白龍の井戸端会議室

みんなでわいわい気楽に会話をしましょう。

今日は大晦日!

2006-12-31 01:20:05 | Weblog
 今日は大晦日!

今年も残すところあと一日。早いですねえ~!
今年も巷では、色々な出来事がありました。
私にとっては、ブログを作ったということが一番のニュースでした。

こちらのブログは、
次第にメッセージ性の強い性格を持ってしまった最初のブログに対して、
気楽に書き込めることを狙って作ったものでしたが、
向こうのブログから引き続き、多くの方々からコメントをいただきましたこと、
大変感謝しております。

来年は、教団にとっても大いなる変革の年になると思われますが、
私にとっても、大きな岐路に立たされる年になると思います。
2チャンネルでも私の進退が取りざたされていましたが、
私自身、そろそろ潮時かなという感じもあります。

ネットを通じて、皆様とお知り合いになれましたこと、
会話が出来ましたことは、
大変刺激的であり、かつ有意義でもありました。
来年もまた、親しくお話させていただければ、
これほどの喜びはありません。

皆様もお身体に気をつけて、良いお年をお迎えください。
来年もまた宜しくお願いいたします。
                          
                         2006年 大晦日 白龍    
                           





大掃除

2006-12-29 10:58:48 | Weblog
皆さんは、もう大掃除終了しましたか?

毎日きちんと掃除されている方は、

こういう時にばたばたしなくてすむのでしょうが、

我が家は、大変。

病人がいると、なかなか隅々までの掃除が行き届かなくなる。

一年分のほこりがいたるところに・・。

今日は、少なくとも家の周りの窓ガラスを拭いて、

自分の部屋にたまった「進化」や諸々の本をダンボールに押し込んで、

掃除機をかけ、床と家具の拭き掃除をする予定。

今年一年の区切りをつける意味で、

きれいにしてみるつもり。

ごみと一緒に、今までの過去のこだわりも捨て去りたいです。

その後で、正月用のもちを切ってくれと頼まれているので、

もち切りもしなくてはならない。

年末はなかなか忙しいですわい。

不思議な体験

2006-12-26 14:08:27 | Weblog
 向こうのブログに書き忘れていたことが一つあった。大学時代のサークルの合宿での出来事なのだが、夏合宿で長野の木曽福島の民宿に泊まった時のことである。すごく風情のある良い民宿で、みなで喜んでいた。食事もボリュームがあって、腹をへらした学生にとっては、最高の合宿所であった。

 そこの、経営者はなかなかスマートな感じの男の人で、田舎の民宿の親父とはちょっと雰囲気が違っていた。話し好きで、いろいろ我々と会話を楽しんでいたが、お話によると、もともと作詞家で、小柳ルミ子の作詞なども手がけたこともある方だったらしい。

 どういう経緯かは忘れてしまったが、作詞はとりあえず一旦休止にして、民宿経営に専念していたようである。その方といろいろ話していたら、私は神様を呼ぶ力があると言い出した。当時、唯物史観を勉強していた我々にとっては、何をおっしゃるうさぎさんと言うような話である。へ~、そう。くらいでみな軽く聞き流していた。

 その場はそれで終ったのだが、その夜、そのおじさんの粋な計らいで、私達と同様に、その民宿に合宿に来ていた女子大生達と、フィーリングカップル5対5をやることになった。今から30年ほど前、プロポーズ大作戦という番組で、高視聴率を上げていた5対5でやる公開お見合いみたいなものである。それをやるというので、我々は喜び勇んで部屋に向かった。

 それほど大きな部屋ではなかったが、10人以上入ることが出来た。そこで、我々男性陣は窓を背にして座り、女性陣は壁を背にして座った。そして、互いの自己紹介やら、趣味やらと質問したりバカを言ったりしていたのだが、その時に、例の民宿のおじさんが部屋に入ってきて、これから皆さんの幸せを祈るために、神様を呼びますみたいなことを言い出した。

 みんな、あ、そうですか、みたいな感じで、言われるままに、窓を開けて部屋を暗くした。そこで、おじさんが正座をして祈りだした。みんな真剣におじさんを眺めていたが、別段これといって変わった様子もなかった。しかし、おじさんから目をはずし女性を見た時にぎょっとした。

