自分で理解していないものからの恩恵のリスク

2007-02-23 | 自然科学
だまされるのは一度目はだます方が悪いが、二度目以降はだまされた方が悪い・・・という話だが。

同じ店で二度食中毒になったところには二度といっていない。
先日一度目に食中毒になった店には、もう行かない。

一度以上裏切られると、トラウマになってもしかたない・・・一年して、まだ繁盛しており、店員も明るそうな感じだったら、うっかりまた入るだろうか。

食中毒で、夜中に吐いたり下痢をするだけでどうにか症状が治まるのならまだ、リスクは少ない。美味しいとんかつの作り方は自分ではまだ理解していないので、
作ってもらったものを食べるしかない。しかし、あの頭痛と嘔吐の辛さは、リスクとしては負いきれないものだ・・・

ましてや、ガスコンロやガスヒーターなど、作ったことがあるひとなど殆どいない。しかも、リスクは死亡。恩恵は絶大だが、死亡リスクがあると、これは究極の選択だ。

真夏のクーラーに死亡リスクがある製品がでまわった日には大変。
これからの夏は暑くなる、そして、より効率的な低消費電力に改良されたエアコンが登場する。これらのエアコンたちは、本当に安全で、小さなリスクしかないのだろうか?

航空機はより効率的に少ないガソリンをつかって飛ぶようになってゆく・・・・
もう言うことはない。

恩恵が大きいものほど、リスクについての説明責任があると思うが、当事者達はどうリスクを表現するだろう。保険がしっかりしていない限り誰も使わない製品ばかりになるのも、面倒な話だ。また、保険に入ってなかったから何の保証もないのもおかしい。

これからは、人が理解できないものを作ったり、人が理解できない行為を行うならば、常に説明責任がシステマティックに問われる世の中になっていくのだろうか。
それとも、得体の知れないリスクは消えないのだろうか?
コストパフォーマンスを追う現代社会では、よほどの努力をしないと、後者の道を行くに違いない・・・

そんなことを書いて、読み返していると、自分の説明責任が重くのしかかる。
たとえ回路設計でも、人が理解していないものを説明不足のまま終えるのは、同じ問題を抱えている。ああ、もっと説明をしっかり書かなければならない。でもそれは、自分に対しても、他人に対しても、現代社会においてはますます必要ことなのだ。技術が高度になればなるほど・・・といっても、私の技術はまだまだそんなたいしたもんじゃありませんが・・・

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