「努力」ではなくて「苦労」、自己を相対化し自己を見つめる苦労>”個々の固有性には独自の「苦労」の時間が蓄積されることを認め合うことにこそ希望がある”>「わたし」のウェルビーイングから、「わたしたち」のウェルビーイングへ:ドミニク・… twitter.com/i/web/status/1…
— 葉月まゆみ (@H_taityou) 2019年3月14日 - 10:08
(雑感)米国型モデルはプロテスタント的な個人主義が尖りすぎた印象。ロシアやノルウェーのB型は周圏論的に説明できそうだけど過去からの変遷データが必要。>「わたし」のウェルビーイングから、「わたしたち」のウェルビーイングへ:ドミニク・… twitter.com/i/web/status/1…
— 葉月まゆみ (@H_taityou) 2019年3月14日 - 10:34
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