花田春兆-その人と作品-展

2017年5月13日、91歳で旅立たれた花田春兆さんの、お人柄と業績を多くの方々に知っていただくために花田春兆展を企画。

今年の花田展について

2019-06-11 16:53:08 | 日記

ご無沙汰しています。花田展を富山で行いたいと、声を上げてくれた八木勝自さんと5月29日の夜に戸山サンライズで企画書を元に話し合いました。その結果、大枠でこの企画書で行きましょうということになりましたが、開催時期は、今年ではなく、来年の、7月か10月に開催することで準備をしていくことになりました。また、会場は八木さんが富山大学の方に打診してみたい、ということなので、会場もまだ未定です。でも開催は来年で開催期間は2日間ということでは決定しました。また詳細については、今後八木勝自さんのペースでじっくり詰めていくことになります。


花田春兆先生3回忌

2019-05-14 17:04:21 | 日記

 5/12(日)花田春兆先生3回忌、奥様(裕子様)7回忌の法要が、高源院(東京都世田谷区北烏山)にて行われました。
読経・焼香の後墓参をし、企画展のメンバーだけで写真を撮影しました。(荒井裕樹先生も。右から二人目)



花田春兆著『殿上の杖』のご案内

2019-04-19 16:03:26 | 日記

花田春兆先生の名著『殿上の杖-明石覚一の生涯』が再刊されました。

 四六判/上製 定価:1900円+税 伏流社

 購入ご希望の方は、下記をクリックして下さい。

  伏流社HP

 

【概要】

足利尊氏の縁者という高貴な身分に生まれながら、幼くして視力を失った明石覚一は、自ら琵琶法師の道を選ぶ。厳しい修行に明け暮れる中、地下の琵琶弾きや傀儡、漂泊する芸能民たちとも交流を重ね、社会の底辺にいる人々の暮らしぶりを目の当たりにする。やがて覚一は天下随一の琵琶の名手として名声を高め、御前演奏、すなわち天聴の栄に浴することとなる。磨き抜かれた至芸に感じ入った天皇より、「何か望みがあれば」と御簾の内より御言葉を賜るが、その時覚一が願い出たものは、地位でも所領でもなかった…


荒井裕樹氏講演「“言葉“から読み解く優生思想」

2018-12-05 15:46:32 | 日記

平成3012月1日、花田春兆展の締めくくりとして、荒井裕樹氏(二松學舎大学専任講師)による記念講演が行われた。

荒井氏は冒頭から、「もし花田春兆氏がいなかったら、日本に障害者運動は起こらなかったのではないか」という、衝撃的な言葉を投げかけた。しかもこの発言は、花田氏の盟友であり、かつライバルでもあった横田弘(青い芝の会)によってなされたものであると言う。確かに花田氏は人脈作りの天才であり、現に学生時代純粋な国文学徒であった荒井氏は、花田氏の強力な吸引力の渦の中に巻き込まれ、いつの間にか弟子兼私設秘書になっていたという。その結果、研究テーマはおろか人生の道筋も、大きく修正を余儀なくされてしまったのだ。しかし、横田氏の発言の趣旨は、単に花田氏のこのような人たらしの側面を指すものではない。

それは、花田氏が自宅を開放して創刊した「しののめ」誌が、障害者の綴り方による文学・政治を含む、総合的な運動として発展していったことに由来する。障害者が心の奥底に宿している本当の思いを表現するためには、多くの壁が存在する。例えば、原稿を編集部に郵送しようとする際には、家族の手を借りねばならず、自ずと家族の目に触れることを意識するため、当たり障りのないことしか書けなくなってしまいがちである。このような暗黙裏の抑圧から解き放たれるためには、大きな勇気が必要であり、これはなかなか一人ではなしえないことである。「しののめ」は、このような家族を含む目に見えない社会の抑圧から解放されるための、起爆剤たりえたのである。そして、このような自由な表現によって解放された障害者たちの意識変革の蓄積こそが、後に、「母よ、殺すな」によって家族とも対峙する青い芝の思想へとつながっていくのである。「しののめ」は、まさに障害当事者の本音が引き出された作品の宝庫であり、本講演のテキストに掲載された作品に対して、荒井氏は鋭い分析を加えていく。例えば、男性障害者が「人間」という言葉を多用するのに比べ、女性障害者は自らが「女」であることを起点に思いを綴った作品が多いことに着目する。

