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Let's Party

主に独り言・・

---私が あなたを 選びました---

2010年07月22日 15時55分33秒 | 伝えたぃ言葉
おとうさん、おかあさん、あなたたちのことを、こう、呼ばせてください。
あなたたちが仲睦まじく結び合っている姿を見て、
わたしは地上におりる決心をしました。
きっと、わたしの人生を豊かなものにしてくれると感じたからです。
汚れない世界から地上におりるのは、勇気がいります。
地上での生活に不安をおぼえ、途中で引き返した友もいます。
夫婦の契りに不安をおぼえ、引き返した友もいます。
拒絶され、泣く泣く帰ってきた友もいます。
あなたのあたたかいふところに抱かれ、今、わたしは幸せを感じています。

おとうさん、
わたしを受け入れた日のことを、あなたはもう思い出せないでしょうか?
いたわり合い、求め合い、結び合った日のことを。
永遠に続くと思われるほどの愛の強さで、わたしをいざなった日のことを。
新しい”いのち”のいぶきを、あなたがフッと予感した日のことを。
そうです、あの日。わたしがあなたを選びました。

おかあさん、
わたしを知った日のことをおぼえていますか?
あなたは戸惑いました。
あなたは不安に襲われました。
そしてあなたは、わたしを受け入れてくださいました。
あなたの一瞬の心のうつろいを、わたしはよーくおぼえています。
つわりのつらさの中でわたしに思いをむけて、自らを励ましたことを。
わたしをうとましく思い、もういらないとつぶやいたことを、
私の重さに耐えかねて、自分を情けないと責めたことを、
わたしはよーくおぼえています。

おかあさん、
あなたとわたしはひとつです。

あなたが笑い喜ぶときに、私は幸せに満たされます。
あなたが怒り悲しむときに、私は不安に襲われます。
あなたが憩いくつろぐときに、私は眠りに誘われます。
あなたの思いはわたしの思い、あなたとわたしは、ひとつです。

おかあさん、
わたしのためのあなたの努力を、わたしは決して忘れません。
お酒をやめ、タバコを避け、好きなコーヒーも減らしましたね。
たくさん食べたい誘惑と、本当によく闘いましたね。
わたしのために散歩をし、地上のすばらしさを教えてくれましたね。
すべての努力はわたしのため。あなたを誇りに思います。

おかあさん、
あなたの期待の大きさに、ちょっぴり不安を感じます。
初めての日に、わたしはどのように迎えられるのでしょうか?
わたしの顔はあなたをがっかりさせるでしょうか?
わたしの身体はあなたに軽蔑されるでしょうか?
わたしの性格にあなたはため息をつくでしょうか?

わたしのすべては、神様とあなたたちからのプレゼント。
わたしはこころよく受け入れました。
きっとこんなわたしが、いちばん愛されると信じたから。

おかあさん、
あなたにまみえる日はまもなくです。
その日を思うと、わたしは喜びに満たされます。
わたしといっしょにお産をしましょう。
わたしがあなたを励まします。
あなたの意思で回ります。
あなたのイメージでおりてきます。
わたしはあなたをこよなく愛し、信頼しています。

おとうさん、
あなたに抱かれる日はまもなくです。
その日を思うと、わたしの胸は高鳴ります。
わたしたちといっしょに、お産をしましょう。
あなたのやさしい声が、わたしたちに安らぎを与えてくれます。
あなたの力強い声が、わたしたちに力を与えてくれます。
あなたのあたたかいまなざしが、わたしたちに励ましを与えてくれます。
わたしたちはあなたをこよなく愛し、信頼しています。

おとうさん、おかあさん、あなたたちのことを、こう、呼ばせてください。
あなたたちが仲睦まじく結び合ってる姿を見て、
わたしは地上におりる決心をしました。
きっと、わたしの人生を豊かなものにしてくれると感じたからです。

おとうさん、おかあさん、今、わたしは思っています。
わたしの選びは正しかった、と。

わたしがあなたたちを選びました。

-------------------------------------- 作者 ・ 鮫島 浩二

鳩山政権に期待大(2)

2009年10月27日 08時17分54秒 | 伝えたぃ言葉
日本はまた、アジア太平洋地域に位置する海洋国家です。古来諸外国との交流や交易の中で、豊かな日本文化がはぐくまれてまいりました。二度と再び日本を取り巻く海を「争いの海」にしてはいけません。友好と連帯の「実りの海」であり続けるための努力を続けることが大切です。このことは、日本のみならず、アジア太平洋地域、そして世界全体の利益だと考えます。その基盤となるのは、緊密かつ対等な日米同盟であります。ここで言う対等とは、日米両国の同盟関係が世界の平和と安全に果たせる役割や具体的な行動指針を日本の側からも積極的に提言し、協力していけるような関係です。

私は、日米の二国間関係はもとより、アジア太平洋地域の平和と繁栄、さらには、地球温暖化や「核のない世界」など、グローバルな課題の克服といった面でも日本と米国とが連携し協力し合う、重層的な日米同盟を深化させてまいります。また、こうした信頼関係の中で、両国間の懸案についても率直に話し合ってまいります。とりわけ、在日米軍再編につきましては、安全保障上の観点も踏まえつつ、過去の日米合意などの経緯も慎重に検証した上で、沖縄の方々が背負ってこられた負担、苦しみや悲しみに十分に思いをいたし、地元の皆さまの思いをしっかりと受け止めながら、真剣に取り組んでまいります。

また、現在、国際社会全体が対処している最重要課題の一つがアフガニスタンおよびパキスタン支援の問題です。とりわけ、アフガニスタンは、今、テロの脅威に対処しつつ、国家を再建し、社会の平和と安定を目指しています。日本としては、本当に必要とされている支援の在り方について検討の上、農業支援、元兵士に対する職業訓練、警察機能の強化等の日本の得意とする分野や方法で積極的な支援を行ってまいります。この関連では、インド洋における補給支援活動について、単純な延長は行わず、アフガニスタン支援の大きな文脈の中で、対処していく所存です。

北朝鮮をめぐる問題に関しては、拉致、核、ミサイルといった諸懸案について包括的に解決し、その上で国交正常化を図るべく、関係国とも緊密に連携しつつ対処してまいります。核問題については、累次の国連安全保障理事会決議に基づく措置を厳格に履行しつつ、6者会合を通じて非核化を実現する努力を続けます。拉致問題については、考え得るあらゆる方策を使い、一日も早い解決を目指します。日ロ関係については、政治と経済を車の両輪として進めつつ、最大の懸案である北方領土問題を最終的に解決して平和条約を締結すべく精力的に取り組んでまいります。また、ロシアをアジア太平洋地域におけるパートナーと位置付けて協力関係を強化してまいります。

先日来、私はアジア各国の首脳と率直かつ真摯な意見交換を重ねてまいりました。韓国、中国、さらには東南アジアなどの近隣諸国との関係については、多様な価値観を相互に尊重しつつ、共通する点や協力できる点を積極的に見いだしていくことで、真の信頼関係を築き、協力を進めてまいります。アジア太平洋地域は、その長い歴史の中で、地震や水害など多くの自然災害に悩まされ続けてまいりました。最近でもスマトラ沖の地震災害において、日本の国際緊急援助隊が諸外国の先陣を切って被災地に到着し、救助や医療に貢献しました。世界最先端レベルといわれる日本の防災技術や救援、復興についての知識・経験、さらには非常に活発な防災・災害対策ボランティアのネットワークを、この地域全体に役立てることが今後、より必要とされてくると思っております。

