花日和 Hana-biyori

くまのテディ・ロビンソン

『くまのテディ・ロビンソン』ジョーン・G・ロビンソン作・絵/坪井郁実 訳





家庭文庫勉強会の今月の課題本。「世界観が優しい!」の一言につきます。かなり癒されました。

 テディ・ロビンソンは、デボラという小さな女の子の、お気に入りのくまのぬいぐるみです。
「そして、デボラも、テディ・ロビンソンのおきにいりの女の子でした」
という表現があるところが、もう、いいなぁ~と気に入ってしまいました。ふたりが対等の友達どうしで、テディ・ロビンソンは立派に一個の人格を備えていることがわかります。

 ふたりはどこに行くのも一緒。ところがある日、庭で一緒に遊んでいるときにお客様がきて、見に行ったデボラはその日テディ・ロビンソンのもとに帰ってきませんでした。テディ・ロビンソンはひとりで庭で夜をすごすことになったのです。でも彼は、そんなに気を悪くしませんでした。

 途中カメや子猫が話しかけてきたり、アーモンドの花が風で落ちてきてピンクの毛布にしてくれたり、星がちかちか輝く夜の闇を見つめたりして、なかなかすてきな夜でした。デボラは早朝迎えに来て、一緒にぽかぽかのベッドに入って眠ったのでした。(「テディ・ロビンソン ひとばん そとで ねる」)

 * * *

こんな感じの優しいエピソードが7つ入っています。おまつりに行ったり、入院したり、色々なことがありますが、基本的に大人も子どももみんないい子・良い人ばかりでほっとします。最近はぎすぎすした話ばかり聞くのでこういう話はありがたい…。

空想と現実の区別が、ほんとうはついているけれど明確に分けて考えるわけでもないという、4~5歳くらいのお話かなと思います。デボラの年齢は(たぶんわざと)書いていないのですが。

 * * *

「熊」そのものではなく、「ぬいぐるみ」なので、動けないし壊れそうになったり洗濯されたりとちゃんと実際的な部分からは逸れません。テディ・ロビンソンが何かすると、たまたま風が吹いてそれが動いたりして空想と事象がうまく合致する場面が細やかで味わい深いです。

テディ・ロビンソンは「ぼくがうなったから猛獣が森から逃げて行った」と考えて楽しみますが、本当は猛獣なんかいないということを彼もデボラも知っていて、それを言葉にもしています。そういう、現実と空想の間のゆらぎみたいな部分が楽しかったですね。
 * * *

とくに面白かった場面が、いとこの男の子が遊びに来てインディアンごっこを3人でするとき、男の子がデボラに「きみはインディアンのつまになれよ」と言うのですが、デボラは難色を示し、「私はインディアンのせんしがいいわ」と言うところ。引き続きテディ・ロビンソンに妻の座が回ってきそうになりますが、ぼくだってインディアンのせんしになりたいと主張。結局みんなして戦士になりました。妻なんてつまらない、という価値観がちょっと愉快でした。

それと、優しい世界観ではありますが、若干子どもらしい心の闇が出るところもありました。おまつりの景品で「そらいろのくま」が並んでいるのを見て、テディ・ロビンソンは急に自分がみっともなく感じます。

デボラと一緒に、そらいろのくまを否定する言葉を並べますが、これはデボラの心の声だったのかもなあ…という感じもしました。テディ・ロビンソンの声が聞こえて、お話ができるのはデボラや子どもたちだけ。ママやおばさんが来ても直接テディ・ロビンソンと話すということはありません。(大人は分からないという明記もありません。そのほうが自然で気が利いてます)

べつの熊に対する嫉妬は、スーおばさんが送ってくれたキラキラ輝くくまのブローチに対する場面でも顕著です。ここでははっきり
くまのブローチおくってくるなんて、この家にずっと前からいるくまにしつれいだい」
とおばさんに悪態をつく歌っています。

そうそう、テディ・ロビンソンは自分の気持ちをなんでも歌にしてしまいます。この悪口も歌にして気持ちを昇華するところが微笑ましいです。
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