
今回はフラフトハイスについて。

アムスがある場所は、もともとは小さな漁村でした。13世紀に、エイ湾満潮時にアムステル川に海水が逆流するのを防ぐ目的でダムが造られ、そこから町ができ、後のアムステルダムの都市核となっていきます。
当時の住居はほとんどが木造茅葺きだったそうです。しかし、1451年に大火災があって多くの木造茅葺き住居が焼失してしまいました。
そんなこともあって16世紀には市の条例で木造が制限され、不燃化が進められました。
その後、ネーデルランド連邦共和国が独立して16世紀後期~17世紀にかけてアムス市域が拡大、シンゲル運河の外側にヘーレン、ケイザー、プリンセンの3つの運河が造られ、そのまわりに新しい居住区ができました。アムスにはこの頃の住居が今もたくさん残っています。
そういう、中心部の運河が張り巡らされているあたりの住居はほとんどがフラフトハイスgracht huis(gracht=canal huis=house)と呼ばれるタイプのものです。ただ、何をもってフラフトハイスと呼ぶかちゃんとした定義は知りません。てか、あるのかどうかわかりません。とりあえず写真のようなやつ。
特徴
・ウナギの寝床
まずわかりやすい特徴として、間口が狭く奥に細長い、いわゆるウナギの寝床な感じになってます。これは、家の税金が間口の広さによって決まっていたことがひとつの大きな要因です。日本の町家と似てますね。
さらに、先述の17世紀の市街拡張の際に、間口7.8m×奥行54mを基本型とする区画整理が行われました。
これらは、運河沿いは船が横付けできる有用な場所なので、なるべく多くの敷地が運河に面するようにという意図からでした。
・傾いたファサード

フラフトハイスのいちばんユニークな特徴は、たぶん傾いたファサードでしょう。すっげー傾いてるんですよ、ほんとに。アムス歩いてると目がおかしくなったような感覚になりました。真っ直ぐな建物がほとんどないんです。
なんていうか、飛び出す絵本の中にいる感じ。




多種多様の飾り破風がついてて(これもフラフトハイスの重要な特徴みたいなんですが詳しく知らないので流します)、そこにでっぱりがついてますよね。これ、滑車の役目を果たすんです。というのも、階段が狭くて急なために、大きい荷物は釣り上げて窓から入れるらしいんです。そして建物が傾いているのは荷物を引き上げる際に壁に擦らないように。
もっとも、まっすぐじゃない原因はそれだけじゃないんですが、それは後述します。
・中庭
多くのフラフトハイスには中庭があります。
フラフトハイスの起源は単純な平屋一室構成のザールハイス[zaal huis(zaal=room 訳するならばたぶんワンルーム住居みたいな感じ)]で、どんどん増築していきながら今のような構成に行き着いたみたいです。(詳しい構成とその変遷については長くなりすぎるので省略。まだちゃんと把握してもいないし。)奥行き方向に増築する際、採光のために中庭が設けられ、その後のフラフトハイスは中庭がつくのがふつうになっていきました。
その中庭は3面がその家に囲まれる配置なんですが、同じような構成の家が連続することで隣の家の壁がもう一面も塞ぎ、完全な一つの家の単位がつくられます。これも京町家の仕組みとよく似てます。

ただ、中庭の役目というか、中庭に求めるものはだいぶ違うような印象を受けました。
フラフトハイスは17世紀以降どんどん高層化されていって、今では4~5階建てくらいが普通です。そのため中庭は開放感とかはなく、あまり気持ちのいい場所ではありません。
採光が主な目的で、スペース自体は物置とかになってます。

町家のように中庭で風景をつくったり屋外空間を楽しんだりっていう感じではなさそうです。
・窓
授業でアムスについて調べたときに、同じグループの別の人のパートで窓に関する話がありました。オランダは中が丸見えな大きな窓をもつ家が多いんですが、それはキリスト教カルバン派や人文主義の思想が影響しているんじゃないかと言われているそうです。この辺も非常に深い話になるしぼくがちゃんと理解しているわけでもないので掘り下げませんが、ごく単純に言っちゃうとカルバン派の思想からは自分の生活はやましい所がなく清廉であることを見せるため、人文主義の思想からは寛容の精神、つまり互いの生活を認め合うという考えが大きな窓をつくることの根底にある、という説があるみたいなんです。
実際にアムスで見てみると、たしかにでかい。冒頭の写真とかでもわかるかと思いますが、基本的に全部でかい。中丸見え。