東アジア地域は、保健衛生面でいまだに大きな課題を抱えるとともに、新型インフルエンザをはじめとした新たな感染症、疾病対策の充実が急務です。この分野でも、日本の医療技術や保健所を含めた社会システム全体の貢献など、日本が果たすべき役割は極めて重要です。文化面での協力、交流関係の強化も重要です。東アジアは、多様な文化が入り交じりながら、しかし、歴史的にも、文化的にも、共通点が多くあります。政治経済の分野で厳しい交渉をすることがあっても、またイデオロギーや政治体制の違いはあっても、民衆間で、相互の文化への理解や共感を深め合っていくことが、どれほど各国間の信頼関係の醸成につながっているか、改めて申すまでもありません。

今後、さらに国民の間での文化交流事業を活性化させ、特に次世代の若者が国境を越えて教育、文化、ボランティアなどの面で交流を深めることは、東アジア地域の相互の信頼関係を深化させるためにも極めて有効なものと考えております。このため、留学生の受け入れと派遣を大幅に拡充し、域内の各国言語・文化の専門家を飛躍的に増加させること、そして、日中韓で大学同士の単位の互換制度を拡充することなどにより、30年後の東アジアやアジア太平洋協力を支える人材の育成に、長期的な視野で取り組んでまいります。貿易や経済連携、経済協力や環境などの分野に加えて、以上申し述べました通り、「人間のための経済」の一環として、「いのちと文化」の領域での協力を充実させ、他の地域に開かれた、透明性の高い協力体としての東アジア共同体構想を推進してまいりたいと考えます。

地震列島、災害列島といわれる日本列島に私たちは暮らしています。大きな自然災害が日本を見舞うときのために万全の備えをするのが政治の第一の役割であります。また、同時に、その際、世界中の人々が、特にアジア近隣諸国の人々が、日本を何とか救おう、日本に暮らす人々を助けよう、日本の文化を守ろうと、友愛の精神を持って日本に駆けつけてくれるような、そんな魅力にあふれる、諸国民から愛され、信頼される日本をつくりたい。これは私の偽らざる思いであります。

日本は、140年前、明治維新という一大変革を成し遂げた国であります。現在、鳩山内閣が取り組んでいることは、言わば「無血の平成維新」です。今日の維新は、官僚依存から国民への大政奉還であり、中央集権から地域、現場主権へ、島国から開かれた海洋国家への国の形の変革の試みです。新しい国づくりは、誰かに与えられるものではありません。現在の日本は、黒船という外圧もなければ、敗戦による焼け野原が眼前に広がるわけでもありません。そのような中で変革を断行することは、先人の苦労に勝るとも劣らない大きな挑戦であります。つまずくこともあるでしょう。頭を打つこともあるやもしれません。しかし、後世の歴史家から「21世紀の最初の10年が過ぎようとしていたあの時期に、30年後、50年後の日本を見据えた改革が断行された」と評価されるような、強く大きな志を持った政権を目指したいと思っています。

今なら間に合います。これまで量的な成長を追い求めてきた日本が、従来の発想のまま成熟から衰退への道をたどるのか、それとも、新たな志と構想力をもって、成熟の先の新たなる飛躍と充実の道を見いだしていくのか、今、その選択の岐路に立っているのです。私は、日本が正しい道を歩んでいけるよう、自らが先頭に立ち、国民の暮らしを守るための新たな政策を推し進めてまいります。私は、国民の積極的な政治や行政への参加を得て、国民とともに、本当の意味で歴史を変え、日本を飛躍へと導くために全力を尽くしてまいります。国民の皆さま、議員の皆さま、私たちの変革の挑戦にお力をお貸しください。ぜひとも一緒に、新しい日本をつくっていこうではありませんか。


鳩山政権に期待大(1)

2009年10月27日 08時17分28秒 | 伝えたぃ言葉
あの暑い夏の総選挙の日から、すでに2ヶ月が経とうとしています。また、私が内閣総理大臣の指名を受け、民主党、社会民主党、国民新党の3党連立政策合意の下に、新たな内閣を発足させてから、40日が経とうとしています。

総選挙において、国民の皆さまは政権交代を選択されました。これは日本に民主主義が定着してから、実質的に初めてのことです。長年続いた政治家と官僚のもたれ合いの関係、しがらみや既得権益によって機能しなくなった政治、年金や医療への心配、そして将来への不安など、「今の日本の政治を何とかしてくれないと困る」という国民の声が、この政権交代をもたらしたのだと私は認識しております。その意味において、あの夏の総選挙の勝利者は国民一人一人です。その一人一人の強い意思と熱い期待に応えるべく、私たちは「今こそ日本の歴史を変える」との意気込みで、国政の変革に取り組んでまいります。

この間、私たちは、新しい政権づくり、新しい政治の枠組みづくりに必死に取り組んでまいりました。その過程において、国民の皆さまの変革への期待を感ずる一方、「本当に変革なんてできるのだろうか」という疑いや、「政治なんて変わらない」「政治が変わっても自分たちの生活は変わらない」という諦めの感情が未だ強く国民の中にあることを痛感させられました。ここまでの政治不信、国民の間に広がる諦めの感情の責任は、必ずしも従来の与党だけにあったとは思っておりません。野党であった私たち自身も、自らの責任を自覚しながら問題の解決に取り組まなければならないと考えております。

ここに集まられた議員の皆さん。私たちが全力を振り絞ってお互いに闘ったあの暑い夏の日々を思い出してください。皆さんが、全国の町や村、街頭や路地裏、山や海、学校や病院で、国民の皆さまから直接聞いた声を思い出してください。議員の皆さん、皆さんが受け止めた、国民一人一人の願いを互いにかみしめ、しっかりと一緒に実現していこうではありませんか。政党や政治家のためではなく、選挙のためでももちろんなく、真に国民のためになる議論を力の限り、この国会でぶつけ合っていこうではありませんか。変革の本番はまさにこれからです。今日をその新たな出発の日としようではありませんか。

私は、政治と行政に対する国民の信頼を回復するために、行政の無駄や因習を改め、まずは政治家が率先して汗をかくことが重要だと考えております。このために、鳩山内閣は、これまでの官僚依存の仕組みを排し、政治主導、国民主導の新しい政治へと180度転換させようとしています。各省庁における政策の決定は、官僚を介さず、大臣、副大臣、大臣政務官からなる「政務三役会議」が担うとともに、政府としての意思決定を内閣に一元化しました。また、事務次官等会議を廃止し、国民の審判を受けた政治家が自ら率先して政策の調整や決定を行うようにいたしました。重要な政策については、各閣僚委員会において徹底的に議論を重ねた上で結論を出すことにいたしました。この新たな体制の下、まず行うべきことは「戦後行政の大掃除」です。特に二つの面で、大きな変革を断行しなければなりません。

