きのう、映画「すずめの戸締まり」を観ました。
「君の名は」や「天気の子」のときは息子と3人で行ったんですけどね。息子は友だちと行くし親と同じ劇場はツラいというので、夫婦で先に行きました。
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九州の田舎町に住む17歳の少女“鈴芽”は、通学中に「扉を探している」という美青年、草太に出会い、廃墟の場所を尋ねられる。
鈴芽が草太を追って訪れた廃墟には扉があり、そのあと鈴芽が取った行動によって草太に呪いがかけられ、イスの姿にされてしまう。
鈴芽は草太の呪いを解くため、また同時に草太が行うはずだった役目を一緒に果たすため、日本各地を転々と旅することになる。
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いまだから、これ。ということをとても感じる話でした。
日本のそこかしこにある、かつて栄えたけれどいまは寂れた場所が出てきて、その場所を「神にお返しする」といった共同作業をふたりは行います。
それは被災地巡りのような旅でもありました。実は主人公の少女は大震災の被災者で、当時は幼すぎて認識できていなかった過去と向き合い、何かを回復していきます。
震災から12年でやっとそこに触れられたというのもあると思いますが、バブルの時代には作られなかった作品だなあと。
廃墟や廃れた土地、戻れない被災地などがたくさんある現在、今更こんなに荒らした状態で「神にお返しする」というのもどうなんだ…という気持ちにすらなりました。失われたものは、もとには戻りません。
鈴芽の叔母の環も、姪を一人で育てあげ、自分の人生を犠牲にしてきた思いがどこかにありました。
でも、劇中で何度もでてくる「行ってきます」「ただいま」という言葉は、震災に限らず当たり前の日常や人生を失った人の再生の物語であることを感じさせました。
個人的には「カムカムエヴリバディ」で松村北斗にハマっていたので、美青年の草太がとても見たいというよこしまな気持ちがありましたが、恋愛とはちょっと距離を置いた、美しくて優しい物語でした。