はな to つき

花鳥風月

桜の下にて、面影を(18)

2019-09-03 23:20:55 | 【桜の下にて、面影を】
そもそも口数の少ない二人の合席だったが、ひょんなことから会話が弾むこととなった。
「わたくし、この『Loving Life』という曲が、とても好きなのですね」
店内に、わりと大きな音で流れている曲を持ち出して、苗雅は話を始めた。
「私も、好きです。この方の曲は、どれもとても気に入っています」
その装いから、まさかバイオリン曲が突破口になるなどとは思っていなかったことで、不意を突かれた二葉は、跳ねるような口調で答えていた。
「そうでしたか。それは奇遇ですね。わたくしも、よく聴かせていただいております。これはおそらく彼のベスト盤ですね。今方わたくしが入店した際には、『Born to Smile』がかかっておりましたので、そのように推察いたしました。そして曲順からいくとアルバム通りの進行をしていないようですので、法則性を外したセッティングにしてあるのでしょうね」
「私もそう思っていました。私がお店に入った時には、『エトピリカ』が流れていて、
確かその次が『タイムメッセンジャー』でした。それで、このお店当たりかもと思って」
「わたくしも、思いました。当たりかもしれないと」
「私、音楽を聴くと、なぜだかその曲が流れる風景が目に浮かぶのです。もちろん勝手な想像の世界なのですけれど」
二葉は、最初の話題から早速共通点が見つかったことが嬉しくて、一気に自分だけの世界の話を披露してしまい、はっと後悔をした。
「そうなのですね」
突然不思議ちゃんのようなことを言い出した、と思われそうな展開に肝を冷やしたが、それが至極当然のことであるかのように、自然に受け止められた。
「それで、この『Loving Life』という曲を聴くと、私は夏を連想するのです。とても青空が鮮やかな夏が想像できるのです」
「それは、とてもよく分かる気がいたします。わたくしの心象風景では、夏の折り返しになるずっと前の、まさにこれから夏本番に向かっていく、夏に一歩足を踏み入れた段階にあたります」
「そうそう。私も、そういうイメージです」
「付け加えるならば、その時間は、まだ太陽は最高点に到達する前、朝という時間帯が終わった後のように思えます。そして、このサビの部分の幅のあるバイオリンの音色と、ここから転調して、その広い音のまま響き上がってラストに向かうところで、果てしなく続いていく青空へ突き抜けていく、一直線の白がイメージできるのです」
ちょうど今、エンディングに向けてドライブがかかったところだった。
――的確。まったく同じイメージだ。
あまりに一致した感覚に、急速に心が接近した気がした。
ランダム演奏ならではの効果で、再び『エトピリカ』が始まった。
「この曲、とても有名な曲なのですけれど、私の一番のお気に入りなのです」
たった今、ぴったり一致した感覚描写をより確実なものにしたい気持ちで誘う。
「これも、わたくしには、夏の風景です」
「私も。でも、『Loving Life』とは、少し違う風景です」
「そうですね。午前中という印象は同じなのですが、もっともっと早い時間です。
そして、もう少し早い段階の夏です」
「そう。初夏で。朝で。ものすごく世界が拓ける感じがします。それは宇宙の拡がりという感じではなくて、目の前に広がる草原、その向こうに空が広がっていて、壮大という言葉が浮かびます。そして、扇状に延びていく世界は安心するほど広大で、まだまだこれから始まる、まだ自分は大丈夫だと思えるのです」
「そうですね。世界が拓ける。それは宇宙の拡がりではなく、地上に立っている自分が前提となっていて、身の丈の高さという日常の視点から見える目の前には、ただただ草原が凪いでいて、その上に半球状の、青よりも水色に近い空。夏の始まりの頃の、爽やかで、でもほんの少し水気を含んだ空気に包まれた朝。すべてがそこから生まれてくるような世界。壮大に、一斉に、でもとても静かにゆっくりと、何かが始まるという光景です」
――ああ、一緒だ。何もかも、見えているものが一緒だ。
二葉は声にならないまま、前に座る住友苗雅という男性の瞳を見つめていた。
これまで体調のこともあり、ほとんど旅行に連れて行ってもらったことがなかった二葉は、庵に腰掛けていろいろな自分だけの景色をつくってきた。
それはもう自分だけで独り占めするような、気ままで、勝手で、塵ひとつない純粋な空想の景色を、心の引き出しいっぱいに詰めてきた。
そして忘れないようにと、『ふたばノート』という題をつけた日記に、そのオリジナルな世界を散文のように書き綴ってきた。
だから、そんな感覚描写の世界を持っている人が、しかもその世界がこれほどまでに一致している人がいたことに、言葉にならない感動を覚えていた。
「少し自分本位な説明でしたね。そして、分かりづらかったですね」
瞬きも忘れたつぶらな瞳を向ける二葉を気遣って言った。
あまりにも短い時間で、人の奥の方の引き出しにありそうなものを持ち出していたことで、不安を与えてしまったかもしれないと思い、何かの計画を戻すかのように苗雅は会話のテンポを緩めた。
「ごめんなさい。そうではないのです。まったく、そんなことはないのです。その反対で、とてもよく理解できました。分かりすぎるくらい、怖いくらいに同じ風景だったので、言葉が見つからなかったのです」
「そうでしたか。それならば良かったです。安心致しました。出会って早々に、いろいろと挟まなくてはいけないことを一気に省略して、立ち入ったような部分のお話をしてしまったかもしれないと、お詫びをしようかと思っておりました」
「お気遣いありがとうございます。頭の中を覗かれているような気がして少し恥ずかしかったけれど、初めてお会いした方と、こんなにも同じ風景を思い描いていたことが、あまりにも非現実的に思えることが現実として起こったことが、奇跡的にも、あたりまえのようにも思えて、とても不思議な感じがしました」
「確かにそうですね。こういう心象風景は、誰にでもあるものかもしれませんが、
その数も、そのタッチも、その色も、本当に十人十色でしょうから、そこでの他者との一致が成立する確率は、天文学的数値のような気がします。その確率がここで接点を持ったということは、奇跡でもあるし、確率というものがまやかしでもなんでもなく、限りなく低くとも可能性は存在しているということの証にもなりましたね」
「はい。奇跡は、起こるからこそ、奇跡足り得る、ということですね」
「とても分かりやすい表現ですね。まったくその通りだと思います」

(つづく)

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