一つ目は「組織や事業の大掃除」です。私が主宰する行政刷新会議は、政府のすべての予算や事務、事業、さらには規制の在り方を見直していきます。税金の無駄遣いを徹底して排除するとともに、行政内部の密約や省庁間の覚書も世の中に明らかにしてまいります。すでに、本年度補正予算を見直した結果、約3兆円にも相当する不要不急の事業を停止させることができました。この3兆円は、国民の皆さまからお預かりした大事な予算として、国民の皆様の生活を支援し、景気回復に役立つ使い道へと振り向けさせていただきます。

今後も継続して、さらに徹底的に税金の無駄遣いを洗い出し、私たちから見て意味の分からない事業については、国民の皆さまに率直にその旨をお伝えすることによって、行政の奥深くまで入り込んだしがらみや既得権益を一掃してまいります。また、右肩上がりの成長期に作られた中央集権、護送船団方式の法制度を見直し、地域主権型の法制度へと抜本的に変えてまいります。加えて、国家公務員の天下りや渡りの斡旋についてもこれを全面的に禁止し、労働基本権の在り方を含めて、国家公務員制度の抜本的な改革を進めてまいります。情報面におきましても、行政情報の公開、提供を積極的に進め、国民と情報を共有するとともに、国民からの政策提案を募り、国民の参加によるオープンな政策決定を推進します。

もう一つの「大掃除」は、税金の使い道と予算の編成の在り方を徹底的に見直すことです。国民の利益の視点、さらには地球全体の利益の視点に立って、縦割り行政の垣根を排し、戦略的に税財政の骨格や経済運営の基本方針を立案していかなければなりません。私たちは、国民に見える形で複数年度を視野に入れたトップダウン型の予算編成を行うとともに、個々の予算事業がどのような政策目標を掲げ、またそれがどのように達成されたのかが、納税者に十分に説明できるように事業を執行するよう、予算編成と執行の在り方を大きく改めてまいります。

すでに、これまでは造ることを前提に考えられてきたダムや道路、空港や港などの大規模な公共事業について、国民にとって本当に必要なものかどうかをもう一度見極めることからやり直すという発想に転換いたしました。今後もまた、私と菅副総理のもと、国家戦略室において財政の在り方を根本から見直し、「コンクリートから人へ」の理念に沿った形で、硬直化した財政構造を転換してまいります。国民の暮らしを守るための財政のあるべき姿を明確にした上で、長く大きな視野に立った財政再建の道筋を検討してまいります。

政治もまた、国民の信頼を取り戻さなければなりません。政治資金をめぐる国民の皆さまのご批判を真摯に受け止め、政治家一人一人が襟を正し、透明性を確保することはもちろん、しがらみや既得権益といったものを根本から断ち切る政治を目指さなければなりません。私の政治資金の問題によって、政治への不信を持たれ、国民の皆様にご迷惑をおかけしたことを、誠に申し訳なく思っております。今後、政治への信頼を取り戻せるよう、捜査に全面的に協力してまいります。

私もまた、この夏の選挙戦では、日本列島を北から南まで訪ね、多くの国民の皆様の期待と悲痛な叫びを耳にしてきました。青森県に遊説にまいった際、大勢の方々と握手させていただいた中で、私の手を離そうとしない一人のおばあさんがいらっしゃいました。息子さんが職に就けず、自らの命を断つしか道がなかった、その悲しみを、そのおばあさんは私に対して切々と訴えられたのです。毎年3万人以上の方々の命が、絶望の中で断たれているのに、私も含め、政治にはその実感が乏しかったのではないか。おばあさんのその手の感触、その目の中の悲しみ、私には忘れることができませんし、断じて忘れてはならない。社会の中に自らのささやかな居場所すら見つけることができず、命を断つ人が後を絶たない。しかも政治も行政もそのことに全く鈍感になっている。そのことの異常を正し、支え合いという日本の伝統を現代にふさわしい形で立て直すことが、私の第一の任務です。

かつて多くの政治家は、「政治は弱者のためにある」と断言してまいりました。大きな政府とか小さな政府とか申し上げるその前に、政治には弱い立場の人々、少数の人々の視点が尊重されなければならない。そのことだけは、私の友愛政治の原点として、ここに宣言させていただきます。今回の選挙の結果は、このような「最も大切なこと」をおろそかにし続けてきた政治と行政に対する痛烈な批判であり、私どもはその声に謙虚に耳を傾け、真摯に取り組まなければならないと決意を新たにしております。

本当の意味での「国民主権」の国づくりをするために必要なのは、まず何よりも、人の命を大切にし、国民の生活を守る政治です。かつて、高度経済成長の原動力となったのは、貧困から抜けだし、自らの生活や家族を守り、より安定した暮らしを実現したいという国民の切実な思いでした。ところが、国民皆年金や国民皆保険の導入から約50年が経った今、生活の安心、そして将来への安心が再び大きく揺らいでいます。これを早急に正さなければなりません。

年金については、今後2年間、国家プロジェクトとして、年金記録問題について集中的な取り組みを行い、1日も早く国民の信頼を取り戻せるよう、最大限の努力を行ってまいります。そして、公平、透明で、かつ、将来に渡って安心できる新たな年金制度の創設に向けて、着実に取り組んでまいります。もとより、制度としての正確性を求めることは重要ですが、国民の生活様式の多様化に基づいた、柔軟性のある、ミスが起こってもそれを隠さずに改めていける新しい時代の制度改革を目指します。

医療、介護についても必死に取り組みます。新型インフルエンザ対策について万全の準備と対応を尽くすことはもちろん、財政のみの視点から医療費や介護費をひたすら抑制してきたこれまでの方針を転換し、質の高い医療、介護サービスを効率的かつ安定的に供給できる体制づくりに着手します。優れた人材を確保するとともに、地域医療や、救急、産科、小児科などの医療提供体制を再建していかなければなりません。高齢者の方々を年齢で差別する後期高齢者医療制度については、廃止に向けて新たな制度の検討を進めてまいります。

子育てや教育は、もはや個人の問題ではなく、未来への投資として、社会全体が助け合い負担するという発想が必要です。人間らしい社会とは、本来、子どもやお年寄りなどの弱い立場の方々を社会全体で支え合うものであるはずです。子どもを産み育てることを経済的な理由で諦めることのない国、子育てや介護のために仕事を諦めなくてもよい国、そして、すべての意志ある人が質の高い教育を受けられる国を目指していこうではありませんか。このために、財源をきちんと確保しながら、子ども手当の創設、高校の実質無償化、奨学金の大幅な拡充などを進めていきたいと思っております。

さらに、生活保護の母子加算を年内に復活させるとともに、障害者自立支援法については早期の廃止に向け検討を進めます。また、職場や子育てなど、あらゆる面での男女共同参画を進め、すべての人々が偏見から解放され、分け隔てなく参加できる社会、先住民族であるアイヌの方々の歴史や文化を尊重するなど、多文化が共生し、誰もが尊厳を持って、生き生きと暮らせる社会を実現することが、私の進める友愛政治の目標となります。

