カントの「純粋理性批判」と「実践理性批判」(東大入試プレ現代国語)

2008-12-02 | Weblog
理論的理性は左脳的、実践的理性は右脳的とたとえられるだろうか。

いずれに偏っても、哲学の堕落と考える。

そして、当の哲学者自身が自らの生き方をより良くすることを求める過程で、実践し続け、経験知として得られたバラバラなものごとを、理論的に一般化し、統一的に矛盾なくまとめて表現されるに至り、誰にでも利用できるようなものとしての実践理性的哲学が価値ある哲学と考える。

苫米地氏の考え方も、本人の実践と成功の裏付けなくして意味がないし、
特定のケースに当てはまるだけの学問的裏づけの無いものでは単なる教化材料にすぎないはずのものであるが、
これら両方のポイントは抑えているものと考えていいのだろう。それどころか、他人にコンサルタントして成果を上げているのだから、それ相当にしっかりしたものだと思う。

その意味で、カントとその流派が考えていたことは、同じことだったのだと思うと、
あの難解な著書が読まれ、翻訳されていた意味が、やっと少しわかる気がした。

ところで、試験はどうだったかと・・・
本文を読んで、考えていると、言葉をまとめることは難しく、
現代国語の答案作成としては、私には時間が全く不足でした・・・

数学は完答できたのは1問だけ、あとは半分×2と計算違いと、おおきな勘違いと、白紙・・・・風邪は問題状況把握に影響あるかもしれません。

2日目の理科では、生物に50分最後に使ったが、問題文を飛ばし読みして、
タカ派とハト派の戦略ゲームの最初の数値の考え方を間違い、その数値でその後の総てを完全答案(といっても内容は中学レベルの処理)するが、全部数値がずれることに・・・・

物理の残った、二次方程式の解を出すのと、最後の力学の問題を解いた方が
物理を90%以上仕上げることに繋がったのに・・・と思うふしもあるが、
生物を急いで解くのは、勘違いや失敗があっても、僕には楽しいものである。

もっとしっかり生物の概念に親しみ、本文を苦無く読めるようにしたい。

英語は、リスニングで初めて80%以上できたのは、苫米地本の英会話のCDを通勤中聞いていたからか・・・!!

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