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しげの趣味と日常

写真とビデオなどをパソコンで編集して楽しんでいます。

旅行2日目 白川郷から

2019-11-21 09:45:17 | 旅行
白川郷の「せせらき駐車場」に車を置いて、街を散歩する。合掌造りの屋根から
湯気が出ていたり、合掌造り茅葺き作業をしているのが見られたりして良かった。





11時ごろ東海北陸道を30分ほど走り高山散策。陣屋付近の駐車場に置き朝市で
買い物。昼食「高山ラーメン」を済ませて、白骨温泉へ向かう。



途中、雪山が奇麗に見えたり、平湯大滝に寄り道したり、楽しいドライブを味わった。



安房トンネルを超え、長野県に入り今晩泊りの「白骨温泉」に行く。

翌日、新穂高ロープウエイ で鍋平高原駅まで、頂上のライブカメラの視界が
悪かったので上らないで、「せせらぎ街道」を通って帰ることにした。



高山から郡上八幡に通じる一般道の「せせらぎ街道」の紅葉を観ながらドライブ。

旅行一日目の郡上八幡から

2019-11-20 12:55:09 | 旅行
京都縦貫道から高速で郡上八幡まで3時間余り、昼前に到着し町並みを散策。有名な宗祇水など観光し
昼食後に郡上八幡城に行くと紅葉の真っ最中でとても綺麗。





14時頃高速で1時間余り要して五箇山に向かい、相倉集落を散策する。



30分ほど後戻りして白川郷に行き、17時ごろ「民宿十右エ門」に到着。女将さんかと思って声を
かけようとすると埼玉から来られた母娘の先客だった。
夕食も三味線を聞かせてくれるお婆ちゃんが話しかけて下さったり、先客の人と話をしたりだった。
合掌造りのお家に初めて止まったが部屋以外は風呂もトイレも新しく何の不自由もなく楽しめた。





翌朝、山は白くなっていて、女将さんが初冠雪だと教えて頂いた。



朝、民宿の近くに「三つ子の合掌造り」があるので写真を撮りに行った。とても良かった。



車で展望台に向かい、集落の全景を撮る。朝が早かったので所定の展望台ではなく横の場所だった。
左側に山があるので朝日は集落に影となる、残念!!
この後、駐車場に預けて街を散策し、高山へ向かうつもりである。






伊勢志摩3世代旅2

2019-10-14 09:11:56 | 旅行
2日目朝、伊勢市営駐車場に駐車し、猿田彦神社に参拝、結婚式が行われていた。

みちひらきの大神と言われて、ものごとの最初にご出現になり万事最も善いほう方へ
"おみちびき"になる大神だそうである。



日本人の心のふるさととも言われる伊勢神宮内宮を参拝し、おはらい町やおかげ横丁
散策、昼食、買い物を済ませて次へ・・・



松林に駐車して、二見浦の夫婦岩を散策し、近くの「賓日館」を見学した。





とても充実した2日間だった。

伊勢志摩3世代旅

2019-10-13 11:03:32 | 旅行
爺さん婆さんと娘と孫の4名で久しぶりに伊勢志摩を旅行することになった。
いつもは私(爺さん)が行程を考えるのが常であるが今回は孫がスマホのフル
活用で計画段階から動画などを混ぜて案内し、旅行当日も動画で記録をする
など私たちには初めての経験するパターンで始まった。

最初は天岩戸神社へ祠からきれいな水が流れてきて滝に向かって流れている
滝のしぶきにお日様があたって虹が出て奇麗だった。この滝は修行に使われ
ている感じがする。薪が積んであり着替え場所もある。
30分ほど見て志摩の方向に少し行くと道の駅があり昼食を済ませる。



志摩の大王崎灯台に向かって走行、灯台の向かいにある公園からの眺めが
素晴らしい。



行程は時間通りなので予定通り「英虞湾クルージング」を楽しむことにした
前に泊ったことのある「合歓の郷」も船から見える。多くは真珠の筏である
船頭さんが丁寧に説明してくれる。昔は真珠貝を手で洗っていたがいまは
舟で高圧洗浄で洗っているとか・・・。ほかにもいろいろと・・・あっそう



横山展望台は、以前に来たときは板の足場だけだったと思うが、今は下に
駐車場ができて道路も沢山できていた。
下の写真は広い場所を写すのに、3枚の写真を繋いで1枚の写真にした。
パノラマ写真よりきれいに撮れたのでこちらを使うことにした。



1日目はこれでホテルに向かう。明日は伊勢と二見浦を周って帰宅する。
この時点で行ったところをスマホで動画紹介があり、びっくりする。




54回目の結婚記念日

2019-09-28 10:12:33 | 旅行
結婚して54年も過ぎているって信じられない感じだけれど、考えれば
親の33回忌などがあり、親族に年上のひとがあまり居ないことに気が
付く年齢になっている。毎年この時は食事に行くか温泉に行っている

今回は近場で温泉に行くことにして、ネットで申し込みみなべに行く



朝から近くの小目津崎へ行ったのち、田辺市の世界遺産登録の闘鶏神社に
行くと子供達が先生の引率で写生をしていた。本殿では祈祷をされていた。
入口付近は村人が祭りの準備をしておられ、檜皮葺の神殿が古いものだと
説明をして頂いた。写真を撮るならあの場所がいいとか・・・








写真の看板の文字
源平の戦いは一の谷の合戦から海上戦に移り、
当時の最強を誇った熊野水軍の動向がその勝敗に
大きな影響を与えることになり、熊野水軍の
統率者である熊野別当湛増に対する源平双方の
働きかけは激しさをきわめた。
義経の命を受けた弁慶は急いで田辺に帰り、
父湛増の説得に成功、湛増は白い鶏七羽紅い鶏
七羽を闘わせて、神意を確かめ、湛増指揮の
もと弁慶を先頭に若王子の御正体を奉持、
金剛童子の旗をなびかせて総勢二千余人、二百
余の舟に乗って堂々と壇之浦に向かって出陣、
源氏の勝利に大きな役割を果たした。
時に、文治元年(1185年)三月のことであった。


干潮が11時ごろだったので、天神崎に行くと岩場が見えて釣り人が
多く釣りをしていた。





以前からよく来るところですが、今回はいなみ町から田辺市の間の見たことのない
ところを選んでみて周ったが、まだまだ見ていないところがあるのでまた来たいと
思いながら、帰途についた。