先日、訪問させていただいたあるチョーク工場のお話を申し上げます。創業者である社長は、昭和34年の秋に、近所の養護学校の先生から頼まれて2人の卒業生を仮採用しました。毎日昼食のベルが鳴っても仕事をやめない2人に、女性工員たちは「彼女たちは私たちの娘みたいなもの。私たちが面倒見るから就職させてやってください」と懇願したそうです。そして、次の年も、また次の年も、養護学校からの採用が続きました。ある年、とある会でお寺のご住職が、その社長の隣に座られました。社長はご住職に質問しました。「文字も数も読めない子供たちです。施設にいた方がきっと幸せなのに、なぜ満員電車に揺られながら毎日遅れもせずに来て一生懸命働くのでしょう?」 ご住職はこうおっしゃったそうです。「物やお金があれば幸せだと思いますか?」 続いて「人間の究極の幸せは4つです。愛されること、褒められること、役に立つこと、必要とされること。働くことによって愛以外の3つの幸せが得られるのです」

「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」、これは社長の実体験を踏まえた感想です。このチョーク工場は、従業員のうち7割が「障害」という試練を与えられた、言わば「チャレンジド」の方々によって構成されていますが、粉の飛びにくい、いわゆるダストレスチョークでは、全国的に有名なリーディングカンパニーになっているそうです。障害を持った方たちも、あるいは高齢者も、難病の患者さんも、人間は、人に評価され、感謝され、必要とされてこそ幸せを感じるということを、この逸話は物語っているのではないでしょうか。私が尊敬するアインシュタイン博士も、次のように述べています。「人は他人のために存在する。何よりもまず、その人の笑顔や喜びがそのまま自分の幸せである人たちのために。そして、共感という絆で結ばれている無数にいる見知らぬ人たちのために」

ここ10年余り、日本の地域は急速に疲弊しつつあります。経済的な意味での疲弊や格差の拡大だけでなく、これまで日本の社会を支えてきた地域の絆が、今やずたずたに切り裂かれつつあるのです。しかし、昔を懐かしんでいるだけでは地域社会を再生することはできません。かつての「誰もが誰もを知っている」という地縁、血縁型の地域共同体は、もはや失われつつあります。そこで、次に私たちが目指すべきは、単純に昔ながらの共同体に戻るのではない、新しい共同体の在り方です。スポーツや芸術文化活動、子育て、介護などのボランティア活動、環境保護運動、地域防災、そしてインターネットでのつながりなどを活用して、「誰かが誰かを知っている」という信頼の市民ネットワークを編み直すことです。「あのおじいさんは一見偏屈そうだけど、ボランティアになると笑顔が素敵なんだ」とか「あのブラジル人は無口だけど、本当は優しくて子供にサッカー教えるのもうまいんだよ」とかいった、それぞれの価値を共有することでつながっていく、新しい絆をつくりたいと考えています。

幸い、現在、全国各地で、子育て、介護、教育、街づくりなど、自分たちに身近な問題をまずは自分たちの手で解決してみようという動きが、市民やNPOなどを中心に広がっています。子育ての不安を抱えて孤独になりがちな親たちを応援するために、地域で親子教室を開催し、本音で話せる居場所を提供している方々もいらっしゃいます。また、こうした活動を通じて支えられた親たちの中には、逆に、支援する側として活動に参加し、自らの経験を生かした新たな「出番」を見いだす方々もいらっしゃいます。

働くこと、生活の糧を得ることは容易なことではありません。しかし、同時に、働くことによって人を支え、人の役に立つことは、人間にとって大きな喜びとなります。私が目指したいのは、人と人が支え合い、役に立ち合う「新しい公共」の概念です。「新しい公共」とは、人を支えるという役割を、「官」といわれる人たちだけが担うのではなく、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一人一人にも参加していただき、それを社会全体として応援しようという新しい価値観です。国民生活の現場において、実は政治の役割は、それほど大きくないのかもしれません。政治ができることは、市民の皆さんやNPOが活発な活動を始めた時に、それを邪魔するような余分な規制、役所の仕事と予算を増やすためだけの規制を取り払うことだけかもしれません。しかし、そうやって市民やNPOの活動を側面から支援していくことこそが、21世紀の政治の役割だと私は考えています。

新たな国づくりは、決して誰かに与えられるものではありません。政治や行政が予算を増やしさえすれば、すべての問題が解決するというものでもありません。国民一人一人が「自立と共生」の理念をはぐくみ発展させてこそ、社会の絆を再生し、人と人との信頼関係を取り戻すことができるのです。私は、国、地方、そして国民が一体となり、すべての人々が互いの存在をかけがえのないものだと感じあえる日本を実現するために、また、一人一人が「居場所と出番」を見いだすことのできる「支え合って生きていく日本」を実現するために、その先頭に立って、全力で取り組んでまいります。

市場における自由な経済活動が、社会の活力を生み出し、国民生活を豊かにするのは自明のことです。しかし、市場にすべてを任せ、強い者だけが生き残ればよいという発想や、国民の暮らしを犠牲にしても経済合理性を追求するという発想が、もはや成り立たないことも明らかです。私は、「人間のための経済」への転換を提唱したいと思います。それは、経済合理性や経済成長率に偏った評価軸で経済をとらえるのをやめようということです。経済面での自由な競争は促しつつも、雇用や人材育成といった面でのセーフティーネットを整備し、食品の安全や治安の確保、消費者の視点を重視するといった、国民の暮らしの豊かさに力点を置いた経済、そして社会へ転換させなければなりません。

先の金融、経済危機は、経済や雇用に深刻な影響を及ぼし、今なお予断を許さない状況にあります。私自身、全国各地で、地域の中小企業の方々とお会いし、地域経済の疲弊や経済危機の荒波の中で、歯を食いしばって必死に努力されている中小企業主の皆さんの生の声をお伺いしてまいりました。まさにこうした方々が、日本経済の底力であり、その方々を応援するのが政治の責務にほかなりません。経済の動向を注意深く見守りつつ、雇用情勢の一層の悪化や消費の腰折れ、地域経済や中小企業の資金繰りの厳しさなどの課題に対応して、日本経済を自律的な民需による回復軌道に乗せるとともに、国際的な政策協調にも留意しつつ持続的な成長を確保することは、鳩山内閣の最も重要な課題となります。

私たちは、今国会に、金融機関の中小企業への貸し渋り、貸しはがしを是正するための法案を提出いたします。また、政府が一丸となって雇用対策に取り組むため、先般、緊急雇用対策本部を立ち上げ、職を失い生活に困窮されている方々への支援、新卒未就職の方々への対応、中小企業者への配慮、雇用創造への本格的な取り組みなど、細やかで機動的な緊急雇用対策を政府として決定したところです。このような時にこそ、地方公共団体や企業、労働組合、NPOの方々を含め、社会全体が支え合いの精神で雇用確保に向けた努力を行っていくべきだと考えます。

年金、医療、介護など社会保障制度への不信感からくる将来への漠然とした不安をぬぐい去ると同時に、子ども手当の創設、ガソリン税の暫定税率の廃止、さらには高速道路の原則無料化など、家計を直接応援することによって、国民が安心して暮らせる「人間のための経済」への転換を図っていきます。そして物心両面から個人消費の拡大を目指してまいります。

