白龍の井戸端会議室

みんなでわいわい気楽に会話をしましょう。

噂話

2007-02-27 22:43:00 | Weblog
こちらのブログは、どうもなかなか更新が出来なくて、すぐ一週間が過ぎてしまいます。今のところ大きな話題は、M派のアーレフからの脱会ですねえ。これに関しては、第一ブログのほうに書き込むつもりです。

本日は、ご家族ついての噂を書いてみたいと思います。以前の新聞報道で、あのシヴァ神、ヴィシュヌ神と似ても似つかない絵に対して、教団側は月額40万円の借料を支払っていたということが明らかになりました。それだけでも、我々はあの絵に40万も払っていたのかとびっくりしたものですが、そんなものは、大したものではないのではないかというような噂を聞きました。

以前元サに聞いたところによると、ご家族のためなら、教団を離れた元の方でも、お布施を惜しまないで出す人がいるらしいのです。家族には、身の回りのお世話をするお付きの人がいます。その身の回りの世話をする人達とは別だと思うのですが、優秀なプログラマーが何人かついているというのです。以前に聞いたときは、3、4人くらいいたようなことを聞きました。今もいるのかどうかは、定かではありません。

プログラマーの稼ぎは、どのくらいになるのでしょうか?検索したら契約社員の日給月給制で28万~60万円出すところがありました。低く見積もって、一人頭、40万稼いで半分布施したとしても、3人で60万円、4人なら80万円が家族の元にお金が集まることになります。

お付きの人も実質はサマナですから、頭陀に徹し、部屋代と食費で10万くらいを自分で使い、残り30万円を布施にまわしたとすれば、それだけで4人で120万を超えます。それに絵の借料を加えれば楽勝で150万を超えることになります。お付きの人は、教団から完全に離れていますから、教団から出ている金とは全く区別され、誰に文句を言われるわけでもありません。まあ、調べられれば贈与税の対象にはなるかもしれませんが、直接手渡しをしていれば確認のしようがありません。

このようなことが本当だとしたら、子供達を私立に通わせたくなる気持ちも分からないではないですね。A正大師のマンションのお金もここら辺りから出たのでしょうか?そんなことを勘繰りたくなるような話なのです。しかし、事実確認は出来ていませんのであくまでも噂です。

ナーギタ師の成就記事発見

2007-02-19 13:05:14 | Weblog
昨日のあちらのブログで、ガティーカーラの話が出てきましたが、
ガティーカーラの名前がなかなか思い出せず(相当健忘症になっているw)、
昔のマハーヤーナや真理を引っ張り出して調べていたら、
すでにすっかり忘れていた、当時の教団の姿がそこにはありました。
91年、92年ごろの教団発行の書籍を見ると、みんな若~ィ!
内容も、真理に巡り合って良かった~!
尊師に巡り合えて良かった~!という喜びに満ち溢れていました。(笑)
ここに載せられた人の何人が現在教団に残っているのだろうか・・?
まさに無常だなあ~などと一抹の寂しさを感じながら眺めていると、
な、な、なんと「聖者ナーギタ到達光正師誕生」という特集記事を見つけました。
1992年2月号マンスリー真理23にカラー写真入で載っているではありませんか。
写真のナーギタ師は、静かに微笑んでおります。
wさんはこういうお顔をされていたんだ・・。なかなか男前です。
ナーギタ師も、アンダーグラウンド・エアータイト・サマディを、
五日間もされたのですね。師補もやらされていたとは知らなかった・・。
出てきた計測数値は、ちょっとひどいものだったようですが(笑)、
逆にその状態でも生存していたというのは、
さすが成就者だということになったようです。
この辺の話もお聞きしてみたいですねえ。
最近wさんはどこにも姿を見せないようですが、
元気にされているのでしょうか?
また仏教に関するご意見をいろいろお伺いしてみたいものです。

暖冬

2007-02-10 01:09:50 | Weblog
今年は暖冬で暖かくて過ごしやすいです。
東北でも太平洋側では、ほとんど雪が降りません。
2,3回ちらついた程度で、雪景色になるという日がまったくありません。
庭にはふきのとうが顔を出し始めました。
このまま春になってしまうのでしょうか?
寒いのが苦手な私は、早く春になってほしいですけど、
全然雪景色にならない冬も、ちょっと物足りないかなと感じています。

春になると昔はよく釣りに出かけました。
みなさんは、釣りなどはやらないのでしょうね。
私ももう15年以上釣りはしていません。
観念崩壊のために、あえてやってみようかと思うときもあるのですが、
先日火事で亡くなった彼が、大の釣り好きだったことを考えると、
ちょっと躊躇してしまいます。

そんなの単なる偶然だと思いたい部分もあるのですが、
かつての教えがどうしても頭をよぎります。
しかし、漁業を営んでいる人は、どうすれば良いのでしょう。
仏教では殺生したくなかったら職を変えよと言うことなんですかね?

猊下待望論

2007-02-06 23:01:53 | Weblog
2チャンネルで朝日英字新聞に上祐氏のインタビューという記事が載った。
あちらのブログに載せると、うるさいかもしれないので、こちらに載せることにする。
これがその記事内容である。(一部抜粋)

「479 :名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 21:12:12 ID:5L5TjxIT
He said many disciples cling to the hope that Matsumoto's children will take
the reins of Aleph once public anger toward the guru dies down.

rein たずな、支配権、指揮

彼は言う、多くの信者が、松本に対する民衆の怒りが収まったら、松本の子供らが
アレフの指揮をするという願いにしがみついている。


480 :名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 21:25:19 ID:5L5TjxIT
Until then, the man said the members are determined to maintain religious faith
and practice Matsumoto's teachings in reclusive communes.

recluseive 世捨て人のような commune コミューン、生活共同体

そのときまで、隠遁者の生活共同体(ようは道場があるかは別として、出家共同生活ですな)
で、信仰と松本の教えの実践を維持するとメンバーは決心していると、男は語った。」

A派の師は、猊下を擁立する日を本気で夢見ている。
彼らにとっては、猊下こそが最後の望みの綱なのだろう。
実際某師は、「猊下が大人になるまであと数年である。そのために猊下は今修行をされている。いずれ猊下が教団を率いるようになった時、上祐さんは、もう猊下の元に戻れなくなってしまうけど、どうするんだろう?」と上祐氏の今後のことまで心配してあげているらしい。

上祐氏に言わせれば、余計なお世話だろうし、猊下が教団の指揮を取ることなど、非現実的な妄想として一蹴されることだろう。

不思議なのは、A派の師がこのようなことを言うことによって、子供達がどれだけ不利益を被るかという点を考慮しない点である。確かに、幼い時より、周囲の耳目を集める存在であったことは間違いない。しかし、教祖の子供と言うだけで、迫害されている子供達に対して、世間では同情的に見る方も多いと思われる。そのような方達でも、その子供が、いずれかつての教団を率いることを画策しているということを知れば、心中穏やかではいられなくなる。それが分かった時点で、子供達に厳しい目が向けられることは必至である。そこまでA派の師は考えているのだろうか?

自分達の組織運営のために、子供を利用しているだけではないのか?もちろん、本人が自ら修行によって悟り、解脱を得たとなれば、別な形で人が集まるようになることはあるかもしれない。しかし、以前の教団をそのまま引き継ぐことは、絶対に世間が許さないだろう。A派の師は、現実的に何が彼らにとって有益なのかを考えて、今はそっとしておいてあげていただきたいと思う。