 一人の女性の周りだけ白く明るいのである。その女性は、座っていたのだが、その女性の寄りかかっていた壁が、その女性を中心にして、半円形の扇形に白くボワ~っと光っていたのである。女性達は同じ列だったから気付かなかったが、我々男性陣は、みなその光を見ておどろいてしまった。我々が騒いだものだから、女性達も気付いて騒ぎ出した。本人も自分の後ろの壁を見て、何がどうなったのか分からず、気持ち悪がっていた。

 おじさんは、みなに騒がないように指示をし、光っていた女性に、「あなたの家で神様に使えている人はいませんか?」と質問したところ、母親が巫女だということだった。どうも神様に守られているらしいということであった。

 多くの人が全員、神秘的なものを目の当たりにする機会など、滅多に無いことだろうと思う。よく、テレビで神秘的なものなど無いと言う方に対して、公開実験みたいなことをやることがあるが、このおじさんが行なったようなことを、公開でも出来たなら、それなりに神秘的なことはあるのだという証明になるかもしれない。昔々のことではあるが、思い出したので書き留めておく。

クリスマス

2006-12-25 00:52:22 | Weblog
メリークリスマス!!イエスキリスト生誕の日です。
日本中イルミネーションが輝いていますね。
昨日に引き続き、聖書の言葉を載せておきます。

「マタイによる福音書」から抜粋

狭い門からはいれ、滅びにいたる門は大きく、その道は広い。
そして、そこから入っていく者は多い。
命にいたる門は狭く、その道は細い。
そして、それを見いだす者が少ない。
にせ預言者を警戒せよ。
彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、
その内側は強欲なおおかみである。
あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。
茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
そのように、すべて良い木は良い実を結び、
悪い木は悪い実を結ぶ。
良い木が悪い実をならせることはないし、
悪い木が良い実をならせることはできない。
良い実を結ばない木はことごとく切られて、
火の中に投げ込まれる。
このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、
みな天国にはいるのではなく、
ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

「求めなさい。そうすれば、与えられる。
 探しなさい。そうすれば、見つかる。
 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、
 門をたたく者には開かれる。」

聖書から

2006-12-24 00:40:59 | Weblog
クリスマスなので、今日と明日は聖書の言葉を載せます。

「マタイによる福音書」から抜粋

『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、
あなたがたの聞いているところである。
しかし、わたしはあなたがたに言う。
悪人に手向かうな、もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、
ほかの頬も向けてやりなさい。
あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着も与えなさい。
もし、だれかが、あなたをして一マイル行かせようとするなら、
その人と共に二マイル行きなさい。
求めようとする者に与え、借りようとする者を断るな。
『隣人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、
あなたがたの聞いているところである。
しかし、わたしはあなたがたに言う。
敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
こうして、天にいますあなたがたの父と子となるためである。
天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、
正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
あなたがたは自分を愛する者を愛したからとて、
なんの報いがあろうか。
そのようなことは取税人でもするではないか。
兄弟だけにあいさつしたからとて、
なんのすぐれた事をしているだろうか。
そのようなことは異邦人でもしているではないか。
それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
あなたがたも完全な者となりなさい。


聖書の言葉は心に響きますね。
その真の意味は深遠でも、言葉が平易で分かりやすい。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。」

こういうことの言える人間になりたいものです。

叔父の死

2006-12-22 23:39:52 | Weblog
 私の叔父が先ほど亡くなった。

 私の父と同じ病院に、脳梗塞の後遺症で入院していたのだが、87歳だった。まあ、大往生といえるだろう。今日の昼、叔母が院長に呼ばれて、今年一杯持つかどうか分かりませんと告げられて、覚悟を決めた数時間後、容態が急変して亡くなってしまった。叔母は家に帰っていて、死に目には会えなかったようだ。

 父と同じ並びの病室にいたので、私は父のところから帰る時に、ついでに立ち寄って布団をかけてあげたりしていたが、最近は、誰が来たのかも分からない様子で、うつろに目を開けたり閉じたりしているだけだった。鼻からチューブを入れられ、酸素マスクをして、点滴で栄養を摂って生きながらえていた状態だった。

