文昌孔廟にはこんな石碑があります。
これは文昌で教鞭をとった
日本人教師・川口五郎氏
の頌徳碑。
幕末1865年
長野県松本の藩士の家に生まれ
長野師範学校を卒業、
長野、東京など各地で教鞭をとった後、
1906年、文部省の要請により
5人の教師と共に海南島に招聘。
文昌の
群益学堂(現;蓬莱小学校)理化学研究所
で
科学などを教えた方。
1907年、
志半ばにして病に倒れ
ご本人の遺言で
学校の裏手に弟子達の手によって埋葬され
永眠。
文化大革命時に
墓石、頌徳碑共に
行方が判らなくなっていましたが、
文昌の市民の方々のご助力により、
破壊されていた頌徳碑が発見され
(隠して保存してあった)
文昌孔廟
に
設置された
のだそうです。
参考 → ご親族の方のブログ
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約1年の教鞭期間を熱心にご指導なさり、
弟子達からも慕われていたご様子。
立派な方というのは
いつの時代、
どんな場所にもいらっしゃるのですね。