展示風景5ほか
『しののめ』展示コーナーには、手書き時代の貴重な『しののめ』も。三部同じものを手書きで作って、回覧して読む、という歴史を経て、やがて印刷化されていきました。
(今回の展示では佐々木卓司さんの提案により、コピー機を設置。資料を痛めない範囲での、コピー持ち帰りを実現致しました)。
GHQによる検閲の時代も通り抜けてきており、戦後の歴史がそのまま映し込まれています。2012年、佐々木正子第三代編集長の時に、春兆さんに『しののめ』の終刊を進言し、それに対しての「終刊号なんて認めない」がそのまま終刊号の特集になっているという、なんとも”天の邪鬼”な仕舞い方!(ちなみに、表紙の写真は『しののめ』初期のメンバーと花田家の縁側から撮ったものです)。
今回、俳句の短冊展示には、「春立つや身に副うは春兆の号ひとつ」と俳号ひとつで社会のスタートを切った花田春兆さんが、晩年、ご自身の分身(?)とされた天の邪鬼にあやかり、「春立つや身に副うは春兆の号ひとつ」を冒頭に、そして、最後に、節分にまつわる天の邪鬼の句を配してみました。
節分の胸に一匹天の邪鬼 春兆
立春(2月4日)に始まり、天の邪鬼な節分(2月3日)に終わる。これで人生、みごとに一周しました~。
港区の「共に生きるみんなの歌と踊りのつどい」でも春兆さんは天の邪鬼の歌詞を創られていおり、このつどいでよく演奏されています。
そして、、、。
忘れてならないのが、、、。
ここです。。。ご自身のたどってきた”足元を振り返る”展示。
そうです! 足元を振り返ると、そこに「踏み台役の天の邪鬼」の春兆さんの絵の
展示が!! これも立派な展示物なのだ!
春兆さんは、「(偉そうな)仏像よりも、天の邪鬼と(車いすの高さからは)目が合う」と
よくおっしゃられていました。そして、踏まれる側の気持ちも共有のもの。
学生さんたちも最初は戸惑っていましたが、その意味に気づいて、ほらっ。
そんなことで、大学の学生さんたちにもスッカリ馴染みになりました「花田春兆ーその人と作品展」(ちなみにこの踏まれ台役の天の邪鬼の絵は春兆さんの出身校の光明学園の方によって持ち帰られ、光明の相応しい方に手渡されます。天の邪鬼が引き継がれるそうです!さて、どなたか、お楽しみに!)
学生さんたちと言えば、その展示の場を利用して、首都圏で、自立生活をする障害をもつ方たちの、助っ人(介助者)の募集チラシも置いて、学生さんたちにもPRさせて頂きました。春兆さんもこの仕組みを大いに利用されていました。以上見てきたのような、春兆さんのような、きびしくも楽しい生活に添って(介助しつつも)いろいろな体験を学生時代から出来るのも、この仕組みならでは、です。ぜひ、やってみようよ!
これらのチラシは、荒井裕樹さんの講演会でも配られました。
以上が簡単ですが、展示の概要です。荒井裕樹さんの講演会の簡単なご報告はまた、後日。
(文責 坂部明浩)