白龍の井戸端会議室

みんなでわいわい気楽に会話をしましょう。

サンディタさんへの質問①

2007-05-05 16:27:26 | Weblog
サンディタさんからマーフィーさんへの回答がありました。

『マーフィーさま
>今でも「サンディタよ、サリンを地下鉄に撒きなさい!」とグルに言われたら、サリンを撒きますか?
 当初に示された目的に対し、あまり意味の無い指示は無視します。
 言われた事に盲目的に従うのが帰依ではありませんので。』

最近の教団の論調に沿った、無難な答えだと思います。
しかし、ほとんどの方は、当時盲目的に従っていたのではないかと推測されます。

『>サンディタさんにとって「グルへの帰依」とは何でしょうか?
 グルの意思を理解し実践する事です。
 それは表面的に発せられた言葉だけでなく、その言葉に隠された深い意味をも知る必要が有ります。』

「グルの意思」という言葉が出てきてしまいました。
当然突っ込まないわけにはいかないので、サンディタさんへ再び質問を置いてきました。次のような質問です。

『サンディタ さんへの質問
>>サンディタさんにとって「グルへの帰依」とは何でしょうか?
>グルの意思を理解し実践する事です。
>それは表面的に発せられた言葉だけでなく、その言葉に隠された深い意味をも知る必要が有ります。

ちょっと意地悪な質問になってしまって申し訳ありませんが、
サンディタさんよりもステージの高い、
正大師や正悟師の方々が、グルの意思の実践として、
事件を行なったわけですから、
それこそが、やはりグルの意思だったのではないですか?
それとも、彼らは皆グルの意思を全く理解しておらず、
サンディタさんのほうが、グルの意思を理解しているとお考えですか?』

| 200705-05 16:06:07 | 白龍 #- URL

さて、この質問にはどのような答えが返ってくるのでしょうか?楽しみです。

回答が楽しみ

2007-05-04 17:57:57 | Weblog

ミクシィの日記に書いたものですが、こちらにも転載しておきます。

野田さんのブログのコメント欄に書かれていた、マーフィーさんからサンディタさんへの質問です。

http://<WBR>alephn<WBR>oda.bl<WBR>og85.f<WBR>c2.com<WBR>/blog-<WBR>entry-<WBR>50.htm<WBR>l#comm<WBR>ent

『今でも「サンディタよ、サリンを地下鉄に撒きなさい!」とグルに言われたら、サリンを撒きますか?

 サンディタさんにとって「グルへの帰依」とは何でしょうか?』

サンディタさんの発言から、グルへの帰依が今でも変わらず続いていることを、マーフィーさんが見て取っての質問だと思いますが、サンディタさんにとってはあまりありがたくない質問でしょう。(笑)

グルを肯定する方には、どうしてもこの質問がついてまわります。グルを肯定する方にとって、現在のグルの刑務所内での醜態は、ヴァジラヤーナの救済を肯定しない限り、説明のつかないものになってしまいます。単なる拘禁反応や詐病などとは考えられず、我々弟子や衆生のカルマを背負って、あのような痛ましいお姿になっておられるのだと考え、そこに、衆生済度のために身を捨てる菩薩の実践を見るわけです。というより、そのように見たいのです。

とするならば、純粋にグルへの帰依、ヴァジラヤーナの救済を肯定する者は、帰依の実践として、上記の質問に対して、「グルに言われたら、サリンを撒きます。」と答えなくてはならないのです。なぜなら、その偉大なマイトレーヤ菩薩のお手伝いをするために、我々弟子は生まれてきたのだと考えているからです。

しかしながら、以前A派のサマナでブログを作った方もそうでしたが、「サリン事件は否定します。尊師に言われても、私はサリンなど撒きません。」と言います。これは、帰依の実践という点から、矛盾が生じます。グルの意思を実践する事こそが弟子の帰依の証であり、自らの修行のステージを上げるためには、必要不可欠な要素だと捉えるのがオウムの教義だからです。

