今日は8月6日です。
広島は祈りに包まれています。
昨日、ラジオを聞きました。
ちょうどテーマが広島と長崎だったの。
もともとINIのたけちーと大夢くんも出ている番組なのです。
解説委員の方々や広島、長崎の記者の方々に
世界の核に対してのこと、広島のこと、長崎のこと、資料館のことなどを分かりやすく教えてもらう感じでした。
若い彼らも知らなかったことを新たに学んだ様子。
資料館の話の時に大夢くんが「怖いという思いが先に立ってしまうと今後学ぶ機会を失うのでは?」みたいなことを言っていて。
その時には、過去の展示だけでなく未来の為に何ができるかを学べる取り組みがあれば、みたいな感じの話に展開していったのだけど。
恐怖心ってずっとなくならない。
記憶に残る感情で。
実際、私も何度か平和記念資料館をリニューアル前と後訪れたけれど
小学校低学年の時に初めて足を踏み入れた時の恐怖心はずっと今でも残ってます。
リニューアル前のはホント怖かった…。
見たことある人はうなずけるんじゃないかと思いますが、あのマネキン達は怖いを通り越してた。
だけど実際はその何倍もの恐怖を、その光景を目にした人たちは体験されたのだと思うと
怖いってひとくくりにしちゃいけないような
本当に、忘れるなって言われているような
そんな気がしました。
なんかね、怖がってごめんなさい、って思ったんですよね。
そんな感情初めてでした。
あと、原爆症についてのコーナーで
罹った人に紫と黄色の斑点のようなアザができるって書いてあって。
写真は白黒だったのだけど、そこで想像してしまって。
以来、紫と黄色の組み合わせが苦手になるというトラウマチックな経験もしました。
あと、石の階段に残った人の影。
本当に一瞬の出来事、強烈な光が影を焼き付けたんですよね。
だからね、思うんです。
恐怖心を植え付けられたことは
絶対に戦争のない平和な世の中を過ごしたい!と強く思うきっかけになるのかなと。
もちろんもっと酷いトラウマを抱えた方にとってはそんなの気休めだと思われるかもしれませんが。
なかなか色々考えました、聞きながら。
住んでいる場所によって学ぶことは違っていると思います。
私はたまたま広島に住んでいるから
子供の頃からヒロシマのことを学ぶきっかけがたくさんありました。
若い人たちに解説委員の方が「平和公園ってあるじゃない?でも最初から公園じゃなかったんだよ」っておっしゃってて
聞いた方は「え、そうなんですか?」って言っていて。
そのやりとりを聞いて、あーそうだよなーって思って。
広島の人間は、もともとそこに人々が暮らす町があったって知ってるけど他の県に住んでる人は知らないことだよねと。
私もそうだもん。
他の県がどれだけの空襲に見舞われたとか調べたことないし。
それでいいと思うんです。
身近でのことを知っている、それが平和が一番いいって思いがちゃんと心の中にあるということだから。
身近で起こった出来事を学んだり調べたりする方が調べやすいし共感性も生まれやすいと思う。
オリンピックの開会式で実況のアナウンサーさんがウクライナの入場時に「選手、関係者300数人が犠牲になった」って言ってて。
そんなん、平和の祭典で言わせちゃダメだよ…。
この歪んだ世界をどう立て直すのか。
とりあえず人に優しくを心がけます。