなければいけない高さ。つまらないことにたしか、そこのレストランのメニューには日本食(ラーメン?)もあったように思う。

今になってはもう山登りなど無理だが、若い時に少し山に登っておけばよかったという少し後悔のようなものがこみ上げてきた。

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