しかしながら、あの原理主義のA派でさえも、教団に団体規正法や破防法がかけられるのを恐れ、世間を憚って「事件は否定します。尊師に言われてもサリンなんか撒きません。」としか言えません。しかし、これはすでに純粋な帰依の実践から言ったら、矛盾しているのだと思います。

その点に、すでに限界を見出したので、上祐さんは、アーレフ本体から離れ、新団体を創ろうと考えたのだろうと思います。

はてさて、サンディタさんからは、どのような回答が返ってくるのか楽しみです。


気がかりだったこと

2007-05-01 23:25:50 | Weblog
第一ブログに書いたように、
昨日をもちましてオウムからの完全離脱が完了しました。
なぜアーレフでなくて、オウムなのかというと、
私の中で、アーレフはオウムの仮の姿でしかなかったからです。

それはさておき、辞めるにあたって、
一つだけ気がかりだった事がありました。
それは、私が導いた方が、今も代表派の信徒をやっていたことです。
その方は仙台に住んでいるので、
現在なかなか会いに行くことも出来ず、
電話もせずに疎遠になってしまっていました。
どうしたものかと思っていたら、
師補を通して、向こうからメッセージを送ってきました。
そのメッセージとは、

『俺をさんざんしつこく入信させといて、
その本人が俺に勝手に挨拶もなくやめるのか。
やめるなら俺の所に来て詳しい説明をしろ。
昔、脱会したあと、さんざん再入信をすすめたのは誰だ。
○○さんが嫌でやめるような所を俺に紹介したのか。
一回詳しい説明に来い!』

というようなものでした。
これだけ読むと、相当怒っているように見て取れるのですが、
元々、普段でもこんな口調で言っている方なので、
半分冗談だろうなと思いつつも、
彼の言っていることも当然なので、
実際言って説明が出来ない以上、
まずは、彼宛に手紙を出すことにしました。
丁寧に説明を書いたら、A4判で6枚ぐらいになりましたが、
言いたいことは取りあえず全部網羅できました。

それを、師補を通して手渡していただいて、
読んだ頃を見計らって、彼に電話を入れました。
そうしたら、案の定、別に怒っているわけでもなく、
冷静に私の行動を判断されていました。
パソコンを持っていないので、
私のブログは見ていなかったらしいのですが、
全部師補に打ち出してもらって、
読んでいる最中だったらしいです。

彼曰く、私のブログを、サマナは出来るだけ、
他の信徒に知らせないようにしているらしいということでした。(笑)
彼も最近知ったと言っていました。

それに、どうも、師補が送ってきたメッセージは、
多分に師補の脚色も入っていたらしく、
俺はあんなにきつく言ってないからと笑っていました。
もちろん、師補の善意から出た事なので、
私もなんとも思っていません。

会話の中で、ブログの内容で、チベットの法脈についての記述は、
どうもおかしいのではないかと突っ込まれたくらいで、
特にあとは、○○さんが教団を辞めようと、残ろうと自由ですから、
私のことは、気にしないで下さいと言われ、
いつも通りの、終始穏やかな口調で会話が終了しました。
正直、彼に気にしないでくれと言われて、
ほっと肩の荷が下りました。

彼も、アーレフに脱会届けを提出したらしいのですが、
その翌日には、新団体への入会金を払ってくれと言われ、
名前も、姿形もない団体に金が払えるか!と、突っぱねたそうです。

新団体が正式に形が出来上がったら、
ご祝儀のつもりで払うと言っていましたが、
それぞれ自らの信ずる道を歩むということでしょうね。

仙台の信徒さんに関しては、
本当に古い信徒さんが多く、どの方とも仲良くさせていただきました。
事件の時も、互いに支えあいながら乗り越えてきました。
皆さん戦友みたいな方達です。
時間が過ぎて、落ち着いたら、
皆さんと、ゆっくりお茶でも飲みながら話をしたいと思っています。