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Ham and BCL Square

Area51のHam&BCLブログ。いつかは、DX'erと呼ばれたい(?)・・。毎日書くとは限りません・・悪しからず。

「ひめゆりの塔」・・傍らには・・

2008年01月17日 23時59分18秒 | 旅・鉄道・航空機・船など
沖縄離島の記事が続いたので、本島の方も・・。

「ひめゆりの塔」を知らない人はいないでしょう。
沖縄南部「観光」スポットの定番ですね・・。
周辺は、完全に観光地化されています(レストラン、みやげ店など。中には軍用品のショップも・・)。
(「観光」としてこの地を廻るのには、当方は異議があるのですが、現実は現実ですから、仕方ないでしょうかねぇ・・)


↓いつも観光客で賑わう「ひめゆりの塔」・・。


白く四角いのは、「ひめゆりの塔」でなく、納骨堂ですね・・。
塔の画像も、UPしてもいいのですが、そこら中にあふれていますので・・・
やめときます。


ひめゆりの塔の敷地内には、他にもいくつか慰霊碑などがあって、
一般の観光ガイドでも、ひめゆり以外の塔や碑の説明が
なされることも多いようです。

ひめゆり学徒隊については、たくさんのデータがweb上にあふれて
いますのでね・・・例によって検索してみて下さい。

さて、「ひめゆりの塔」のすぐ傍らに、「赤心(せきしん)の塔」という、
ほとんど知られていない慰霊塔があります。

↓小さな「赤心の塔」です・・。碑文もありません(確か、背面にもなかったはずです)・・。



↓ひめゆり資料館へ入る手前、左手側に「赤心の塔」はあります・・。


観光客は、ほとんど誰も見向きもせず、資料館へと向かいます・・。
この辺は、ガイドさんがきちんと説明してほしいところですけどね・・。

ここのガマが、沖縄陸軍病院「伊原第三外科壕」とされる前は、
ガマには一般の住民の皆さんが避難されていたとのことです。

その住民を追い出し、「第三外科壕」としたそうで・・。
この壕も、いわゆる「住民追い出し壕」だと言われていますね。

ここに避難してきていたのは、他に避難する場所がなかったから、でしょ?
そこから追い出された住民は、どうします?
砲弾飛び交う中を、どうにか逃げまどうしかなかったはず・・。
犠牲者も多く出たわけですよね・・。
そうして亡くなられた住民の皆さんを慰霊するための塔だと言われています。
(正確な情報がないので、必ずしもよくわかりませんが・・)

戦後、いろんな経緯から「ひめゆり」だけが特にクローズアップされましたが、
「ひめゆりの塔」だけに献花をし黙祷を捧げるのには、違和感を覚えます。

もしまだ、この地を訪れたことのない方、ひめゆり以外にも
目を向けてみて下さい・・。


「ひめゆりの塔」の敷地の隣りには「でいごの塔」もあります。
こちらは、でいご学徒隊(私立昭和高等女学校)の慰霊塔。
ひめゆりからは、直線距離だとわずか100mほどでしょうか・・。
すぐ隣りの敷地ですからね。
同じ「学徒隊」であるのに、こちらを訪れる人も皆無ですね・・。


↓「ひめゆりの塔」隣りのレストランの駐車場・・この奥に「でいごの塔」はあります・・。



↓「でいごの塔」です・・。


献花する人も少ないですが、この日は、ある学校の千羽鶴が奉納されていました。
(画像に小さく見えますか?・・塔の左手側)
見捨てない人は、見捨てないんですね・・。

亡くなられた方にしてみれば、多くの観光客で騒々しくなるよりは、
静かな中でお休みいただくのがいいのかもしれませんね・・。
ささやかながら、献花をさせていただきました。

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1 コメント

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糸満豪、がらびの豪 (児玉浩芳)
2011-11-19 13:55:50
が有りますよね?皆さんは知らないと思いませんけど どこの観光センターに行っても見せてくれません。
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