やっと読み終わったので達成感。途中でながいこと放置してしまった。
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いじめられっ子のバスチアン・バルタザール・ブックス少年が、古書店から「はてしない物語」を持ち出して学校の物置小屋に潜んで読み始めるところから始まる。その物語に描かれたファンタージェンの世界には、虚無が広がり危機が迫っていた。
(以外ネタバレあり)
虚無とは無縁のはずのファンタジーの世界に虚無が広がる描写は恐ろしく、想像力を失いつつある現代人への警鐘のようだ。アトレーユの冒険は険しいが目的がはっきりしており見ていて快い。
後半は、バスチアンが救世主となりファンタジーの世界に入り、容貌も美しく心身共に望むままに強くなっていくが、代わりにどんどん現実の記憶を失っていく。フィクションや欲に溺れることへの危険を示す寓話的な流れで、こちらは心踊る冒険譚とはいえない。とくにファンタジーの世界に行って戻って来れなくなった人たちの末路はゾッとする。前回読んで覚えていたのはシャボン玉に切手を貼ろうとし続ける男で、意味のないことの究極表現のような気がしてしまう。
そういう世界(フィクションと欲に溺れた人々の街)を見せられた後なので、コレアンダー氏の「戻ってきた人たちが、両方の世界を健やかにする」という言葉が感動的だ。
終盤の展開は、正直「まだ寄る国があるのか…」という感じだったけれど、こうした段階を踏まずして魔法のように成長するなんてことをしてはいけないのだと思う。
バスチアンは後半の旅で、編み籠の船乗りたちイスカールナリと仲間になった気になったが、彼らは無個性で和合はあるが愛はなかった。愛情は咲き誇る果実のアイウォーラおばさまのところで受けるわけだが、ここでやっとバスチアンは自分も愛することができるようになりたいと思った。
自分から愛したいと思うには、愛されている実感や経験が必要なのだ。さらに次の国で、やっとバスチアンは愛すべき父のことを思い出す。
バスチアンは母が亡くなってから沈んでしまった父と愛情をかわすことがなく苦しんでいた。最後はそこに決着がつくという構造になっていて、現実逃避ではなく現実の問題と向き合うためのファンタジーの名作だと改めて感じた。
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午前中図書館に15分かけて歩いた。帰りは自転車。
夕飯はピーマンの肉詰め、ハンバーグ、味噌汁、人参のグラッセ、温野菜サラダ。本日の歩行5642歩。
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