Labrador's Loveryな仲間たち

ワンコがいる生活を綴ります

荼毘に付す

2023年07月20日 | 風花の闘病生活記録

風花の旅立ちから3日後、いよいよ本当にお別れの日がきてしまった。

どうしても次の日とかは考えられなかったので3日後にしたが、荼毘に付す日は、本当に辛かった。

旅立った次の日には、風花の子が遠くから会いに来てくれたり、棺を作ってくれたり、本当に犬友には

感謝の気持ちでいっぱいでした。

名前入りの棺。

素敵な棺に入っている姿をみて、風花は皆に愛され最後の最後まで幸せだったと思いました。

火葬場の担当の方からも、「こんな立派な棺で旅立つ子は見たことがない」といわれました。

風花が歩けなくなってから介護のお手伝いをしてくれた孫。

ご飯の準備、お薬の用意、褥瘡の手当て・・・・などなど。

旅立った当日は『なんで死んじゃったの!!』と大泣きをされたこと思い出します。

家を出る前には、頂いたお花と庭に咲いていたカサブランカで綺麗に飾ってあげました。

亡くなったことはつらかったけど、まだ目の前に風花は居てくれた。

でも、荼毘に付すということは、本当に私の目の前から完全に姿が

消えてしまうことで・・・・

火葬場で担当の人に「これが、本当に最後のお別れになります」

と言われた瞬間、身を切られる思いで涙が止まらなくなった。

そんな出来事から1年が過ぎました。

これからもずっと、私が生きている限り・・・・

たとえ姿は見えなくとも、私の中にはいつまでも風花は生きています。

 


風花の一周忌

2023年07月17日 | 風花の闘病生活記録

最愛の風花の別れから一年が経ちました。

鮮明に覚えている別れを思い出すと涙してしまう自分がいます。

風花は本当に強い子で限界を超えているであろうと思う状態でも頑張っていました。

7月に入り血尿が出るようになり、でも、止血剤を使って一時良くなったが

それも効かなくなり、もう手を尽くすこともストラバイト用の

フードに切替える事しかできなくなっていました。

今思えば結局それが、引き金になってしまったのですが・・・・

極限の状態の時に、何かを変えるということは体のバランスが崩れてしまう

してはいけないことだと・・・・学びました。

でも、きっと血尿が出始めた時には、きっと何をしてもお別れが近づいていたんだと思います。

1年8ケ月の闘病生活と介護をしてきたので、明らかに今までとは様子が違うことは

主人も私も感じていました。

日中、あまりにも辛そうなので、撫でながら耳元で今まで風花に言ったことのない言葉をかけました。

「ありがとうね。もうそんなに頑張らなくていいよ。今まで有難う」と・・・・・

私の気持ちを理解したのか、それまで口を開けていて、朝まで水を飲んでくれたのに、それからは固く口を閉じて開くことは

なかったです。

前日16日の夜の風花です。

このときは、先生の指示で家にあった唯一、一本の輸液を打つためにバタバタしていて

亡くなった後に見たのですが、「さよなら」を言ってくれていたんだと思いました。

夜は、ご飯も、水も飲まないので、薬も無理に口を開けて飲ませませんでした。

当然、インスリンも打てなかったです。

翌朝、早朝2時頃、他の子の世話をして3時頃にはまだ目を開けて息もしてました。

先生から「早めに連れてきてください」と言われていたので、風花に「もう少ししたら先生に会いに行くよ」と

声かけていたのですが、私が風花の傍を離れた少しの時間に旅経ちました。

兼ねてから風花は自分の腕の中で最後を迎える子ではないと思っていましたが、思っていたとおり一人で旅立ちました。

気高い子で気が強くて弱みを人に見せない子だったので、自分のプライドを最後まで貫いたのだと思います。

生きているうちに、大好きな先生と会えなかったけど、病院に体を清めに行くところです。

私は、亡くなったときのこの顔が生涯忘れることはできないと思います。

「みんなありがとう」と言っているかのように微笑んで見えるこの顔に私は救われました。

まるで天使のように。

風花との思い出は私の宝物です。15年と4カ月、風花ちゃん、本当にありがとう。

また、会いましょう。

 

 


一年前は・・・・

2023年07月05日 | 風花の闘病生活記録

去年は、悲しいことが多すぎて忘れる事の出来ない夏でした。

風花の子(一腹目の子)が11歳目前で7月4日にお空組になり、そして、その14日には、母である風花が旅立ち

9月7日またお空組になった子が。こんなことはそうそうないことなのに、追い打ちをかけるように12月5日には

二腹目の子が9歳でお空組へ・・・・私にとって立ち直れない程の悲しみの連続でした

私は、この写真を奇跡の写真と言っています。

この日は、薬用シャンプーをするために病院に行ったのですが、いつもは、看護師さんがするのに

大大大好きな担当医がシャンプーをしてくれたらしく、きっと嬉しかったのかなと思います。

その頃は、こんなに首をしっかり持ちあげることなどなかったのに、風花らしい凛とした姿を見せてくれて

思わず先生が嬉しくなり写真を撮ったらしいです。

先生から頂いた写真。

その後で皆に遊んでもらったらしく・・・・・

こんな写真もありました。

この二週間後にはお空に旅立つなんて誰しもが思っていなかった

あれからまもなく一年を迎えるのですね。

 


問題が起き出した6月

2023年05月26日 | 風花の闘病生活記録

波はあるものの5月までは何とか過ごしてきたが、6月に入った時

皮膚に何かできていることに気が付いた

チェックすると結構広範囲にわたって赤くなっている

病院に行ってみてもらうと原因不明の炎症のようで薬剤シャンプーと薬で治療することに。

しかも毛があると菌が繁殖しやすくなるので可哀そうだけど毛をカット

無残な姿になってしまいました

ジクジクしたところは消毒をして亜鉛化澱粉を振りかけています。

亜鉛化澱粉って褥瘡の時もそうだったけど、傷が早く治るのです。

優れものですよ。

この六月から、いろいろと問題が発生しだすことになるのでした。


安定していた時期

2023年05月08日 | 風花の闘病生活記録

前回の風花号の完成の頃から5月頃までは比較的安定してくれていた時期でもありました。

それでも、絶好調でないとリハビリもできず、私も、自力で歩くのは無理だろうと思い出したころ、先生も同じ考えのようで

3月の診察の日、あることを提案された。

『風花ちゃんは、激しく動くこともないから血糖値を計る測定器を付けてみないですか』と。

これは、私が、病院に週二回、血糖曲線を計るために通い続けていること。

朝連れて行って夕方迎えに行くことがどれだけ大変なことか先生も分かってくれていたので

少しでも、私が楽になるように考えてくれたんだと思います。

と言ってっも人間用なので誤差があるので一日、実測とリブレ(血糖測定器)の数値の誤差を確かめスタートしました。

リブレ装着後です。

こんな感じに表示されるんですよ。

この頃は、安定している日が多かったので表情も穏やかです。

これを装着したことにより、あんなに通っていた病院も特別何かなければ、月1回でいいなんて

夢のような感じでした。それでも不安な時は、常に先生と連絡が取れるようにしてくださり、本当に安心でした。

やはり、先生選びは絶対大切だと先生を追っかけしてよかったと本当に思いました。