同時に、内需を中心とした安定的な成長を実現することが極めて重要となります。世界最高の低炭素型産業、「緑の産業」を成長の柱として育て上げ、国民生活のあらゆる場面における情報通信技術の利活用の促進や、先端分野における研究開発、人材育成の強化などにより、科学技術の力で世界をリードするとともに、今一度、規制の在り方を全面的に見直し、新たな需要サイクルを創出してまいります。また、公共事業依存型の産業構造を「コンクリートから人へ」という基本方針に基づき転換してまいります。

暮らしの安心を支える医療や介護、未来への投資である子育てや教育、地域を支える農業、林業、観光などの分野で、しっかりとした産業を育て、新しい雇用と需要を生み出してまいります。さらに、わが国の空港や港を、世界、そしてアジアの国際拠点とするため、羽田の24時間国際拠点空港化など、真に必要なインフラ整備を戦略的に進めるとともに、環境分野をはじめとする成長産業を通じて、アジアの成長を強力に後押しし、わが国を含めたアジア全体の活力ある発展を促してまいります。
 
「人間のための経済」を実現するために、私は、地域のことは地域に住む住民が決める、活気に満ちた地域社会をつくるための「地域主権」改革を断行します。いかなる政策にどれだけの予算を投入し、どのような地域を目指すのか、これは、本来、地域の住民自身が考え、決めるべきことです。中央集権の金太郎飴のような国家をつくるのではなく、国の縛りを極力少なくすることによって、地域で頑張っておられる住民が主役となり得る、そんな新しい国づくりに向けて全力で取り組んでまいります。そのための第一歩として、地方の自主財源の充実、強化に努めます。

国と地方の関係も変えなければなりません。国が地方に優越する上下関係から、対等の立場で対話していける新たなパートナーシップ関係への根本的な転換です。それと同時に、国と地方が対等に協議する場の法制化を実現しなければなりません。こうした改革の土台には、地域に住む住民の皆さんに、自らの暮らす町や村の未来に対する責任を持っていただくという、住民主体の新しい発想があります。同時に、活気に満ちた地域社会をつくるため、国が担うべき役割は率先して果たします。戸別所得補償制度の創設を含めて農林漁業を立て直し、活力ある農山漁村を再生するとともに、生活の利便性を確保し、地域社会を活性化するため、郵便局ネットワークを地域の拠点として位置付けるなど、郵政事業の抜本的な見直しに向けて取り組んでまいります。

日本は、経済だけでなく、環境、平和、文化、科学技術など、多くの面で経験と実力を兼ね備える国です。だからこそ、国連総会で申し上げたように、ほかでもない日本が、地球温暖化や核拡散問題、アフリカをはじめとする貧困の問題など、地球規模の課題の克服に向けて立ち上がり、東洋と西洋、先進国と途上国、多様な文明の間の架け橋とならなければなりません。こうした役割を積極的に果たしていくことこそ、すべての国民が日本人であることに希望と誇りを持てる国になり、そして、世界の架け橋として国際社会から信頼される国になる第一歩となるはずです。

世界は、今、地球温暖化という人類の生存に関わる脅威に直面しています。本年12月のコペンハーゲンにおけるCOP15に向けて、地球温暖化という大きな脅威に対して立ち向かっていますが、このことは、決して生易しいことではありません。しかし、私は確信しております。資源小国・日本が、これまで石油危機や公害問題を乗り越える中で培ってきた技術にさらに磨きをかけ、世界の先頭に立って走ることで、必ずや解決に向けた道筋を切り開くことができると。そして、同時にそれが、日本経済にとっての大きなチャンスであることも、過去の歴史が示しております。

私は、すべての主要国による公平かつ実効性ある国際的枠組みの構築や意欲的な目標の合意を前提として、2020年に温室効果ガスを1990年比で25%削減するとの目標を掲げ、国際交渉を主導してまいります。また、途上国支援のための「鳩山イニシアチブ」を実行することで、先進国と途上国との架け橋としての役割を積極的に果たし、世界規模での「環境と経済の両立」の実現、低炭素型社会への転換に貢献してまいります。そのため、地球と日本の環境を守り、未来の子どもたちに引き継いでいくための行動を「チャレンジ25」と名付け、国民の皆さまと一緒に、私の政治的リーダーシップのもと、あらゆる政策を総動員し推進してまいります。

人類の生存の上で、核兵器の存在や核の拡散ほど深刻な問題はありません。私は、オバマ大統領が勇気を持って打ち出した「核のない世界」という提案に深く共感し、これを強く支持します。しかし、そのことは、米国のみが核廃絶に向けた責任を負うということではありません。むしろ、すべての国が責任を自覚し行動を起こすことが求められているのです。唯一の被爆国として、核廃絶を主張し、また、非核三原則を堅持してきた日本ほど「核のない世界」の実現を説得力をもって世界に訴えることのできる国はありません。私は、世界の架け橋として、核軍縮や核不拡散に大きく貢献し、未来の子供たちに「核のない世界」を残す重要な一歩を踏み出せるよう、不退転の決意で取り組みを進めてまいります。


ほんと泣ける!!

2009年09月29日 12時25分50秒 | 伝えたぃ言葉

和歌山県の南端に大島がある。その東には灯台がある。
明治三年(1870年)にできた樫野崎灯台。今も断崖の上に立っている。

びゅわーんびゅわーん、猛烈な風が灯台を打つ。
どどどーんどどどーん、波が激しく断崖を打つ。

台風が大島を襲った。明治二十三年九月十六日の夜であった。

午後九時ごろ、どどかーんと、風と波をつんざいて、真っ暗な海のほうから音がした。
灯台守(通信技手)ははっきりとその爆発音を聞いた。
「何か大変なことが起こらなければいいが」

灯台守は胸騒ぎした。 しかし、風と、岩に打ちつける波の音以外は、 もう、何も聞こえなかった。

このとき、台風で進退の自由を失った木造軍艦が、灯台のほうに押し流されてきた。
全長七十六メートルもある船。しかし、まるで板切れのように、風と波の力でどんどん近づいてくる。
あぶない!灯台のある断崖の下は「魔の船甲羅」と呼ばれていて、海面には岩がにょきにょき出ている。

ぐうぐうわーん、ばりばり、ばりばりばり。

船は真っ二つに裂けた。その瞬間、エンジンに海水が入り、大爆発が起きた。

この爆発音を灯台守が聞いたのだった。
乗組員全員が;海に放り出され、波にさらわれた。
またある者は自ら脱出した。真っ暗な荒れ狂う海。
どうすることもできない。波に運ばれるままだった。
そして、岩にたたきつけられた。一人の水兵が、海に放り出された。
大波にさらわれて、岩にぶつかった。
意識を失い、岩場に打ち上げられた。

「息子よ、起きなさい」

懐かしい母が耳元で囁いているようだった。

「お母さん」
という自分の声で意識がもどった。

真っ暗な中で、灯台の光が見えた。

「あそこに行けば、人がいるに違いない」

そう思うと、急に力が湧いてきた。
四十メートルほどの崖をよじ登り、ようやく灯台にたどり着いたのだった。
灯台守はこの人を見て驚いた。服がもぎ取られ、ほとんど裸同然であった。
顔から血が流れ、全身は傷だらけ、ところどころ真っ黒にはれあがっていた。
灯台守は、この人が海で遭難したことはすぐわかった。
「この台風の中、岩にぶち当たって、よく助かったものだ」と感嘆した。

