よもやまブログ

このブログでは、普段の何気ない出来事で、思うところをバンバン語っております。

インコとタケモトピアノ

2008年11月10日 | Weblog
 もうすっかり寒くなり、気分爽快に原付を走らせるのが厳しい季節になってきました。みなさん、季節の変り目ですので、体調にはくれぐれもお気をつけください。



 今日は、我が家の不思議を紹介したいと思います。私は自宅にオカメインコ(名前はコーちゃん)を飼っているのですが、現在14歳というご高齢で(人間でいうと98歳になるという説も)、若かりし頃と比べたら外見は確かにツヤが薄れてきている部分がありますが、まだまだ元気そのもの、精力絶倫です(笑)。手乗りで、的確なTPOお喋りをたくさんして、ふわふわな身体を持つコーちゃんは、いつも私を癒してくれています。



 そんなコーちゃんについて、昔からいまだに解けない不思議がひとつあります。それは、テレビで「タケモトピアノ」のCMが流れると、それまで静かだったコーちゃんが急に「ピヤッ!!!ピヤッ!!!」と叫び出すのです。それも100発100中、例外なく鳴き出します。



 財津さんの「ピアノ売ってちょぉ~だい♪」のセリフにまず敏感に反応し、「ピヤッ!」と一声。「みんなまぁ~るくタ・ケ・モ・ト・ピアノ~♪」のサビの間、鳴きっぱなし。特に最後のネコの「にゃぁ~お♪」の部分では、一段とテンションが上がっているようなのです。



 たとえ睡眠中であっても目を覚まし、このCMが流れる時だけ、コーちゃんは鳴き出します。ちなみに、他のテレビ番組やCMでは、いつも全く無反応です。これ、一体何なんでしょうね?



 昔、探偵ナイトスクープで「タケモトピアノのCMが流れると、泣いていた赤ちゃん達が泣き止む」という放送がありましたが、このCMは、鳥類にも何らかの影響を与えているようです。



 原因は、財津さんのヴォイスなのか、それともネコの鳴き声なのか、はたまたピアノの旋律のテンポの良さなのか・・・いまだに解けない謎であります。



             

                    ↑コーちゃん



          

         キスを迫り、拒否られるの図        癒しの存在です



 

求む!職人的芸人

2008年09月04日 | Weblog
 最近は、本当にたくさんのお笑い芸人の皆さんが、わんさかとテレビに登場しています。
それぞれが皆、外見が個性的であったり、立ち居振る舞いが過激であったりと、とにかく視聴者に自分を強く印象付け、売れようと、必死な部分を感じます。
芸能界でやっていくために、それは当然のことであり、そうあるべきでしょう。

 けれども、「ただそれだけ」という感じもします。

 何かこう、芸人であることに対する誇りというか、芸事の道を追究する意欲というか、そういう「職人的」な魅力を感じる芸人が少なくなっているような気がするのです。
 「芸人は、人から笑われるのではない。人を笑わせるのである。」とよく耳にしますが、まさにその通りで、人を笑わせるというのはものすごく高度なスキルが要求されるものであり、そのスキルは一生かけて磨き上げていかないとおぼつかないものでしょう。それは、今でも現役で懸命に精進している、志村けんさんや大木こだまひびきさん、桂文珍さんなど、大御所の方々がしっかりと証明してくれています。

 人気が出てくると、さらなるテレビ露出を優先するあまり、クイズ番組やMCの世界に転身していく先例が非常に多いですよね。それが一概に悪いことばかりとは思いませんが、もう一度原点に帰って、自分を1番成長させてくれているものが何であるかを見つめ直していかないと、せっかくの才能ある人材が、まるで使い捨てのようにテレビ画面から消えていってしまうケースが、今後も後を絶たないと思うのです。

 私は芸人は職人だと思っています。そんな、職人気質の芸人さんがこれから数多く出現することを楽しみにしています。

北京オリンピック開催!

