元気に復活できるかなぁ。
昨日義母のお見舞いに行き、声をかけるとこちらを向いたのです。
もう驚きは越えました。
義父は亡くなってからすでに十年以上経ちますが、義母はきっとまだ早いと追い返されたのでしょう。
頑張ってここまで自力で回復してきたのだから、お返事ができるくらいに頑張りなさい。
そう言うと「 うぅ 」・・・と聞こえた気がします(゜_゜;)
最近はこの「 気がする 」という私の野生(かどうかは不明(笑))のカンが、何回かお見舞いに来たときに「 多分、自力でやっているよね?」に変わっていることが多いので、驚きません。
(いや、ちょっぴりはびっくりした。)
私たちの精一杯がここにいてもらうことだし、この病院のスタッフさんはいつもきちんとしてくれているから、あとは自分の力で頑張ってくれないとどうしてあげることもできない。
せめて「はい」「いいえ」くらい表せるようになりなさいね。
そう言うと目がうるうるしているような「 気がする 」。
切なくなりました。
お花も飾れない病室なのです。
もしかしたら自分にもこのような状態となる可能性はゼロではない。
いつまでも健康でいられる「 健康寿命 」を長くすること。
リアルに身体の中の細胞の状態をきちんとしておくこと。
便秘や肥満、足腰が痛い、頭痛などの身体のサインを軽く考えないこと。
けがの治りが遅いのは年のせいではないし、白髪が生えることも年のせいではないのです。
老化はします。
速度の問題でしょうか。
私も以前はよく何もないところでも転んでいました。
膝が痛くて階段が上れませんでした。正座もできなかった。
一度痛い体験をしてから回復すると、もう以前の痛いときには戻りたくないと思ってしまいます。
人間は痛みには強くなるようにできているのか、多少の痛みには我慢できるみたいです。そして慢性化してしまうと痛いのに痛く感じなくなるみたいです。なので、痛みが軽減されて楽になるとようやく「 痛かったのか 」と気がつけたことが多々ありました。
あまりにもつらい出来事があると気持ちに蓋をしてしまうらしいです。蓋を外してようやく心から悲しい気持ちが涌き出ます。悲しすぎて涙も出ない状態がずっと続いていて、胸に重たい石を抱えて生きているような感じでした。
心から涌き出た涙が石を溶かしたように心は軽くなりました。
人には見えている部分と見えていない部分があり、ほとんどが見えていない部分でしょう。
本人にしか分からないことは本人にしか分からないのです。
だから聞いてあげたい。
分からないのにその人の考えを決めつけることはできません。私にもまだまだ分からないことがたくさんあるからです。
だけど一緒に笑って過ごして生きたい。
明るい笑顔の人が増えていきますようにと祈ることしかできませんが、祈ることならできるので。
この次は私の名前を呼ぶかもしれない・・・。
義母の話です。
脳ミソがうるうるになっているかも?って、以前UPしていましたよね?そう言えば(;゜∀゜)
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