「あなたのお国はどこですか」

「・・・・・・」

言葉が通じなかった。
それで「万国信号音」を見せて、初めてこの人はトルコ人であること、船はトルコ軍艦であることを知った。
また、振りで、多くの乗組員が海に投げ出されたことがわかった。

「この乗組員たちを救うには人手が要る」

傷ついた水兵に応急手当てをしながら、灯台守はそう考えた。

「樫野の人たちに知らせよう」

灯台からいちばん近い、樫野の村に向かって駆けだした。電灯もない真っ暗な夜道。
人が一人やっと通れる道。灯台守は樫野の人たちに急を告げた。
灯台にもどると、十人ほどのトルコ人がいた。
全員傷だらけであった。助けを求めて、みんな崖をよじ登ってきたのだった。

この当時、樫野には五十軒ばかりの家があった。
船が遭難したとの知らせを聞いた男たちは、総出で岩場の海岸に下りた。
だんだん空が白んでくると、海面にはおびただしい船の破片と遺体が見えた。
目をそむけたくなる光景であった。村の男たちは泣いた。

遠い外国から来て、日本で死んでいく。男たちは胸が張り裂けそうになった。

「一人でも多く救ってあげたい」

しかし、大多数は動かなかった。

一人の男が叫ぶ。

「息があるぞ!」

だが触ってみると、ほとんど体温を感じない。
村の男たちは、自分たちも裸になって、乗組員を抱き起こした。自分の体温で彼らを温めはじめた。

「死ぬな!」

「元気を出せ!」

「生きるんだ!」

村の男たちは、我を忘れて温めていた。次々に乗組員の意識がもどった。
船に乗っていた人は六百人余り。そして、助かった人は六十九名。
この船の名はエルトゥールル号である。

助かった人々は、樫野の小さいお寺と小学校に収容された。
当時は、電気、水道、ガス、電話などはもちろんなかった。
井戸もなく、水は雨水を利用した。サツマイモやみかんがとれた。
漁をしてとれた魚を、対岸の町、串本で売ってお米に換える貧しい生活だ。
ただ各家庭では、にわとりを飼っていて、非常食として備えていた。

このような村落に、六十九名もの外国人が収容されたのだ。
島の人たちは、生まれて初めて見る外国人を、どんなことをしても、助けてあげたかった。
だが、どんどん蓄えが無くなっていく。ついに食料が尽きた。
台風で漁ができなかったからである。

「もう食べさせてあげるものがない」

「どうしよう!」

一人の婦人が言う。

「にわとりが残っている」

「でも、これを食べてしまったら・・・・・」

「お天とうさまが、守ってくださるよ」

女たちはそう語りながら、最後に残ったにわとりを料理して、トルコの人に食べさせた。
こうして、トルコの人たちは、一命を取り留めたのであった。
また、大島の人たちは、遺体を引き上げて、丁重に葬った。

このエルトゥールル号の遭難の報は、和歌山県知事に伝えられ、そして明治天皇に言上された。
明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。
さらに礼を尽くし、生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せて、トルコに送還なされた。

このことは、日本じゅうに大きな衝撃を与えた。
日本全国から弔慰金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられた。

次のような後日物語がある。

イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事である。
イラクのサダム・フセインが、
「今から四十八時間後に、イランの上空を飛ぶすべて の飛行機を撃ち落とす」と、
無茶苦茶なことを世界に向けて発信した。

日本からは企業の人たちやその家族が、イランに住んでいた。
その日本人たちは、あわててテヘラン空港に向かった。
しかし、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。
世界各国は自国の救援機を出して、救出していた。
日本政府は素早い決定ができなかった。
空港にいた日本人はパニック状態になっていた。

そこに、二機の飛行機が到着した。
トルコ航空の飛行機であった。日本人二百十五名全員を乗せて、成田に向けて飛び立った。
タイムリミットの一時間十五分前であった。

なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。

前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。

「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、
今もトルコの人たちは忘れていません。
私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。
トルコでは、子どもたちさえ、エルトゥールル号のことを知っています。
今の日本人が知らないだけです。
それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」

文・のぶひろ としもり


つれづれ4

2009年05月22日 17時57分36秒 | 伝えたぃ言葉
飽きるとはどういうことだろうと考える。好きなものの好きなところを知ってしまった時か、いいところが全部見えた時か、それとも、ただ単に時間がたったからかもしれない。とにかく、絶対にいつか飽きて、捨てていく。人から好かれるものは、捨てられていくものでもある。それをずっとくりかえす。何かを今好きな人もいつかは飽きて捨てていく。それは、悲しいことではなくて、普通のこと。

大切なのは、その時、胸を焦がされたということ。すぎてしまったことをあれこれいまになって理屈をつけるのはカッコ悪い。

それでいいのですか?

2009年04月13日 10時20分11秒 | 伝えたぃ言葉
本音でぶつかれないなら やめちまえよ
そんな中途半端な人間
アンタのプライド この斧で ぶち壊してやる
それは既にタダの我儘
口だけ達者で まるで博識がある
と見せかけ 自分では まだ靴下さえちゃんと履けない

それでいいのかい? ちゃんと自問自答してくれ
それでいいのですか? アンタだって気がついてる
それでいい訳ない コレがその無様な結果
あぁ、そこで嘆くのかい? なら一生負けちまえ

不都合 不条理 理不尽
不のつくコトを 何故か極めようとしている
本当は真っ当なコトしたい でも出来ないコトを
周りのせいにして やり過ごす
相手とケンカを することが大事だ
とか言ってるアンタが 一番本音でケンカしてないじゃん

それでいいのかい? 物事から逃げるより
それでいいのですか? 自分から逃げるなよ
それでいい訳ない コレがその全ての結果
あぁ、そこで人のせいに? 最低な人ですね

どれだけ 自分が 周りに 支えられているか
どれだけ 自分が 相手を 裏切っていたか
どれだけ 自分が 周りに 影響しているか
どれだけ 自分が 相手を 認めていたか

どんな相手でも 見くびればその時点で
自分の負けなんだよ
いつでも相手を 自分の姿と思って挑めよ
私はアナタに何度でも尋ねていきます

それでいいのかい? ちゃんと自問自答してくれ
それでいいのですか? アンタだって気がついてる
それでいい訳ない コレがその無様な結果
あぁ、そこから飛び降りる気かい?
どうぞ誰も止めないから

物事から逃げるより 自分から逃げるなよ
気がついたならすぐ やり直せ 何度でも
弱さも汚さも 受け入れて丸々愛せよ
自分を変えるのは 私じゃない アンタ自身さ
すぐ"どうすればいい"って聞くの
いい加減ヤメなよ
そんなの自分自身で 考えろよ最後まで
時間がかかっても 正しい答えを出せよ
自分の勝手で 答えを選ぶなよ
もう諦めるのかい?
それとも立ち向かうのかい?
殴られたっていいじゃん 何がカッコ悪いの?
もっと自分自身を 信じろよ恥掻いたって
それが本音なら それこそがカッコいい

それでいいのですか?

