なまけもの日記 in NY

肩で風きって歩くニューヨーカーに対抗すべくなまけ者の幸せライフをお届け。超インドア派!食べ物ネタ多いよ。

病み上がり~

2010-05-07 11:24:49 | つれづれ
こんなに風邪が長びくなんて。
おやすみ中も何もできずにいました。
いま行きたいところはハワイ。行ったことない。

ベッドで考える人。

2008-03-13 10:12:21 | つれづれ
今日は大事をとってまた休み。信じられない!
でも、だいぶ回復したので安心。

風邪をひいているときは休んでないといけないから、ベッドに入ってるんだけど、ずっと寝てるから眠れないし、ヒマだし、いろんなことを考えます。例えば「中田ヤスタカvs小室哲哉」、やっぱ中田は勝ち組だなとか。

あと考えたことは「結婚とか恋愛とか」。歳をとるにつれて恋愛下手になっている気がするけどどうしてだろう。すぐに「結婚」とか考えてしまうからだろうか?

「私はぜんぜん理想が高くないのよ」と言う人は、この歳になるととっても多いことに気が付く。でも「ぜんぜん理想が高くなくない」のが本当のところだと思う。せっかく出会いがあっても、ここが合わない、あそこが違う、というから。たくさんの女性が「Mr. Right」を見つけたくて仕方がない。

NYにいるとそれは顕著に表われていると思う。NYという、もうそこに存在するだけでストレスを感じるような場所で、勉強に、そして仕事にがんばっている人たちの、それこそ理想は自ずと高くなる。Compromise(妥協)がなくなる。それは自分に対しても相手に対しても、そして生活水準に対してもそう。でも将来を考えると、ふと不安になっちゃうのだ。それは当然だ。

自分も30を過ぎた女として、焦りを感じるときがある。私はいつか結婚したいと思っているし、子供だって産みたい。好きな人と結婚して幸せになりたいと単純に思っている。いったいどうしたらそんな人とめぐり合えるのかしら、といつも思う。歳をとるほど夢見る夢子ちゃんになってはいないかと心配にもなる。

思いっきり女性からの目線ですね。(笑)


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愛とか恋とか。

2008-02-15 11:22:55 | つれづれ
~本日のコトバ~
愛もいいけど恋は格別だ。
それは君の心が若いことの証明だからだ。
例え愛に繋がらなくても恋をしたほうがいい。

(季刊誌『すこやか』2008年春号・「コラムSuzy」より)


バレンタインを意識して少しアモーレな感じでまとめてみました。誰にもチョコレートをあげていません。来年は誰かにチョコレートをあげたいです。

手作り本命チョコをあげたことは、今までで1回だけです。中2のときシンちゃんに。きっと大人になった今でも、シンちゃんに街でバッタリ会ったら、ちょっと胸トキメクと思う。


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~おまけ~
TVでソープオペラが流れてて・・・

【ムナゲ】こっってり。【ムナゲ】

ムナゲ、えりあし、ペンダント。何をとってもパッション。


でも女の人はキレイ。


ラティーノ=パッション=LOVE


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ツルモク独身寮。

2008-02-06 11:34:17 | つれづれ
『都落ち』という感覚は。。。

わたしが中学生か高校生の頃のこと。姉の部屋から勝手に漫画を拝借。

それが『ツルモク独身寮』という連載漫画だった。コメディタッチな日常のなかにも、常に、地方出身者の若者の切なさが描かれていて、なかなか秀逸な作品だった。

(かなり昔に読んだし、その存在すら忘れてしまっていたので、記憶が少々曖昧だがお許しいただきたい。)

その『ツルモク』の中に「都落ち」というタイトルの回があった。私はそこで生まれて初めて「都落ち」という言葉を知った。独身寮の仲間が「俺、田舎に帰ろうと思うんだ」という感じの話だったと思う。そしてそれはやっぱり、東京に負けた、っていう感覚があって・・・。

でも、その当時の私は「都落ち」の感覚がいまいちよくわからなかった。東京生まれではないけれど、「なんとか通勤圏内」という環境だったからだと思う。


いまの私の状況はどうだろう?


