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日本人が見た海南島の光景をご紹介

学問の街・文昌と日本人

2012-10-15 | こんなこと も

文昌孔廟にはこんな石碑があります。

これは文昌で教鞭をとった

日本人教師・川口五郎氏

の頌徳碑。

幕末1865年

長野県松本の藩士の家に生まれ

長野師範学校を卒業、

長野、東京など各地で教鞭をとった後、

1906年、文部省の要請により

5人の教師と共に海南島に招聘。

文昌の

群益学堂(現;蓬莱小学校)理化学研究所

科学などを教えた方。

1907年、

志半ばにして病に倒れ

ご本人の遺言で

学校の裏手に弟子達の手によって埋葬され

永眠。

文化大革命時に

墓石、頌徳碑共に

行方が判らなくなっていましたが、

文昌の市民の方々のご助力により、

破壊されていた頌徳碑が発見され

(隠して保存してあった)

文昌孔廟

設置された

のだそうです。

参考 → ご親族の方のブログ

参考 → こちらもどうぞ

約1年の教鞭期間を熱心にご指導なさり、

弟子達からも慕われていたご様子。

立派な方というのは

いつの時代、

どんな場所にもいらっしゃるのですね。



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