白龍の井戸端会議室

みんなでわいわい気楽に会話をしましょう。

猊下待望論

2007-02-06 23:01:53 | Weblog
2チャンネルで朝日英字新聞に上祐氏のインタビューという記事が載った。
あちらのブログに載せると、うるさいかもしれないので、こちらに載せることにする。
これがその記事内容である。(一部抜粋)

「479 :名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 21:12:12 ID:5L5TjxIT
He said many disciples cling to the hope that Matsumoto's children will take
the reins of Aleph once public anger toward the guru dies down.

rein たずな、支配権、指揮

彼は言う、多くの信者が、松本に対する民衆の怒りが収まったら、松本の子供らが
アレフの指揮をするという願いにしがみついている。


480 :名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 21:25:19 ID:5L5TjxIT
Until then, the man said the members are determined to maintain religious faith
and practice Matsumoto's teachings in reclusive communes.

recluseive 世捨て人のような commune コミューン、生活共同体

そのときまで、隠遁者の生活共同体(ようは道場があるかは別として、出家共同生活ですな)
で、信仰と松本の教えの実践を維持するとメンバーは決心していると、男は語った。」

A派の師は、猊下を擁立する日を本気で夢見ている。
彼らにとっては、猊下こそが最後の望みの綱なのだろう。
実際某師は、「猊下が大人になるまであと数年である。そのために猊下は今修行をされている。いずれ猊下が教団を率いるようになった時、上祐さんは、もう猊下の元に戻れなくなってしまうけど、どうするんだろう?」と上祐氏の今後のことまで心配してあげているらしい。

上祐氏に言わせれば、余計なお世話だろうし、猊下が教団の指揮を取ることなど、非現実的な妄想として一蹴されることだろう。

不思議なのは、A派の師がこのようなことを言うことによって、子供達がどれだけ不利益を被るかという点を考慮しない点である。確かに、幼い時より、周囲の耳目を集める存在であったことは間違いない。しかし、教祖の子供と言うだけで、迫害されている子供達に対して、世間では同情的に見る方も多いと思われる。そのような方達でも、その子供が、いずれかつての教団を率いることを画策しているということを知れば、心中穏やかではいられなくなる。それが分かった時点で、子供達に厳しい目が向けられることは必至である。そこまでA派の師は考えているのだろうか?

自分達の組織運営のために、子供を利用しているだけではないのか?もちろん、本人が自ら修行によって悟り、解脱を得たとなれば、別な形で人が集まるようになることはあるかもしれない。しかし、以前の教団をそのまま引き継ぐことは、絶対に世間が許さないだろう。A派の師は、現実的に何が彼らにとって有益なのかを考えて、今はそっとしておいてあげていただきたいと思う。