goo blog サービス終了のお知らせ 

(´゜⊆゜`)

 ∧
おなかいたい

イタリア・マテーラの洞窟住居“サッシ”

2012-04-11 11:16:59 | 旅行





マテーラはイタリア南部、バーリから電車で1時間半ほどのところにあります。
サッシ住居地区は凝灰岩質の渓谷にできています。



このあたりの居住の歴史は古く、旧石器時代にはすでに人が住んでいたようです。凝灰岩の地面にできた天然の洞窟がたくさんあり、川も流れ、周りには森や平原も点在していて、住むのに適した環境が整っていたからだと考えられています。
天然の洞窟を必要に応じて成形しながら、集落ができていきました。

最初のパノラマ写真にも見えるように、サッシ住居地区の川を挟んで反対側には洞窟が今も残っています。






おーざっぱな歴史

ローマ帝国の時代、マテーラは帝国の貴族たちに管理されていました。地元の人々は農業と牧畜の貧しい生活を強いられることとなり、街は発展しませんでした。
ローマ帝国が崩壊すると今度はさまざまな民族によって次々支配されます。この他民族の侵入との戦いがまた都市としての発展を妨げる要因となります。
そうして長い間洞窟での原始的な生活が続きました。
1042年、ノルマン征服後にようやく、要塞型の都市形成が進みますが、その後もまたいろんな民族からの支配が繰り返され、厳しい貧困が続いたそうです。

近代になってマテーラも都市化が進んでいきますが、サッシ地区の周囲の高台に都市が築かれ、そこには貴族が住み、サッシ地区はあまり発展しないまま農民たちの住居区として残り、両者の格差が広がっていきました。
サッシ地区は環境が整わないまま人口が増え続け、生活環境はどんどん悪くなり、略奪行為なども増え、そんな状況から農民たちによる暴動もしばしば起こっていたそうです。

そうして第2次世界大戦後についにサッシ地区の経済状況改善と再開発に関する研究委員会が設置され、1952年には再開発のために法律でサッシからの立ち退きが命じられ、住民たちは当時の建築家によって計画された新しい住居区に移住させられました。

今では上下水道、道路などがある程度整備され、再び人が住み着きだし、ホテルなんかの施設もできてきています。





現在の様子
サッシはもともとの洞窟住居が内側に掘り進むだけでなく、表にも建物を貼り付けるような形で増築を繰り返されて出来ています。
時代時代の生活に応じて上書きされていったこのサッシを、地元の人達は“歴史の地層”といい、大切にしています。

サッシ地区の風景。今でも、洞窟の入り口に壁とドアをつけただけのものから、外側に普通の建物を大きく増築して一見洞窟住居とはわからないものまで、いろんなサッシを見ることができます。





人が戻り始めているといってもまだ廃墟がたくさんあって、入り口も塞いでないところが多く、勝手に入れちゃいます。


ただしけっこう怖いです、霊的な意味と言うより、不審者的な意味で。笑
治安が悪いわけではまったくないんですが、こういう廃墟の中にたまに新しい食べかすとか生活用品のゴミとかが落ちてます...。





サッシ住居
サッシ地区の中に2つ、当時のサッシ住居を再現した資料館のようなところがあります。
中はこんな感じ。



内部構成。 見苦しい雑なメモで申し訳ないですが。



サッシは貧しい農民の住居で、多くは人畜同居でした。
人の居住スペースから一段下がったところが家畜のスペースとなっていました。
同居になったのはおそらく土地がなかったためだと思いますが、家畜の体温や糞尿の熱が居住スペースの暖房にもなっていたそうです。
しかし上下水道もない、換気・採光が取れるのは入り口のみ、人畜同居、過密というサッシは衛生面が最悪で、幼児死亡率が出生率の半分ほどにまで上っていたそうです。


家畜部屋から居住スペースを見る


住居内には雨水を貯める水槽があり、かつてはそれが生活用水でしたが、地下水路が造られてからは住居内に井戸を設置し、そこから水を得られるようになりました。(いつごろ地下水路ができたかは知りません...)




サッシに置かれるベッドは通常足の高いもので、下でヒヨコを飼ったりしてたそうです。ベッドの横にはテラコッタ製の容器が置かれていますが、これはトイレ代わりです。




マテーラでは嫁入りの際に、花嫁衣装などを詰めた木箱とベッドを持っていく風習がありました。この嫁入り道具は母から娘へと、代々受け継がれていくものでした。

右の大きい木箱が嫁入り道具


ちなみに、泊まったホステルもサッシをリノベしたものでした。
さすが洞窟、真冬に行ったけど暖房入れなくてもけっこう暖かかったです。当時の生活は大変だったでしょうが、上下水道電気が整った今は、洞窟住居の生活は意外と快適かもしれません。





こういうところの「観光地化」について。
ぼくが行った時がシーズンオフだったのもありますが、すごく静かで他の観光客もほとんどいませんでした。日本人のクラス旅行の大学生っぽい集団がちら見して帰ってましたが。
おみやげ屋とかも殆どありません。インフォも空いてるはずの時間に閉まってました。笑

個人的には、このくらいが一番好きだと感じました。つまり、観光絡みの開発が少なく、遺産が比較的自然な状態で残っている。でも、地区を歩きまわるための小さな案内板とかは困らない程度にあって、行き方や地区の歴史などの情報が望めば手に入る。このくらいがちょうどいいと思うんです。
観光地化に対する批判は多いけど、望めばその場所の歴史とか文化とかをいくらか知ることができるっていうのは、しっかり調査され、一般人向けの本やパンフが作られてる観光地の大きな利点だと思います。

まったく観光地化されてない村とかも大好きだけど、そういうとこ訪れたときは言葉が通じなければ外から目で見える、しかも主観的な情報しか手に入らない。がっつり時間とってガチの調査・研究するならそういうとこのほうがいいかもしれないけどね。ただの旅行で行くなら、あからさまな観光地ではないけど望めば情報が手に入る程度、が好きです。







おまけ、雪のあとの晴天の朝。なかなかいい雰囲気です。
ただし凍った石畳の斜面は、ものすっごい滑ります。ご注意を。







最新の画像もっと見る