花日和 Hana-biyori

こびととくつや

まさか自分はやらないと思っていた、本を見ないでおはなしをする“語り”に挑戦することになりました。グリム童話の『こびととくつや』(こぐま社「子どもに語る昔話・6」より)です。

これは、いい人しかでてこない、”信心深い働き者が報われる”お話で、もう出だしから私の心をつかみました。

――むかし、あるくつやが、なまけていたわけではないのに、だんだんびんぼうになり、とうとう、くつを一足つくるだけのかわのほかには、なにもなくなってしまいました。

というのです。「怠けていたわけではないのに、だんだん貧乏になり」でいきなり身につまされるわけですが、このくつやは良い人なので、こんなどん詰まりでも「気が咎めるようなことは何もなく」夜はぐっすり寝てしまいます。そして朝起きると、靴が出来上がっている!というわけ。寝ている間に小人がすっかり仕事を片付けてくれるって、誰でも夢想したことがあるんじゃないでしょうか。そんな都合のいい話、私は大好きです。

覚えるにあたって、まず苦戦するのが「接続詞」です。一字一句覚えないといけないので、「それで」「それで」と言いたくなるところを、ちゃんと「それから」「そこで」「そして」「おかげで」「しまいには」「それっきり」など、場面ごとに使い分けなくてはいけません。

「朝起きてみると靴ができている」という場面は全部で3回あり、どれも同じ言葉ではありません。最初は「おどろいたことに」「ちゃんとできあがって」いて、事細か驚きや靴の出来について説明し、2度目は「すっかりできあがっていたからです」。3度目はさらに手際よく説明しつつ「ちゃんとできていました」となります。「できている」だけでなく、「しあがっている」もあります。

お客が来て大金で靴を買っていく場面は2回。1度目は「おきゃくが入ってきて」ですが、2度目は「おきゃくもさっそく、ふたりあらわれて」で、客の登場を表しています。日本語のバリエーションは色々あるのだ、良質な童話はこんなふうにちゃんと語彙が豊富なのだ、と気付かされました。

小人の登場・退場も2回ありますが、それぞれ雰囲気と小人の気分を表す描写が実は細かいです。最初は「まよなかになると、(中略)こびとがやってきました」という普通のテンションで、「あっという間にぴょんぴょんはねて、いってしまいました」です。

しかし2度目は、「とびはねながらやってきました」で、くつやから贈り物をもらった小人たちは、浮かれて歌い踊り、最後は「しまいには、おどりながら、とぐちからそとへ出ていきました」と具体的な描写で締めくくります。

それがなんだ、という感じでしょうが、これを「一字一句すべて丸暗記する」となると、この微妙な違いが、覚えていないうちは大混乱をきたします。

それでも、言葉の意味をよく考えて場面を忠実にイメージして、それを言葉で再現しようとしてみると、なんとか思い出せるようになってきました。覚えてみると、なるほどすべての言葉にムダがなく、構成もしっかりしている、ということがよく分かります。語りに大事なのは、記憶力よりも「イメージ力」かもしれません。

このお話の最後は、小人たちが靴やから服や靴をプレゼントされ、浮かれて「これじゃあくつやなんかやってられるもんか」と、出ていき、それっきり2度と現れないというもの。いい話ですが、小人が何を考えているのか分からない奇妙さもあり、可笑しみがあります。締めは、「けれども、くつやは、生きているあいだじゅうはんじょうし、することなすこと、なにもかもうまくいきました」と終わります。話し終えると、すごく幸せな感じがします。

まだ、子どもたちの前でやっていませんが、全然できる気がしなかったものが、だんだん楽しみになってきました。
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