日本を離れ、NYに住み、ビザのことや保険のことを常に気にしながら仕事を探し、日々の生活をギリギリで楽しみそして悩み、仲間を増やし、でも時には孤独を感じ。


「日本に帰りたい。」と思う瞬間がある。


ある時、姉に国際電話をかけ、ふと「日本に帰ろうかな」ともらしたときがあった。ただ単純に、日本ならいろんなことが簡単だと思ったからだ。そうしたら姉は「負けるな~。」と言う。そのとき私の心の中では、なんとなくしっくりこないものがあった。

これは「負け」なのか。

長年アメリカで生活していくうちに、いつしかそれが当たり前になって、自分がアメリカに「上京」しているという感覚は無くなっていた。だから日本に完全帰国ということに「負け」を考えていなかったんだと思う。だが、姉にとっては、NYで暮らすということは「=上京」に近い感覚だったのだろう。

それ以来なんとなく「都落ち」と言うことを考えるようになった。都落ちという感覚は、いまでも地方出身者の間に生きているのだろうか。

今なら「都落ち」の感覚が、私にもわかる気がする。なんとなく、「甘酸っぱい」感じなのだ。

切なくても、温かい。
後ろめたくもあり、とても大切な宝モノでもある。


さて。私はもうちょっと、時間が許す限り、ここでがんばりましょうか。いま私に与えられているチャンスは、また再びやってくるとは限らない。だから今やれることはね、やっとかないとね。



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続・私からの手紙の中に。

2008-01-27 12:56:00 | つれづれ
昨日の日記に続編を予定していたわけではなかったのですが、書いてから思い出したことがあったので、続編を書きます。もう一度だけどうぞお付き合いください。


私はコネチカット州で高校留学をしていました。その間いちども日本に帰らなかったわけではなく、夏休みや冬休みには必ず帰省していました。休みが終わりに近くなるたび、また日本を離れるのかと、憂鬱な気持ちで過ごしたのを覚えています。

成田空港へは、だいたいいつも父に送ってもらっていました。(BFに送ってもらったりしたこともあったけど。)ある年の夏休みの終わり、めずらしく祖父が見送りに行きたいと言いました。何か感じるものがあったのでしょうか。父と祖父と3人で成田へ向かいました。

手続きを済ませ、出国手続きのゲートへ入るとき、祖父は私に手を振って見送ってくれました。その時の祖父の表情は、なんだかとても寂しそうに見えたのを、今でもはっきりと覚えています。普段は厳しく、厳格な祖父があんな顔をするなんて。

その時が祖父に会った最後でした。最後にとても優しい顔を見せてくれたことが、今では大切な宝物です。

ああ。昔にかえれたら。もっと一緒にいろんなことがしたかった。いまの私だったら、もっと祖父のことを理解してあげられたのに。今となっては、祖父に優しくしてもらったことばかりを思い出します。



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私からの手紙の中に。

2008-01-26 01:00:09 | つれづれ
いまふと思い出しました。

1985年につくばでEXPO‘85という科学万博があったよね。そのときの催しのひとつとして、手紙をタイムカプセルに入れて2001年に配送されるというものがあったの。つまり21世紀になった年に過去から手紙が届くという。

私の小学校でもそれに参加しようということになり、21世紀の自分宛ての手紙をワクワクするような気持ちで書いたのを覚えている。自分宛の手紙だけではなく、さらに友達同士でも書きあったり、学校の先生たちにもメッセージを書いてもらったりした。当時流行っていた「香りつきビーズ」も封筒に入れた。


そして2001年の元旦、その手紙は届いた。


あて先には、子供らしい下手くそな字で私の名前が書いてあった。封筒を開けるとビーズもちゃんと入っていた。もう匂いはなくなっていた。16年前の私が「2001年の私は何をしていますか?」と、あまりにもありきたりな質問をなげかけていた。2001年、当時大学進学へ向けて準備段階だった私は、その中途半端な立場を16年前の私に詫びた。

いちばん意外だったメッセージ。それは祖父からのメッセージだった。

私は祖父母と一緒に住んでいた。祖父はとても厳しい昔ながらの人だった。決してかわいがってもらえなかったわけではないけれど、私はお祖母ちゃん子だったので、祖父とはそれほど意思の疎通がなかったように思う。

だけど、手紙の中の祖父はとても優しく、16年後の私を励ましてくれていた。残念ながらかなわなかったけれど、16年後の私の成長をみられたらいいなと書いてあった。



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