よもやまブログ

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我が永遠のヒーロー 三沢光晴

2009年06月16日 | Weblog
 みなさんもご存知だと思いますが、6月13日、偉大なるプロレスラー・三沢光晴選手が、試合中に対戦相手のバックドロップという技を受けた後、意識不明となり、数時間後亡くなりました。享年46歳。

 ・・・未だに信じられません。一番、プロレス事故で死ぬことはないだろうと思えるくらいに受け身が天下一品だった三沢選手の身に起こった衝撃の事実。信じろというほうが無理です。
 
 しかし、事実は事実として受け止めなければならない。私にとって、人生の教科書の1人であった三沢選手の死は、とても辛く、やりようのない寂しさが込み上げてきます。

 私がプロレスという競技を初めて知ったのは、忘れもしない1991年の三沢vsテリー・ゴディのシングルマッチをテレビ観戦した時でした(今もYou Tubeで観れます)。
 まるでホラー映画に登場しそうな恐ろしい風貌をした外国人レスラー相手に、三沢選手は最初はボコボコにされ続けながらも、決して臆することなく、タイガードライバーやフェースロック、ジャーマンスープレックスなどで活路を見出し、最後には得意のエルボーを渾身の力でゴディの顔面に炸裂させて勝利を収めた試合。実況の福澤朗さんも涙で視界がぼやけたほどの感動的な試合でした。

 体格的に劣る日本人が、強そうな外国人相手に勇敢に立ち向かっていく。しかも、戦い方がとてもカッコ良く、何ともいえない上品さが滲み出ている。そんな三沢選手に、当時学生だった自分はすぐにファンになり、将来の職業はプロレスラーになりたいと真剣に考えた時期もあったくらいです。今でも、三沢選手の額の汗をぬぐう仕草などは、よく真似をしてしまいます。

 三沢選手は以前、全日本プロレスに所属していましたが、ジャイアント馬場選手がお亡くなりになった後に全日本を離れ、NOAH(ノア)という新団体を設立し、その後はプロレスリング ノアの社長選手を兼務していました。最近では、4月にテレビの地上波放送が終了し、会社経営は相当に厳しかったことが想像されます。
 これまで長年受けてきた一発一発の技のダメージが、少しずつ体内に蓄積されていき、しかも段々と年をとるにつれ、その量も倍増していたのではないでしょうか。そんな身体的にボロボロな状態に加えて、前述した社長としての心的ストレスも重なり、心身ともに限界に達していたのではないかと思えてなりません。それが今回の事故の原因のひとつだと私は思います。

 ・・・無念です。三沢さん、これまで本当に、本当にお疲れさまでした。あなたは永遠のヒーローです。あなたの遺してくれた、莫大な形のない財産は、会社関係者やファンの皆さんにしっかと受け継がれていくことでしょう。そして、私もあなたのように、強く、思いやりある人間になっていきたいと思います。人生を教えていただき、ありがとうございました。これからは、どうか存分に休んでください。

 三沢選手のご冥福を心よりお祈り申し上げます。