2008年08月09日 | Weblog
 いよいよオリンピックが始まりましたね。昨日の開会式、皆さんご覧になりましたか?選手入場前のセレモニーでは、中国の歴史を紐解いていくパフォーマンスが次々と繰り広げられ、とても幻想的な世界でした。
 驚いたのは、出演者の人数の多いこと!1つのパフォーマンスで1,000人近くもの人たちが登場し、一糸乱れず演じる姿には感動しました。この日のために、相当な鍛錬を積んできたんでしょうね。
 やはり、中国側の思惑としては、オリンピックというまたとない機会に、全世界の国々に対して自国の国力を誇示し、経済的に急成長を遂げてきた姿をアピールするのに、今、必死なのだと思います。こんなチャンス、滅多にないですから。

 今回は、204ヶ国が参加したわけですが、各国の選手団の入場行進はなかなか面白かったです。国ごとに、個性的な民族衣装があることを再認識させられました。民族衣装で堂々と行進している選手のみなさんからは、自国に対する誇りと愛国心を強く感じましたね。

 それに、各国紹介の際のアナウンスが良かった。例えば、アメリカの行進の時には「United States of America」とコールされた後、「美国(メイグオ)」と、中国語の読み方でもコールされていたので、大学時代に中国語を学んでいた私にとって、久しぶりに勉強をやり直しているような気分になりました。

 今回のオリンピック、もちろん日本選手団にも頑張って欲しいのですが、私は日頃テニスを嗜んでいるものですから、尊敬するスイスのテニスプレーヤー・フェデラー選手の活躍にも期待しています。フェデラー選手は昨日のスイス選手団の行進の際に旗手を務めていましたが、フェデラー選手の表情がアップされた時の、会場の割れんばかりの歓声をみなさんお聞きになりましたか?一瞬姿が映っただけであれだけの歓声を浴びる選手を他に探すのは難しいでしょう。フェデラー選手はそれほど、世界の人々から愛されているんでしょうね。本当に尊敬に値します。

 さて、これからのオリンピック、みなさんはどんな気持ちで観戦に臨むのでしょうか。


 

声の高低

2008年07月22日 | Weblog
私は風呂場で鼻歌を歌うのが日課です(笑)。コブクロCHAGE&ASKAなどをよく歌ってます。

歌うのは本当に楽しいのですが、ひとつ問題が。私は音域がかなり狭いほうで、高いキーの曲は原曲では全く歌えないのです。歌うとすれば、ほとんどウラ声でしか歌えません(笑)。

なので、男声の曲なら1オクターブ下げ、また、女声の曲なら2オクターブ下げて歌っています。特に男声の曲が1オクターブ下がってしまうと、ものすごく低い曲になってしまい、私が歌うと、どこかおぞましい雰囲気を醸し出しているかもしれません(笑)。女声の曲に至っては、もはや新曲に感じられるくらいの変わり様だと思います(笑)。

できれば、男声の曲くらいは原キーで歌えるようになりたいと、よく思います。何か良い方法はないでしょうかね。高い声を出そうとすると、枯れたり、しゃがれてしまうのです。

私とカラオケに行く仲間は、みんな「低い!」とビックリしています。まぁ、それでも、歌を歌うというのは、本当に楽しいものですね。ストレスが溜まった時には、歌って発散させてしまうのも良い方法だと思います。

みなさんも、歌を歌って元気になりましょう♪


武道家・井上康生

2008年05月05日 | Weblog
 お久しぶりです。現在、日々のルーティン・ワークに追われ、なかなかブログが更新できない状態でして、訪問してくださる方々には申し訳なく思っております。内容の数は多からずとも、その質は高いブログを心がけていきますので、今後ともヨロシクお願いします。

 さて、最近、柔道家の井上康生選手が現役を引退したことはみなさんご存知のとおりです。オリンピックなどで、あの豪快かつ美しい内股で一本勝ちを量産していく姿を見て、たくさんの方々が井上選手に魅了されてきたことでしょう。私もその1人でした。
 
 私は、他の柔道選手で尊敬している人物は誰もいないのですが、井上選手だけには独特の魅力を感じるところです。その理由はハッキリとしていて、「武道家らしさが外に滲み出ている」点にあります。

 現在、一般に普及している空手、剣道、そして柔道などは、もともとは生きるか死ぬかという厳しい世界の中で存在価値が認められた「武道」でありました。ところが、現在は試合で優勝を目指すことが主流に置かれており、ルールの枠組みの中での優劣を競い合っている状況です。それはもはや、「武道」というよりは「スポーツ」の仲間入りをしているということを示しているといえるでしょう。

 もちろんそれを一概に否定することは、時代の要請からしてナンセンスであると私も思います。ただ、スポーツである空手や柔道の試合で、生死を賭けた緊張感や、武道ならではの相手を敬う礼の姿、さらにはそれらの哲学から生まれる厳粛な武道精神などを選手から感じられる機会は滅多にないのではないでしょうか。時代の流れで文化の取捨選択がなされていくのは当然ですが、継承していくべき武道の素晴らしい面すらもが取り残されていく現状には、私は問題があると思います。

