けっこう好きで思い入れのあるドイツの児童文学『飛ぶ教室』(エーリッヒ・ケストナー)を、数年ぶりに再読しました。今月の読書会の課題本になりましたので。
高橋健二はじめ色々な訳がでていますが、今回は光文社古典新訳文庫の丘沢静也訳です。
ギムナジウム(寄宿学校)で生活する13〜14歳の男子5人を中心に描かれる群像劇。「飛ぶ教室」とは、学校で5人が上演するクリスマス劇のタイトルです。
アメリカ生まれで作家志望のジョニーは、クリスマス劇「飛ぶ教室」の脚本担当。頭の切れる皮肉屋のゼバスティアン、成績トップで絵が上手く正義感の強いマルティン、小柄で弱虫なのが悩みのウーリ、ボクサー志望でいつも腹ぺこのマティアス。
個性的な子どもたちが、実業学校の生徒たちとのいざこざなどを経つつ、正義先生や禁煙さんといった素敵な大人たちとの交流を通し成長していく…といった物語です。
■正直、ちょっと読みづらい
しかしこれ、好きだし子どもにも読ませたいと思って偕成社版を買ったりした割には、正直に言うとちょっと読みづらい所のある本なんでよね。私にとっては。
偕成社版
最初にケストナーが、クリスマス物語を早く書くように母親にせっつかれて汽車で出掛けるくだりは、メタフィクションの形式なんでしょうけど正直言ってまだるっこしいし。
記憶力薄弱の私は、最初はマルティンとマティアスがごっちゃになり、キャラ的にゼバスチアンとマティアスも混ざったりして。
あと、このクリスマス劇の「飛ぶ教室」、これが全く面白くなくて興味をひかれないのです。練習の途中で実業学校の生徒たちとの喧嘩騒ぎが始まりますし。
で、最初の方はどんどん読める感じでもないんですよね私は。上級生が肝試しみたいなことをするのも、寄宿学校で過ごした経験者にはノスタルジーを感じるのかもしれないですが、いまいちピンとこない。
■でもやっぱり好きなところ
では何がそんなにいいかと言えば、最初はケストナーの「子どもだって悲しくて不幸になることがある」といった言葉や、「勇気と賢さ」についての諭し、ジョニーの過酷な境遇による悲哀。そしてウーリとマティアスの友情、クロイツカム先生のユーモアと名言、マルティンの「泣くこと厳禁」(高橋健二訳)、正義先生が示す信頼関係の話、マルティンへのクリスマスプレゼント、仲間から孤立しても筋を通す実業学校のエーガーラント…などなど。まだまだありますがこのくらいで。
岩波版(高橋健二訳)
■再読して気がついたこと
で、今回再読して気がついたことは、「クリスマスにお金がないから家に帰れない」となったマティアスが、お母さんへの手紙で「とても悲しいけど、大丈夫。負けないからね。なんてったって男なんだから」と書くところです。
やっぱり「男らしく」という縛りが相当に強い時代なのだなと。弱虫のウーリが無茶な勇気の示し方に走るのも、同じ理由でしょう。
もちろんそれは、本人のプライドと直結しているので、悪いとばかりも言えない気はしますが。
それと、個人的に今だから刺さったのは禁煙さんの、
「ただね、大切なことに思いをはせる時間をもった人間が、もっとふえればいいと思うだけだ」p160
という言葉です。忙し過ぎて大事なことを考えたり本を読んだりする時間もないのはどうなんだと。
お金はなくても、考える余裕のある生活にするべきなのかもしれないなあと思いました。難しいですけれど。
(読書会の話はまた別途)