1994年4月8日、新冠の牧場で競走馬として生まれたプーちゃん、ことマイネルディンプル。その生涯をご紹介します。
お父さんは、アメリカから遠征してジャパンカップを勝利したゴールデンフェザント。母はツジノスマイル。(父はパーソロン)
1995年に、マイネルから当時としてはとても高額な価格で(2300万円)募集されていたことから、当時は、かなり期待されていたものと思われます。
※注意※当時は、生まれた時を一歳、翌年二歳と数えたことから、レポートに2歳と書いてあれば1歳のことです。
同年年9月、愛馬レポート。
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1996年6月、2歳。
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1997年1月、3歳。デビュー直前。
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同年同月、中山競馬場、デビュー戦。鞍上は、蛯名正義ジョッキー。
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デビューパドックで、このつる首で、この馬格なら、夢を見ますが。。。。
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見事に11頭だての8着に沈みました。
同年5月ラストレース直前
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5月までの4カ月で9戦、0勝、2着1回で引退。何が引退の原因か知りませんが、札幌競馬場の誘導馬という道に進みました。
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1998年9月。競走馬引退から1年4カ月、誘導馬見習い?としてパドックを回るプーちゃん。
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周囲に馬がいないことから、おそらく見習いとしてスクーリング中の写真と思われます。
その後、無事に誘導馬になったプーちゃんは、レープロにも掲載されるようになりました。
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誘導馬として活躍するプーちゃん!
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札幌競馬場で誘導馬をするかたわら、乗馬センターの乗馬として活躍。とても乗りやすい馬だったようです。「マイネルに乗りたい!」と引っ張りだこだったとか!
乗っていた方に印象をお聞きしたところ、
■飼葉を喰い散らすのが半端なく、ディンプル馬房の前だけいつも汚れていた
■障碍の前に向ければ、必ず飛んでくれる安定感抜群の馬だった
ということです。残念ながらこの当時の写真はありません。
10歳を過ぎた頃からメラノーマが悪化し、除去手術をし、2005年か2006年にライディングヒルズ静内に移動したもよう。
撮影年度不明ですが、障碍レッスンで活躍していたプーちゃん。
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2011年3月、トレッキングに出たプーちゃん。
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競走馬としては、未勝利で短いキャリヤを終えたプーちゃんは、2012年3月末まで、たくさんの人を笑顔にしてきました。
ここでご紹介した写真は、プーちゃんのサポーターを募集するにあたり、その生きざまを紹介するために、「過去の写真をお持ちの方がいらしたらご提供頂けませんか?」と呼び掛けに応じて頂いた貴重な写真ばかりです。プーちゃんの幸せを祈る人達からの記憶のおすそわけです。
たくさんの人を幸せにしてきたプーちゃん、2012年3月末を最後に、乗馬を引退することになりました。理由は、メラノーマが不定期に肥大し、食餌がとれなくなって激やせしたり、突然死により騎乗者を危険にさらすリスクが高まった、、、とのことで、18歳での廃馬決定でした。
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2012年4月、私が長年の愛馬、スピ君を連れて、静内に引っ越してきました。一頭用の厩舎と放牧地を用意し、引っ越し荷物をほどく間だけ、スピ君をライディングヒルズに預かって頂きました。(※現在は預託を受けていないそうです。)
マイネル三銃士とダルタニアンという練習馬がいて、三銃士の中でもディンプルは一番若かったのです。
●マイネルストーク 1991年生まれ(父スイフトスワロー)
●マイネルギンガ 1991年生まれ(父ダイゼンキング)
●マイネルディンプル 1994年生まれ(父ゴールデンフェザント)
それでも一番先に引退が決まってしまいました。放牧地では、ウイナーズマーチという馬と一緒にいましたが、マーチも移動してしまい、一人ぼっちになっていました。
厩舎に戻ると、横になり、覇気のない顔でぐったりとしていることが多く、どうするつもりなのか気になっていたところ、「処分方法を探している、里親が見つかればそれが一番」という話を聞きました。
リンリンリン。運命のベルが鳴りました。。。
(つづく)
プーちゃん元気ですよ!
ボロも良い物が出ています。
飼葉も残さず食べています。
春の北海道、秋の北海道はとても過ごしやすいです。
馬産地は、スタリオンが休暇にはいる夏しか観光客が来ないのがとても残念です。
冬は、感染病の予防の観点から、繁殖牧場さんの訪問は控えて頂きたいという事情から、仕方ないのでしょう。
暖かくなりましたら、遊びにいらして下さい。