 そんな中、井上選手は、その堂々とした佇まい、1つの技を磨き抜いて周りの誰からも得意技と評価されるものを持っている点、決して高圧的にならず、相手に対する敬意が常に表れている点など、どれをとっても他の選手とは一線を画していると思われるような「武道家らしい」姿を私達に見せてきてくれたと思うのです。まさに稀有な存在といえるでしょう。柔道という武道を通して、人間的に鍛えられていく姿を見せてくれたともいえると思います。そして、人間的に尊敬できるから、苦境に立たされようとも、たくさんの人から支援され、愛されているのだと思います。それは本当に素晴らしいことだと思います。
 
 もっといろいろ語りたいのですが、長くなってしまうので、最後に、井上選手が引退時に残したコメントの1つで、強烈に印象に残ったものを紹介します。
 
 「自分の柔道が完成されたことを実感できたので、引退することに悔いはありません。

 確か、このような内容でした。さすがですね。試合云々よりも、あくまで自分の求める柔道の完成を目指していたことそれ自体が、彼の武道家としての姿そのものだと思います。本当に尊敬できる人物です。

 

恋愛論

2008年03月19日 | Weblog
 昨日、「リンカーン」のスペシャル番組があり、お笑い芸人と熟女タレントが、フィーリングカップル形式で人生のパートナー探しをしていました。私自身まだ独身で、もう決してピチピチの若者とは言えない年齢に至っており、こういう番組を観ると、自分の恋愛観、結婚観などを改めて見つめざるを得ない心境になります。ということで、今回は、私なりの恋愛観を僭越ながら語ってみたいと思います。

 私は比較的「おませ」だったのか、初恋は幼稚園年少の時です。それ以来、進級するたびに、ほぼ必ずクラスメートに好きな女の子がいました。いずれも、子供でありながら気持ちは真剣で、今現在でも、幼稚園~小学校時代に好きだった子の名前と顔がほぼ一致しているくらいです。もしも今、同窓会が行われたとしたら、すぐに本人を見つける自信があります。
 
 そんな私ですが、中学3年生の時に、心の底から恋をしたことがありました。出会って最初の頃は何とも思わなかったのですが、余りにも容姿端麗だったので、いつの間にか、その子にすっかり心を奪われていました。
 1年後に大切な高校受験が控えているというのに、私は毎日毎日、起床した瞬間から、登校中も、授業中も、クラブ中も、食事中も、入浴中も、トイレ中も、自宅で勉強中も、そして布団にもぐり込んだ後も、ずっと、ずっと、その子のことを考えていました。そして、2人で話をしているシチュエーションなど、色々なことを想像しては、心臓が高鳴り続けていました。
 
 本人と面と向かって話ができた時などは、表面上は平静を装いながらも、内心では、この上ない幸福感を味わったものです。どんな些細な話でも、たった数秒の会話でも、相手が自分の眼を見てくれながら言葉を発してくれたということだけで、無上の喜びだったのです。

 普通、受験勉強中に恋愛はご法度といわれますが、私の場合にはそのセオリーは当てはまりませんでした。私は逆に、「あの子に相応しい男になるために、精一杯勉強して、目標の高校に入ってやる!」と決意し、勉強への意欲が一気に昂ぶったのです。
 担任の先生からは絶対に受からないと太鼓判を押され、模擬試験を何回受けても合格判定は常に最低ランクだった目標高校ですが、あきらめず、部屋のテレビのコードをハサミで切って観れないようにし、1日中勉強漬けの日々を6ヶ月間続けたことで、全く手の届かなかった高校に合格できたのです。この結果は、恋心から生じた勉強意欲と向上心がなかったならばあり得なかったものだと今でも確信しています。そして、その後の高校生活は非常に充実したものになりました。

 結局、その恋は実ることはなかったのですが、私はその子のおかげで、1人の子を心の底から好きになったことで、自分自身が大きく成長できたのであり、恋愛の何たるかを学んだ気がしました。端的に言うと、
 
  「好きな人のためなら、自分は何だってやれるし、どうなってもいい。そして、どんなに苦しいことだって、その子のために乗り越えていける。本当にありがとう。
 
 ・・・そんな気持ちを心底感じた時に、初めて本当の恋をしたといえるのだと思います。そして、そういう気持ちがあるからこそ、お互いが共に成長し、支え合うことができるのではないでしょうか。愛というのは、人間の行動の何より大きな原動力となり得、何より尊く、そして何よりかけがえのないものです。

