最後の話『著者謹呈』の前に解説があるのは初めて読んだので、何か意味があるのだろうと思っていたら、びっくりしました!そうですか、そういうことですか。と。本という媒体の持つ効果を利用している演出というのかなー。敏い方なら途中で分かっちゃいそうですが、私は分からなかったです。手際の良さにニヤリとする気持ちもありつつですね。
夏目漱石『夢一夜』よりの一篇は、漆黒の闇、氷川瓏の『乳母車』は青い月の夜が美しくもある緊張感でした。『私の仕事の邪魔をする隣人たちに関する報告書』と、うつ病の頃の話を描いたという『黄色い壁紙』は、気がふれた人の視点で書いているのがちょっと似ているなと。でも後者のほうが厭さが凄まじかった。夫に追い込まれていくところは共感すらできて、自らを追い込んでいく描写がリアルでした。
文章が一番読みやすかったのが『ロバート』。定年間近の女性教師が、様子がおかしくなった優等生に追い込まれていく話です。幽霊などとは違う意味の、ニンゲンの怖さ!萩尾望都の短編にでもありそう…と思いました。『皮を剥ぐ』『恐怖の研究』は生理的にしんどかった。
しかしどれも、厭な結末だと分かった上で読んでいたので少し余裕がありました。それが、良くもあり少し残念でもありましたけど。
人は何故「厭な物語」を書き、読むのかという疑問に対し、前作の解説で、文芸評論家の千街晶之氏は
「人間の前に立ちはだかる運命というものへの考察を促す」文学が”厭な物語”である。としています。
今回の解説、丸谷才一氏はこう補足していました。
人間の予測を超える大いなる世界を捉えるものとしての文学作品---(中略)
「絵空事の単純さを感じさせてしまうハッピーエンドより、世界の複雑性を映し出すバッドエンドのほうが、より広く深い愉悦を、読む者に与えるのかもしれません。」
この一文に、私はとても納得しました。もちろん、ハッピーエンドも好きですけどね。
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