照る日曇る日、また降る日

一生懸命、しかし平々凡々に生きて今や70の齢を超えた。今後も、しっかり世の中を見つめ、楽しく粘り強く生き抜こうと思う。

社友会

2012年04月02日 | あれやこれや思う

3月31日、年一回、恒例の社友会に出席した。今年で第16回。
近鉄特急で難波まで直行、そこから地下鉄で2駅、本町駅で降りると、本社はすぐ近くである。
社友会とは、元役員経験者の会で、年に一回、本社で、経営の現状を聞き、昼食を共にしながら、現役経営者と雑談し、かっての先輩・同僚・後輩と旧交を温める会である。
今回の出席者は23名。年齢順に言えば、何と私は上から4人目の高齢者であった。
道理で、現役経営者群の中でも、名前をうっすらと覚えている程度であったり、ほとんど記憶にない人たちもいる。年を取ったものだと思う。

前立腺ガンの手術をし、その術後しばらく後遺症で悩んだことを知っている人が多く、「元気になられましたね」と、あの人この人と多勢、声をかけてくれた。
確かに元気になったと実感する。嬉しい。
この年になると、ほとんどの人が何らかの病を身に持つ。だから、体調の不具合が、結構話題になる。

関西に本社を持つ会社なので、社友となると、どうしても神戸や阪神間に住まう人が多い。
工場は、関東・中部・関西と分布していたので、技術系元役員には、関東や中部に住む人もいるにはいるが、事務系の元役員で関東や中部に住むものは多くない。
私は、その多くない方で、名古屋に住んでいるので、ほとんどの人に年一回会うだけ。皆が懐かしがってくれる。
そう言えば、昨年は、新入社員の研修会である「温故知新塾」の講師として、話をさせて貰う機会があって、二回本社を訪れたっけ。その時、一緒に講師を務めたS・Mさんとは、「今回は、半年振りですね」と話が弾んだ。

私より年上の社友もまだまだ多いのに、やはり体調を崩して、欠席された方も少なくない。毎年、お会いし、今年も会えたらと思っていたのに、H・Sさん、I・Fさん、M・Kさん、S・Hさん、H・Tさん、多くの方にお会いできなかった。

ところで、今年は、経営の現状説明に、大変感激した。後輩たちは、素晴らしい仕事をしていると思った。一緒に、服地の販売に携わったH・M君と「いい仕事をしているね。私たちの頃より、自由に、大きく羽ばたいているね」と話し合った。

元々の本業は繊維、それも羊毛繊維。私たちがやっていた頃から、中国や韓国・ベトナムとの価格競争に巻き込まれ、現在ではわが国の衣料用繊維は全く元気がない。その中で、新しい付加価値商品を開発し、世界市場の中で、しっかり地盤を築いている。
事業は、大きく6つの部門に分けられている。
衣料繊維事業(売上高394億円)・資材事業(売上高136億円)・エンジニアリング事業(売上高53億円)・開発事業(売上高77億円)・コミュニティサービス事業(売上高164億円)・生活流通事業(売上高53億円)。売上高の総額は877億円(平成11年11月期)である。この内、衣料繊維事業と資材事業が元々の本業である「繊維」事業。
エンジニアリング事業は、自社の機械類の製作・修理などを受け持っていた「機械製作所」からの発展。そして、後の3つの事業が、会社の持つ土地などの資源の活用から発展した、新しい事業である。
そのいずれもの部門で、新しい需要を開発し、新しい考え方で事業を発展させている。

私が常務取締役として、人事部門と非繊維事業部門を担当した当時のことを思い出した。
そう、本業である「繊維」以外の新しい仕事を「非繊維事業」と言っていたのである。
当然、言わば「副業」的なイメージが付きまとう。
当時、一番大規模な非繊維事業、千葉県市川市にある「ニッケ・コルトンプラザ」というショッピング・センターの入店事業者総会で、講演をさせて貰ったことがあった。
その時、こんなことを会場の皆さんに訴えたことを思い出した。
「非繊維事業は、副業ではありません。第二の本業です。そして、心と身体の健全さ、健康、安らぎを追及する点に重点を置き、いろいろな事業の開発に努めて参ります。皆さん、一緒にやって行きましょう」。

当時、そんな思いを抱きながら、唯夢見る状態であったものが、私が想像していた以上に素晴らしい事業に育ち上がっていた。
現在、株価が低迷しており、株価を上げよという社友の声も大きかったが、今日の話を聞いて間違いなく株価は上がる、大切にしようと思った次第。
この話を聞いただけでも、今日は素晴らしい日だったと思いながら、近鉄特急に乗車、帰途についた。


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