 痰を出すことも出来ず、喉に痰が溜まるので、介護師が機械についたチューブで吸い出してやるのだが、それをやられる時だけ、苦しいのかヒーと言うような声を上げていた。それがなんとも、断末魔の悲鳴のようでかわいそうだった。

 熱の高い状態がしばらく続いていたが、どうせなら一気に熱を出し切ってしまったほうが良いということで、身体を暖められたり、熱がっているからと冷やされたり、一体どっちなんだというくらいいろいろされていた。痛いとも、苦しいとも言え無い状態で、あのまま生を永らえさせることの意味合いはなんであろうか?我が身に置き換えた時、あの状態で、生きていたいと思うものであろうか?どうなのだろう?

 すでに、通常の意識状態ではないから、生存に対する執着のみになっているのだろうか?それとも、それすらも感じない混濁した意識なのかもしれない。

 しかしながら、叔母も介護に疲れ果て、自分も具合が悪くなっている状態だったから、ある意味楽になったのかもしれない。人間うまく出来ているもので、長いこと介護を続けていると、次第に老いた自分も苦しくなってくる。そのため相手への執着がだんだん薄れてくるのである。自分で、もうやれるだけのことはやったという、あきらめのようなものが出てくるのだろう。もちろん叔母も、悲しんではいたが、眠ったように逝ったので、これ以上苦しまずに良かったという思いのほうが強いようであった。

 老いと病、そして死。生を受けたものが、必ず直面しなくてはならない大きな課題である。これを、沢山見ることは、修行者にとって、非常に大きな意味があると思われる。かつて、釈迦の教団では、墓場に行って瞑想したと言われている。当たり前の現象なのに、出来るだけ避けて通りたい、目を背けたい事象なのだ。でも、それを直視することから、修行の一歩が始まるような気がする。

 頭で死を考えるよりも、実際の死を見たほうが数倍良い。叔父の死によって、死とはなんなのか、生とはなんなのか、改めて考えさせられた。そのような機会を与えてくれた叔父に感謝しつつ、叔父の冥福を祈りたいと思う。     
                                   
                                   合掌

編集部スタッフメール

2006-12-21 13:05:23 | Weblog
昨夜ようやく代表派ブログスタッフから、
メールが届きました。
メールを送信しても、
なかなか送信にならず、てこずっていたそうです。
そうであったかと、そのことに関しては、
別にそれ以上の感情も湧かなかったのですが、
冒頭に書いてあった文章には、がっかりさせられました。

「白龍さんのブログというのがあって、
そこにメールアドレスが書いてあるよと
他のサマナが教えてくれましたので、
そちらをコピペして再送してみますね。
初めて見たのですが、
悪口がたくさん書いてあるのですね。。。」

ブログの担当者になる者が、
信徒のブログすら全く見ていないんだ・・。
さすがに、広報担当者は見ているようだけど・・。
自分達を客観的に見る目なんて
彼らには必要ないのだろうかと思ってしまう。

そして、ブログの内容を、
単に悪口としか捉えられないこの感覚。
おまけに、それを謝罪メールに書いてしまう愚かしさ・・。
あなたたちはおこちゃまか!と言いたくなってしまう。

もう出家者の感覚は、常識はずれだとはっきり書いて、
長~い説教メールを送ってやりました。(笑)

しかし、ブログ作りも初めてだろうし、
外部との接触も慣れていないでしょうから、
これ以上、向こうのブログで
晒し者にするのはかわいそうなので、
こちらで愚痴るくらいでやめておきます。

M派もこれじゃ前途多難だなあ。ハァ~。


オーラの泉

2006-12-20 13:18:10 | Weblog
 ノロウイルスが猛威を振るっていますが、皆さんの地域は大丈夫でしょうか?私の住んでいる隣の町でも、ノロウイルスに感染した小学生が、9名ほど出ました。外から、帰ったら手洗い、うがいを徹底したほうが良いですね。インフルエンザは、今のところ大丈夫のようですが、関西方面はどうなのでしょう?