参考までに~

2008年09月19日 17時13分58秒 | 伝えたぃ言葉
もう、顔がスキだからとか、ちょっとカッコイイからだとか、声がスキだからとか、背が高いからとかで、恋したりしないようにしよう。
なんだってあんなにも好かれてない人を追いかけて、悲しく傷ついてばかりだったんだろう。バカみたいだ。
やっぱり、相手が自分に興味をもってるとか、気が合うと思ってくれてるとかなら話は別だけど、自分の事ちっとも好きでないとわかってる人を、
本当に態度で(今、思えば)ありありとわかっていたのに、相手の迷惑もかえりみずに、しつこく追い回していた私。
といっても、一応、気持ちを押さえにおさえて、電話も10回かけたいと思っても1回にしたし、ときにはもう冷めたフリもしたりしたんだけど、
そんなのあの人には全然伝わってなかったよね。
あんなにいいかげんで、だれにでも愛想がよくって、恋人にしたら苦労するだろうなーって思ってたはずなのにいつの間にか
好きになってしまって。気がついたらふりまわされてた。本当に、性格もあわないってわかっていたのに……。
でも、あの人も悪いと思う。
きっと、すごく悪いと思う。だって、すくなくとも私はできるかぎりの意思表示はしたのだから。最初に私がそれとなく告白した時点て
はっきりフッてくれてたら、こんなことにはならなかったはず。もちろんその瞬間はすごくつらいかも知れないけど、一晩泣いて、さっぱりとあきらめられたはずだから。
けっこう受け止めるそぶりを見せておいて、実はそれほど思ってなかったなんて残酷だよね。
愛されるのがすきで、愛されたがっていて、愛されることに甘えているヤツ。
やさしいからはっきりと断れないってウソだと思う。本当にやさしい人っていうのは、相手を傷つけないように時には強く言える人だ。
あの人の場合、やさしいのではなくてつめたくて弱いんだ。
それに、もっと許せないのは、私の前ではいっけん男らしく落ち着いた態度をとってたくせに、タカオくんにぐちぐちと相談してた事。
きっと困ったなあなんて言いながら、自慢してたんだよね。本当にヒドイ。もう顔をあわせられないよ。きのう、ミイちゃんから聞いて、すごくショックだった。

もう、ヘンな恋はしない。
感じがよくて調子のいい男を追いかけたりしない。
友達がみんな、やめた方がいいよと言ったら、ちゃんとやめる。
私だけが知ってるあの人のいいところをみんなは知らないから・・・・・・なんて自分をはげましたりはしない。
あっちにもこっちにも女がいるような男を「ウワサなんて信じない」なんて一途に信じたりしない。
思いつめて、せいいっぱい勇気をだして問い詰めた時でさえも、答えをあやふやにごまかすような男を、何か訳があったのかも知れないなんて許したりかんかも、もうしない。
自分に落ち度がないように慎重に言葉を選んでいて、約束をしないようにしてて、そのくせ人の弱みにつけこんでキスしたりして、責任をとらなくてすむ程度までやるだけやって逃げるような男に、もうもう二度と、だまされたりしない。
優柔不断で、思わせ振りで、いいのがれのうまいただのバカだった。

恋する女の子を、だまして泣かせて傷つける世界中のヒドイ男よ、みんなみんな今すぐに地獄へ落ちろ。



こんな銀色さんの言葉を発見して
ちょっとハッとしたので
覚えておくために載せておきますー

ところどころ、納得。

なんかの本より。

2008年09月05日 07時51分57秒 | 伝えたぃ言葉
「励ます」

励ますってなんだろう
手を引いてどこかへ連れて行くことはできない
人は人を触ってはいけない
手を引いてついて来させることは
その人をますます弱くしてしまう
ひとりで立てるように
触る以外のすべてを使うことだ
ひとりで歩けるように
離れて元気づけることだ
いちばん悲しい時に 強く抱きしめたあと
すぐに離れて待つことだ

できるのは
絶対に出口があるよと教えること
出口がないなんてことはないと
はったりでもいいから言い切ること
そして見守ること
信じると伝えること

未来

2008年08月26日 16時17分50秒 | 伝えたぃ言葉
『私は目の前に広がる未来を見渡した。見渡そうと試みた。
 まだ確かなものは何も無い。何も見えないが、
 ぼんやりと行きたい方向はある。
 そこへ向かって進んでいこう。少しずつでも。』

最近
この詩がずっと、頭の中をぐるぐるしている。

本当にうっすらと、行きたいところが見えてきて
そこに向かう選択肢もいくつか見つかって
でもやっぱり
踏み出すことは難しく思えてしまう。

きっかけなんてきっと
いくらでも有るんだろうし
飛び出そうと思えば
いつでもすぐにでも出来るはずなのにー

思い悩んじゃうのは何でなんだろうな。
失うものが何もなくなれば
エイって飛んで行くのは簡単になるかな。

それはきっと間違いないだろうな。

久しぶりに思い出して

2008年08月22日 11時34分17秒 | 伝えたぃ言葉
とても痛いこの歌・・・


Believe/倖田來未

戻せない過去 戻らない過去
また弱い自分に気づいた
君からさよなら 「それで終わりなの?」
言えない言葉が涙に変わってく

傷つかない恋なんて本当の恋じゃない
君との傷なら恐くない

I Believe 強がりな僕を
もう一度見てくれるとそう信じたい
Listen to my heart 素直な鼓動を
震える体 この腕で抱きしめたまま

こうして毎日続いていくものと
思っていたんだ これからもずっと
君の見つめるその先にはもう
僕はもう映っていないの?

何かを大切にしようとするとまた
大切なものを傷つけていたんだ

I Believe これからもずっと
君を笑わせるのが僕だったのに
Listen to my heart 素直な気持ちを
必要としてほしい いつでも側にいるから

I Believe 強がりな僕を
もう一度見てくれるとそう信じたい
Listen to my heart 素直な鼓動を
震える体 この腕で抱きしめたまま

I Believe これからもずっと
君を笑わせるのが僕だったのに
Listen to my heart 素直な気持ちを
必要としてほしい いつでも側にいるから


゜・(ノд`)・゜・。

嬉しい日記

2008年05月23日 15時31分43秒 | 伝えたぃ言葉
・・を書いてもらったので思わずHPから勝手に転載。

夕方は高校時代からのぉ友達が遊びに来てくれました。
高校時代は二人で授業抜け出したり、夜遅くまで教室で遊んだりしてた。今思い出すと、ホント笑える思い出ばっかりで、なんか久し振りに色々思い出して、かなり笑えた。
蓮はいつもなら機嫌悪いのに、今日は彼女に相手してもらって、楽しそうだった。
忙しいのに仕事帰りに来てくれて、ホント嬉しかったなぁ。ありがとぉ♪
写真は、蓮に買って来てもらった木のおもちゃ!可愛いっ♪


マジAとは高3の時のかなりの時間を一緒に過ごしたと思う。
お互い家に帰りたくなかったから、それこそ21時とか過ぎても学校でくっちゃべったりしてたなー
懐かしい思い出。。

これからもうちょっと頻繁に会えるようにしようっ!!

