『藤岡弘、』の『、』は『自分はまだ未完成』という意味があるそうだ。
10代の頃は今より短気で何かとキレていたものである。
キレるったってクローズZERO的な感じじゃないけどね。
中学生とか高校生の男子を見ると訳も無くイラっとするのは、
その頃の自分が嫌いだからなのではないかと思う。
嫌いというか、恥ずかしい。
短気だけでなく、もろもろ恥ずかしい。
《男》ではなく《男の子》であったと思う。
まぁ、じゃあ今は《男》なのかと言われれば、そうでもないが・・・
とにかく今よりもっと未熟だった。
『キレる=未熟』と言ってもいいと思う。
先日、久々にイラついてしまって、壁を叩いたら(軽くね軽く)、
時計に当たって文字盤のガラスが欠けてしまった。
イラつくわ、テンション下がるわで最悪だ。
やはり感情的になるべきではないと反省した。
本当に怒らなければならない事なんて、世の中そんなに無いもんだと思う。
ツマラン事で感情的になるのは、やはり自分が未熟だからである。
できれば、いつもヘラヘラしていたいものだ。
まぁ人間中々そうはいかないもんだよねぇ~
しかし、己の未熟さを恥じたり、嫌に思ったりしながらも、一方で少しホッとしていたりもする。
いつも冷静なら、理屈抜きに人を感動させることもできないかもしれない。
いつも冷静なら、情熱的に恋をすることもないかもしれない。
どうやら恋に落ちる可能性は残っているとも思える。
このへん結構重要だ。
何より己を未熟と思わなければ、そこから先には進めない。
結局何の話だってな。
まぁ要約すると、「怒りたくないし、恋もしたい!」という事ですな。
『戦の勝ちは五分をもって上とし、七分をもって中とし、十分をもって下とす。』
武田信玄