 水曜日の夜は、オーラの泉があります。深夜にも関わらず、かなり人気のある番組になっているようです。前生や霊視に興味のある人が多い現われなんでしょうね。昔なら、低級霊域の話かと、小馬鹿にして見ていましたが、最近は、結構真剣に見ています。(笑)

 昔は宜保愛子の霊視が有名だったけど、宜保さんの顔が怖かった(笑)のと、恐怖体験などを取り入れていたので、なんとなくおどろおどろしい感じが漂っていました。その点、江原さんは、そういうおどろおどろしたものを感じさせないのが良いですね。どちらかというと、カウンセリングのイメージが強い。

 それに、前生からの引継ぎで、今生のこういう性格や行為が行われていると説明してくれるので、説明されたほうも納得してしまうところがあります。事前に全部身辺調査をして、個人の周辺を洗っているのだという、うがった見方も出来ないことはないですが、こういうショーは、素直に感心して見たほうが楽しいのかもしれません。

 最近は、カルマの法則を説いたり、魂の群の形成を説いたりと、かなりアーレフ的になってきているのが面白い。オウム・アーレフにも、この程度のことは出来る成就者がいただだろうに、なんとも能力の使い道を誤ったなという悔しさが残ります。

ロータスビレッジ

2006-12-18 12:39:47 | Weblog
オウムでは、昔ロータスビレッジ構想というのがあった。

真理の法則に基づいて、

生活できるような村を作ろうということだったと思うが、

道半ばで計画は頓挫してしまった。

構想自体は悪くなかったと思う。

今後高齢化が進んでいく教団にあっても、

こういう空間があれば老後も安心して修行が出来ただろう。

信徒もその構想に賛同したので、

みなさん期待をこめてお布施をしていた。

互いに慈愛に基づき共同で生活しながら、

死ぬまで修行が続けられる。

そんな夢のような生活が出来ることを夢見ていたが、

それは脆くも崩れてしまった。

こんどは自分でロータスビレッジを作り上げなくてはならず、

畑でも耕すかと考えている今日この頃。

しかし、殺生がなあ~・・。

老人病棟

2006-12-17 16:14:27 | Weblog
土、日は、父親の介護で昼夜病院に行くのですが、
老人の病棟は、行くといろいろ考えさせられます。
つい先日まで、父のはす向かいでご飯を食べて、
介護の人の胸を触っては、エロ爺と言われていた人が、
今朝の新聞の死亡欄に載っていたり、
死にそうに騒いでいる人が、かえって元気だったり、
たくさんのチューブにつながれて生きていたり、
いろいろな人がいます。

みなさん30年前は、現役バリバリで、
元気だったのだろうなと思います。

お爺さんお婆さんを観察していると、
やたら怒る人というのがいて、
介護の人に、自分が髭を剃って貰っているのに、
「ばかやろ~。」とか言っているお爺さんや、
さんざん看護師さんに命令したり、
文句をいったりするお婆さんもいます。

まあ、みなさんかなりぼけているので、
看護師や介護の人もいちいち怒ったりしませんが、
気分の悪い時は、やっぱり癪に障ったりすることも、
あるのではないかと思います。

中には、ネコのような声を出して泣くお婆さんとか、
みんな寝ているのに、大声で「コンドルは飛んでいく」を
歌っている、元音楽の先生とかもいます。

90歳を超えるおじいちゃんで、平蔵さんと言う人は、
介護の人達にマスコットのようにかわいがられています。
話によると、介護人を怒ったことがないそうです。
たまに怒るのですが、「平蔵さんが怒った。」
と話題になるほどです。

平蔵さんは、ちび丸子ちゃんのおじいちゃんの、
とも蔵さんに似ていると言うので、
介護のお姉ちゃん達は、時々、
「とも蔵ちゃん」と自分のひいお爺さんくらいの
平蔵さんを呼んでからかう時があります。
しかし、平蔵さんは、間違えて呼ばれても、
「あ~~!」と大きな声で返事をしてくれるので、
それがかわいいいと、お姉ちゃん達は喜んでいるようです。

人間穏やかな人の周りには、
人が集まってくるものだというのが、
平蔵さんをみていても良く分かる。

老いは恐怖でもあるが、
避けて通れず、いつかはやってくるもの、
周りに毒づいて生きるような老人にだけは、
なりたくないもんだとつくづく思う。