和田純夫教授の量子力学の講義を教養課程でとったとき、彼とたしか、エヴェレット氏の量子力学の解釈について書かれた本も読んでみたりしていた。試験はほとんど満点が取れたけども、多世界解釈が解釈不可能だったまま、ずっと悩んでいた、というか、今日もう一度考え直してみた。
それも、越後湯沢から上野に向かう新幹線の中で。
・波束の収束は説明できないのだが・・・・
しかし、電子のたどりうる軌跡は観測行為のあるまではすべてのありうる軌跡が同時に平行宇宙として存在すると考えておけばいい。あとは、方程式を解いて、観測結果が記述できる解が得られるのだから問題ない。
といった趣旨の内容。しかし、波束の収束は別にしておいて・・・ということを前提にしてあったはず。
これがなんで別にしておいていいのかが・・・わからない。
・確かに実験では、電子や光子をひとつずつ二重スリットを通過させたときも、一度に大量に通過させたときも、ほとんど同一の干渉模様を描く。こんな実験が、日立基礎研究所などで成功している。
!ここの説明が充実していてわかりやすいよ!
このとき、ひとつの粒子が、スリットの向こう側の感光体の、一点に形跡をのこすのだ!
波の干渉ならば、あるいは同時に多量の粒子の干渉ならば、結果としての形跡が、
感光体の物質と相互作用するときにベクトルの方向が正反対となり打ち消しあうところと、
同じ方向で強めあうところができるだろうことは、幾何学的にも把握しやすい。
ところが、同時にひとつだけの形跡が残る。
このとき、それまで多世界解釈してうまくいくはずの平行世界があるのなら、
どうして、薄い多数の点じゃなくて、一点なのだろう????
そう、ここで、一点だけになっている。実際に!
これが、まさに波束の収束のなぞなのである。
幾何学的には納得できない!まったく解釈不可能だ!
なんで、一点なのだ。そして、たくさん繰り返した後の模様が、
干渉縞なのだ!
収束を解釈せずして、その過程を多世界だとし解釈しても、
量子力学の完全な解釈とはいえないと思いませんか?!
なにか、エネルギー波で、同時刻については、相対論的あつかいをしつつ、
もっと正しいモデルで数学的に、幾何学的に把握できる可能性がないのだろうか?
ほんと、アインシュタインの気持ちは良くわかる。
ところで、もっと進んだ実験成果に次のようなものもある!
フェルミオンとしての電子同士の衝突と光子の衝突との違いにヒント!
かなり興味深い!
それも、越後湯沢から上野に向かう新幹線の中で。
・波束の収束は説明できないのだが・・・・
しかし、電子のたどりうる軌跡は観測行為のあるまではすべてのありうる軌跡が同時に平行宇宙として存在すると考えておけばいい。あとは、方程式を解いて、観測結果が記述できる解が得られるのだから問題ない。
といった趣旨の内容。しかし、波束の収束は別にしておいて・・・ということを前提にしてあったはず。
これがなんで別にしておいていいのかが・・・わからない。
・確かに実験では、電子や光子をひとつずつ二重スリットを通過させたときも、一度に大量に通過させたときも、ほとんど同一の干渉模様を描く。こんな実験が、日立基礎研究所などで成功している。
!ここの説明が充実していてわかりやすいよ!
このとき、ひとつの粒子が、スリットの向こう側の感光体の、一点に形跡をのこすのだ!
波の干渉ならば、あるいは同時に多量の粒子の干渉ならば、結果としての形跡が、
感光体の物質と相互作用するときにベクトルの方向が正反対となり打ち消しあうところと、
同じ方向で強めあうところができるだろうことは、幾何学的にも把握しやすい。
ところが、同時にひとつだけの形跡が残る。
このとき、それまで多世界解釈してうまくいくはずの平行世界があるのなら、
どうして、薄い多数の点じゃなくて、一点なのだろう????
そう、ここで、一点だけになっている。実際に!
これが、まさに波束の収束のなぞなのである。
幾何学的には納得できない!まったく解釈不可能だ!
なんで、一点なのだ。そして、たくさん繰り返した後の模様が、
干渉縞なのだ!
収束を解釈せずして、その過程を多世界だとし解釈しても、
量子力学の完全な解釈とはいえないと思いませんか?!
なにか、エネルギー波で、同時刻については、相対論的あつかいをしつつ、
もっと正しいモデルで数学的に、幾何学的に把握できる可能性がないのだろうか?
ほんと、アインシュタインの気持ちは良くわかる。
ところで、もっと進んだ実験成果に次のようなものもある!
フェルミオンとしての電子同士の衝突と光子の衝突との違いにヒント!
かなり興味深い!