また、人目につきやすい窓のそばは意図的に飾り付けてあることも多かったです。

地上階(といっても半地下があるため半階上)は十分な採光を得るためにもともと階高が高く(3.5~4mくらい)つくられていて、前面は2層吹き抜けになっていることも多いので、そこの窓は特に大きい。

そばを歩いてる人と比べてみるとこの大きさがわかると思います。
不同沈下との戦い
さて、さっき少し触れましたが、意図的につくったファサードの傾斜とはまた別に、アムスの建物がまっすぐじゃない重大な理由があります。不同沈下です。アムスはもともとは川底だった軟弱な地盤の上にあるため、不同沈下が生じやすいんです。

わかるでしょうか?建物が歪みまくってること。(右から2番目の建物)
実際に見ると写真よりもっとわかりやすいです。がたがたです。
この不同沈下には昔から非常に苦しめられていたようです。そして、基礎のつくり方に様々な工夫がされてきました。早い段階から杭を深く打ち込んでその上に建てる方法が用いられ、アムスは“杭の上のまち”などと呼ばれています。
機械のなかった頃は、大きな滑車を組んでおもりを吊るし、大勢でそれを引き上げて落とし、杭を打ち込んでいたらしい…重労働…

しかし、昔はどこまで深く杭を打てば安全かわからず、また、杭も木だったため長さに限界もあったんだと思います。当然杭自体が割れたりすることもありました。やっぱり不同沈下します。そこで仕方なくつっかえ棒を立てて対応したりしてました。まじかよって感じですがたぶんまじです。

大変だったんですねえ。
技術が進歩してくると、最下フロアの、オリジナルの基礎のちょっと内側らへんに穴を開けて、そこに機械を固定し、丈夫で継ぎ足し可能な新たな杭を打ち込む補強技術なんかが登場しました。

アムスの建物の歴史は、不同沈下との戦いの歴史でもあるようです。
そんなフラフトハイスは、アムスではほんとにいたるところで見られますってかほとんどの建物がこの手のやつです。商業地区でも、店はたいがい古いフラフトハイスを改築したものです。

アムスではほんとに当たり前のもののようで、フラフトハイスのことを知りたくて本を探したんですがなかなか見つかりませんでした。建築図書の店にも置いてない。本にするような特別なものじゃないってことなのか?(やっと一冊だけ見つけたのがけっこういい本で、さっきの不同沈下の対応とかが載ってたんだけどオランダ語なので文章読めません…。翻訳してくれる人大募集。)
宿もフラフトハイスの宿に泊まろうと思って、現地の宿探し屋みたいなとこ行ったんですが、「古い家改装したやつに泊まりたい!」って言ったら昔の宮殿みたいなやつ提示され、「いやいや、こういうやつ」とフラフトハイスの写真を指さして言うと、えーなんで?安いのがいいならこことかどう?ってフラフトハイスじゃない新しめのホテル勧められたりしました。結局てきとーに歩きまわって探したらいくらでも見つかったんだけどね。
アムスの人には、フラフトハイスが他の国にはない変わった建物だという認識はないのかなぁ…。よくある、そこにずっと住んでて慣れてる人はその特異性がわからないってパターンなのか…?さすがにこんだけ特徴あるものだと意識しそうなもんですけどね。でも、次の記事にする予定のボートハウスの方は本もいっぱいあったし、アムスの人でも興味持つ人多いらしいです。
すげー長くなりましたが、そしてその割に大して中身のあるもんにはなってないかもしれませんが、フラフトハイスについて知ったことをまとめました。
やっぱこんな風に書いてまとめるのって大事ですよね。書く(打つ?)ことで頭の中にある知ったこと、感じたことを整理できた気がします。だいぶ時間食ったけど。
ちなみにフラフトハイスの裏側(運河じゃない側)


表と同じようなファサードでした。滑車の出っ張りもあるし。
ただ先述した地上階の階高がこっちは高くないのがわかるかと思います。中庭を挟んで前棟と後棟は半地階以外はフロアレベルが一致してないんです。なんでだろ。
庭は思ったより使われてなさそうでした。木がうっそうとしています。
では。