アマプラで「八犬伝」を観た。映画館で観たかったけれどあっという間に終わってしまっていた。
江戸末期の娯楽超大作「南総里見八犬伝」の作者である滝沢馬琴の人生が主軸。友人の葛飾北斎とイチャイチャ仲良く創作を膨らませていく「実」のパートと、ザ・エンタメに振り切った冒険怪奇活劇である八犬伝の、ここで言う「虚」のパートが交互に繰り出される。メタ構造というのかな。原作は「魔界転生」を書いた山田風太郎(私は未読)。
大衆が喜ぶ勧善懲悪の娯楽作を作り出すことに心血を注ぐ馬琴だが、息子に先立たれたり失明の危機に瀕したり、実人生は苦しいことに見舞われ虚実の間で葛藤する。そこがこの映画の一番の肝であり見応えのある場面だろう。創作者としての心の揺れを、役所広司がみごとに演じていたと思う。
馬琴が失明後に八犬伝の完結までを口述筆記したという息子の嫁、おみちが黒木華でこれも圧巻の演技だった。
漢字は書けるのかと聞かれて「いろはばかりでございます」でも…と言い募る場面は胸に迫るものがあった。この映画の本当のヒロインは伏姫(土屋太鳳)ではなくおみちであったと思う。
ただおみちは、実際の原稿を見ると確かな筆運びの漢字を書けていたそうだ(ウィキペディア参照)。後日創作秘話として「いろはもろくに書けぬのに…」と話が盛られたらしい。確かにその方が感激が強くなるもんね。だからもちろん、この「実」のパートも人々が望む虚構、エンタメなのだ。
全体としては、面白いことは面白いけれど、どっちのパートも途中で切られるので没入感が削がれるというか、のめり込むほど夢中で観れたかというとそうでもない。
八犬伝は超エンタメではあるものの今このストーリーだけでやるのは厳しそう、と思ったり。もちろんもっと長い物語(完結まで28年をかけた)なのにダイジェスト的に端折っているので余計そう感じてしまうのだろうけど。刀を振るたびに水がビシャビシャ出てくるのは笑ってしまった。
とは言え板垣李光人の女装姿や渡邉圭祐の若侍姿はさすがの美しさで目に嬉しかった。城の屋根に立つ場面は壮大で、映画館で観たかったなあと。
ところで山田風太郎の原作を電子書籍の試し読みで少し読んでみたら、文章が躍動的でとても面白かった。そしてやはり、細かい事が分かるというのが小説の良い面のひとつだなと。あ、映画の感想からそれてしまった。