「里親制度」を知ってますか?

2008年05月12日 13時38分08秒 | 伝えたぃ言葉
意外に知られていない「里親制度」の現状


少子化少子化というけれど、じっさい周囲を見渡せば、二人っ子、三人っ子家庭って少なくない。妹や弟のいる友達を見るにつけ、一人っ子のわが娘はちょっぴりうらやましそうに、ふとつぶやいたりします。
「妹がほしいなあ」
妹かぁ…。たしかに、きょうだいがほしいという気持ちもわからなくはない。親からも「きょうだいがいたほうがいいんじゃない?」といわれたりするし。でも、四十代の出産は個人的にはちょっとキツそう。「オッパイ出るかな?」なんて、体力的にも戸惑いをおぼえます。
ならば、子どもをもらうというのはどうだろう? 身寄りのない子どもを引き取ってきょうだい同様に育てる。わが子にはきょうだいが、やってきた子には家族ができることになる。これって、もしかすると一挙両得…?

「一人っ子だからきょうだいがほしい、男の子ばかりだから女の子がほしい…。そうした理由で里親になりたいという人も、いないわけではありません。でも、もっとも優先されるべきなのは、引き取られる子どものためになるかどうかということ。うちの子のため、あるいは自分たちのためという目的で里親になろうとするのは望ましくありません。じっさい、里子が実子との間で差別を感じて、深く傷ついてしまうこともありますし、逆に、実子に与える影響にもじゅうぶん配慮する必要があると思います」

と教えてくださったのは、神奈川県にある家庭養育支援センターの里親担当職員さん。いわれてみれば、一人っ子だからきょうだいをと考えるのはたしかに安易。実の子を贔屓(ひいき)して、里子に孤独な思いをさせてしまうかもしれないし、さりとて里子に手をかけすぎれば、実子がプンプンすねるかもしれない…。ウーム。一挙両得だなんて、そう簡単なものではないのですね。

「里親制度はあくまで子どものためのもの。児童福祉法のもと、さまざまな事情で家庭で生活することができなくなった子どもを実親に代わって養育し、子どもの自立を支援するのが里親のつとめです。施設の子どもたちは、虐待や家庭不和などによって、安らぎの場であるべき家庭を失い、心に深い傷を負っているケースが少なくありません。里親のご家庭は、そんな子どもの心のよりどころになっていただきたいのです」

実親了承のもと、子どもが親元に帰れるまで、あるいは満18歳(場合によっては20歳)になるまで養育するのが(養育)里親。各自治体などによって、名称や細かい規定は異なると思いますが、神奈川県の場合、里親になるにはどのような手続きが必要なのでしょうか。

「まず、1.お近くの児童相談所または家庭養育支援センターにご相談いただければ、パンフレットをお送りしたり里親制度の説明をいたします。その後、2.施設見学や、子どもと遊んだりして過ごす養育実習を経て、3.再度児童相談所で詳しい説明を行ない、里親申請書を提出していただきます。申請後は、児童相談所職員がお宅を訪問して、経済的あるいは環境的なことなどについて、家庭状況を調査します。そして、4.児童相談所長との面接によって、里親として適格かどうかを判断したのち、5.神奈川県児童福祉審議会での審査を経て里親認定・登録となります(期間的には、約3~6ヶ月)」

登録後、子どもを預かるまでにすることはありますか? また、里親が里子の性別や年齢を選ぶことはできるのでしょうか?

「里親基礎研修と、乳児院あるいは児童養護施設で5~10日間の実習のほか、里親会や児童相談所が実施する研修を受けます。子どもの委託については、里親の希望も勘案されますが、年齢や性別を選べるというわけではありません。家庭や子どもの状況を考慮したうえで、児童相談所が委託児童を決め、外出や外泊などの交流期間を重ねたのちに、委託するかどうかが決定されます」

委託中は、一定の養育費が支払われるとのことですが、お金以上に気になるのが、子どもとの関係づくりですよね。一般的には「赤ちゃん返り(退行現象)」とか「試し行動」など、養育の苦労が始まるといわれますが…。

「たいていの場合、委託された当初はいい子でいようとしますが、時間がたつにつれて、さまざまな要求やぶつかり合いが生じます。具体的にどのような行動が見られるかはケースバイケースですが、ひとついえるのは、実年齢にかかわらず、生まれたばかりの子どもを育て直す心構えでのぞまねばならないということ。赤ちゃんのように甘えたりだだをこねたりすることは、決して特殊なことではなく、里親との信頼関係をつくるうえで、必要不可欠な過程なのです」

なるほど。「里子の場合はどう育てる?」と、特別に考えすぎる必要はないわけですね。わが子のケースを思い出しつつ、そのときの反省を生かしたり取り入れたりしながら、一から育児に取り組む気持ちで子どもに寄り添っていくことが大切なんですね。もちろん、お預かりしているという、責任感や配慮は必要でしょうけれど…。

「地域には、里親になった方々で組織する里親会があります。里親会では、子育てに関する勉強会やセミナーなどが行なわれるほか、同じ悩みをもつ里親さんや経験豊かな里親さんたちが集まり、悩みやちょっとした愚痴などをきがねなく話し合える里親サロンももうけられています。また、里親になりたい人のための里親講座や、一般の人も参加できる里親大会などの催しもありますので、少しでも興味のある方は、ぜひ参加していただきたいと思います」

細く長く続けていく、短期で取り組む里親制度もある


里親制度。とても重要な取り組みであることがよくわかりましたが、気軽にちょこっと…というわけにはいかないですよね。
では、もう少し別のかたちで、脇役的にサポートするような活動はないものでしょうか? 「お父さんお母さん」というより、「おじさんおばさん」に近いような、そんな距離感の里親ってないのですか?

「里親には、1年以内の期間を定めて委託を受ける短期里親もあります。施設で暮らす子どもにとって、家庭で過ごす体験はたいへん貴重なもの。たとえ一時的でも、自分だけを見てくれる大人、手をかけ心をかけてくれるおじさんやおばさんと接することは、子どもにとってとてもうれしいことなのです。神奈川県では、子どもたちに少しでも家族体験をしてもらうために、夏休みや冬休みなどに預かってもらう三日里親事業があります。週末や祝日を利用した家庭的な体験を通じて、細く長く子どもと交流していただきます。短期里親も、里親の重要な役割のひとつです」

子どもにとって、親や家族の存在がいかに重要か。里親制度を通じて痛感する一方で、里親制度そのものが、私たちの暮らしとあまりにもかけ離れていることを、今回つくづく実感。事実、小学校や保育園の先生でも、里親制度についてほとんど知らないというケースが少なくないのだそうです。
離婚や家庭内暴力、虐待などが取りざたされる昨今、里親制度はもっと注目されるべき取り組みであるはずと思うのですが、みなさんいかがですか? ドラマでも小説の世界でもない「里親」のリアリティを、もっと身近に考えてみませんか?

【問い合わせ先】
里親制度については、お住まいの近くの児童相談所などにお問い合わせください。