本講演の「“言葉“から読み解く優生思想」というタイトルからも明らかなように、荒井氏が問題視している「優生思想」とは、最近話題になっている不妊手術や出生前検診などのように、医療分野にかかわるものに限られない。また、荒井氏は優生思想」はもともとは否定的概念ではなかったという点も指摘している。ここでいう優生思想」とは、もっと広義の、いわば社会全体を覆い尽くす空気のようなものをさすのではないか。それゆえに、多くの場合、家族や施設職員によって、善意や愛情の仮面を被って立ち現れるため、なかなかその本質をつかみきれないのである。それを突き破る有効な手立てとして、花田氏たちによる綴り方という企てがあったのである。そしてこの企てには、多くの共鳴者が生まれ、その結果、一定の社会的影響力も持ち得たのである。

筆者の個人的感想に過ぎぬが、「綴り方」と聞いて、無着成恭氏らによる「綴方教育」を思い起こす人が少なくないのではないか。これは、学校などにおいて意図的,計画的に文章表現の能力の育成をはかる教育の総称とされているが、広義では、貧しい家庭に育ち教育の機会が十分に与えられなかった子どもたちの能力開発に主眼が置かれたものであると言えよう。一方、「しののめ」における綴り方運動にもこういった側面がないとは言えぬが、すでに述べてきたように、重点はあくまで人間解放にあったのである。この二つの綴り方運動は、その後の障害者運動の道筋をも示唆しているようにも思われ、興味深く感じられたのである。(小林英樹)


ご来場感謝いたします5

2018-12-03 14:58:37 | 日記

展示風景5ほか

『しののめ』展示コーナーには、手書き時代の貴重な『しののめ』も。三部同じものを手書きで作って、回覧して読む、という歴史を経て、やがて印刷化されていきました。

 

 (今回の展示では佐々木卓司さんの提案により、コピー機を設置。資料を痛めない範囲での、コピー持ち帰りを実現致しました)。

GHQによる検閲の時代も通り抜けてきており、戦後の歴史がそのまま映し込まれています。2012年、佐々木正子第三代編集長の時に、春兆さんに『しののめ』の終刊を進言し、それに対しての「終刊号なんて認めない」がそのまま終刊号の特集になっているという、なんとも”天の邪鬼”な仕舞い方!(ちなみに、表紙の写真は『しののめ』初期のメンバーと花田家の縁側から撮ったものです)。

 

 今回、俳句の短冊展示には、「春立つや身に副うは春兆の号ひとつ」と俳号ひとつで社会のスタートを切った花田春兆さんが、晩年、ご自身の分身(?)とされた天の邪鬼にあやかり、「春立つや身に副うは春兆の号ひとつ」を冒頭に、そして、最後に、節分にまつわる天の邪鬼の句を配してみました。

節分の胸に一匹天の邪鬼  春兆

立春(2月4日)に始まり、天の邪鬼な節分(2月3日)に終わる。これで人生、みごとに一周しました~。

 

港区の「共に生きるみんなの歌と踊りのつどい」でも春兆さんは天の邪鬼の歌詞を創られていおり、このつどいでよく演奏されています。

 そして、、、。

忘れてならないのが、、、。

ここです。。。ご自身のたどってきた”足元を振り返る”展示。

 

そうです! 足元を振り返ると、そこに「踏み台役の天の邪鬼」の春兆さんの絵の

展示が!! これも立派な展示物なのだ!

春兆さんは、「(偉そうな)仏像よりも、天の邪鬼と(車いすの高さからは)目が合う」と

よくおっしゃられていました。そして、踏まれる側の気持ちも共有のもの。

学生さんたちも最初は戸惑っていましたが、その意味に気づいて、ほらっ。

そんなことで、大学の学生さんたちにもスッカリ馴染みになりました「花田春兆ーその人と作品展」(ちなみにこの踏まれ台役の天の邪鬼の絵は春兆さんの出身校の光明学園の方によって持ち帰られ、光明の相応しい方に手渡されます。天の邪鬼が引き継がれるそうです!さて、どなたか、お楽しみに!)

学生さんたちと言えば、その展示の場を利用して、首都圏で、自立生活をする障害をもつ方たちの、助っ人(介助者)の募集チラシも置いて、学生さんたちにもPRさせて頂きました。春兆さんもこの仕組みを大いに利用されていました。以上見てきたのような、春兆さんのような、きびしくも楽しい生活に添って(介助しつつも)いろいろな体験を学生時代から出来るのも、この仕組みならでは、です。ぜひ、やってみようよ!

 これらのチラシは、荒井裕樹さんの講演会でも配られました。

 

 

以上が簡単ですが、展示の概要です。荒井裕樹さんの講演会の簡単なご報告はまた、後日。

(文責 坂部明浩)