 私の友人の中には、周りの目など一切気にせず、ただひたすらお互いの愛情あるがゆえの結果として、結婚に落ち着いた男がいます。2人にはまだ子供はいませんが、夫婦の絆が強く、本当に幸せそうで、私はそんな友人を心から羨ましいと思っています。できれば、私もそんな結婚ができたらなと思います。まぁ、こればかりは縁ですがね。

 以上、今回は、お恥ずかしいながらも、我が身の恋愛体験の1つから得た恋愛観を語らせていただきました。できれば、みなさんの恋愛体験も聞かせて欲しいものです。

今、テニス界が熱い!

2008年03月01日 | Weblog
 今日から3月ですね。真冬に原付に乗る際感じる、あの凍てつく風も、最近はすっかりマシになってきたような気がします。嬉しい限りです。

 さて、私は趣味でテニスをやっているのですが、最近、とても刺激になったことがありました。それは、松岡修造以来16年ぶりに、日本人プレーヤーである錦織圭(にしこりけい)選手が、ATPツアー優勝を果たしたということです。みなさんも報道などでよくご存知のことと思います。弱冠18歳の彼の成し遂げたことは、日本プロテニス界の振興に大きな影響を与えているのは間違いありません。

 プロテニス界では、登録されている選手をランキング分けすることで、各選手のプレーレベルを判別しています。世界のトッププレーヤー達はみんな外国人ばかりで、現在、男子の日本人選手で100位以内にランクインしている選手は1人もいません。
 世界のベスト100に1人も男子日本人選手が存在しないほどの壁の高いプロテニス界において、錦織選手は、今回の優勝前は244位だったのが、2月25日付けの最新ランキングでは、何と123位にまで上昇しているのです。
 あの松岡修造選手の現役時代の最高ランキングが46位でしたが、錦織選手がそれを超える日がやってくるかもしれませんね。当人も、今年中に50位以内に入りたいというようなことを語っていたようです。

 同じ日本人として、彼の活躍は本当に嬉しく、これで日本においても、さらにテニスの人気が高まっていけばいいなと感じます。

 錦織選手以外にも、たとえばシャラポワ選手が女帝エナンから圧勝したりして、現在14連勝中(おそらく)と大活躍ですし、男子では、オーストラリア・オープンでジョコビッチ選手が世界ナンバーワンのフェデラー選手をも下して優勝を遂げ、世代交代を感じさせたりと、今のテニス界は本当に熱いと思います。

 自分よりも年の若い彼らが自分の世界で一生懸命戦っている姿を見ていると、自分も、我が道では誰にも負けたくないという気持ちが昂ぶってきます。彼らの姿に刺激を受けながら、私も、最良の法律家に向けて1歩ずつ前進していきたいと思う、今日この頃です。

ニュータイプ貯金箱

2008年02月17日 | Weblog
 こんにちは。もうすぐ厳寒の季節が過ぎ去っていくということで、寒さ嫌いの私にとっては嬉しい限りです。3月が待ち遠しい。

 先日、高校の後輩から、変わった貯金箱を頂きました。タカラトミーの「人生銀行」という貯金箱です。

             

 この貯金箱、500円玉硬貨のみが投入可能で、貯金をするたびに、画面の中の住人の人生が進展していきます。最初に、貯める金額と達成時間の目標を設定し、その目標と実際の貯金とのバランス加減によって、住人の人生が多方面に分岐していきます。なので、しっかり貯金していかないと、住人の人生は惨めなものとなっていくはずです。こんな遊び心が、積極的に500円玉を投入していくきっかけになるのでしょう。
 最初はボロ屋の住人だったのが、目標達成時には超セレブ人になっているかもしれませんね(笑)。タカラさんも面白いことを考えます。

 この貯金箱、いろいろな使い方があると思われますが、私の場合は、普通に高額の目標を設定するのではなく、目標金額は1万円に設定して、その代わり、1回〃の500円の投入価値を高めてみようと思います。今考えているのは、何か人のために「とても」良いことをしたなと自分で感じた時に、コインを投入していく。そして、20回良いことを達成した時に、自分へのご褒美として、1万円をバックする、そんな計画もいいのではないでしょうか。
 よほど良いことをしたと感じなければ、投入しない。そういう意味では、なかなか目標は達成できないでしょうね。とりあえず、今年いっぱいを目標にしてみようと思います。

            
        分りづらいですが、500円を投入した時点では、まだボロ屋の住人です。


ピアノの達人

2008年02月07日 | Weblog
 以前にも書きましたが、私は趣味でピアノを弾いています。キャリアは約2年ほどになりますが、やはり独学ゆえの限界か、基本の域を抜け出ることはできていません。バイエル程度の実力です。それでも楽器に触れることはとても楽しく、どんなに忙しい日でも、毎日朝15分程度は必ず練習しています。今はまだまだ未熟ですが、将来は、人から上手いと思われるようなレベルになって、目標であるドラクエの音楽を弾きこなせるようになりたいと思っています。

 あの音楽の巨匠、すぎやまこういちさんがプロデュースするドラクエミュージックは、まさに私の青春であり、どれだけ、その強く、優しさに溢れた秀逸の曲の数々に励まされてきたか分かりません。そんな思い出深い音楽を、自分の手で弾きこなせることができたら、これほど幸せなことはないでしょう。
 
 そんな私が発見した、ドラクエ音楽のピアノの達人を紹介したいと思います。発見場所は、ユーチューブ。「ドラクエ3ピアノ」で検索すると、その達人に出会うことができます(だぶだぶの白い袖の人。戦闘の曲から始まるものです)。とは言っても、腕とピアノだけの映像ですが(笑)。
 ユーチューブでは他にもたくさんの人がピアノの腕前を披露していますが、ドラクエ音楽に限って言えば、この人の右に出る者はいないのではないかと思われるほど、技術と表現がズバ抜けています。利き手の判別が困難なほど、左右の手の動きのバランスが良く、アレフガルドの曲などは、まるでハーブを奏でているかのような美しい音色が、聴く者を優しく包んでくれます。エンディングの曲では、多くの視聴者が涙を流しているようです。まぁ、私が足らぬ言葉で説明するより、実際に耳から聴いて、身体で感じるのがベストだと思います。よろしければ是非一度、検索されてみてはいかがでしょうか。特にドラクエを知る方にとっては、懐かしさと感動で心が癒されること間違いなしですよ。

 

相続のかんたん基本知識 その16(葬儀費用は相続債務だろうか?)

2008年01月31日 | Weblog
 こんにちは。私はM-1王者サンドウィッチマンをユーチューブで検索して、その完成されたネタの虜になっている今日この頃です。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

 さて、今日は相続のお話第16弾、テーマは「葬儀費用は相続債務だろうか?」です。葬儀にかかる費用が相続債務に含まれるとなると、相続人の1人(たとえば、喪主)が葬儀費用を全額支払ったとしても、後になって、他の相続人たちにその金額の一部を請求することができることになります。さてさて、結論はいかに?

 答えは、「ハッキリとした答えはない。」ということです。ガクッときそうなものですが、法律上の明確な規定はなく、さらに裁判例も分かれているのが実情なので、仕方がないところです。

 では、実際には葬儀費用はどのように扱われているのかというと、葬儀費用を相続債務に含めて、遺産分割の際に、まず相続財産の中から葬儀費用分を取り出しておき、残りの財産で遺産分割を行うケースが多いようです。こうしておけば、1人の相続人のみが葬儀費用を負担するという不公平は生じないことになります。
 ただし、この方法は法律で認められたルールではないため、相続人の1人に「葬儀費用は喪主が全て負担すべきじゃ!」と反対されてしまい、話し合いがまとまらない場合には、葬儀を自己の責任と計算において手配などして挙行した者、すなわち喪主が全額負担をせざるを得ない場合も考えられると思います。
 
 私は、葬儀は被相続人に所縁のある者たちの全員の意思によって執り行われるものであり、喪主だけの意思によるものではないのですから、喪主が葬儀費用を全負担するのは不公平であり、まずは相続人全員による話し合いで、葬儀費用を相続債務に含める合意をとりまとめる努力をするべきであると考えています。
 そして、合意に至らない場合は、家庭裁判所による調停に臨み、調停委員の面前でもう一度相続債務に含める話し合いを行い、それでもまとまらない場合にのみ、裁判に委ねるか、あるいは喪主による負担を考慮するべきだと思います。あくまで私見ですが。

 今回は明確な答えが出ないお話だったため、スッキリしないかもしれませんが、知っておいて損はしないと思います。このように、現実の問題では、答えがハッキリしないケースも多々存在するわけです。このあたりが、実務においても難しいところです。

 以上です。次回のテーマは、「相続放棄はいつまでできるのか?」です。お楽しみに!